• 池田卓夫 Takuo Ikeda

寺田悦子&渡邉規久雄→飯守泰次郎指揮東響&吉野直子、ドイツ・ロマン派満喫

最終更新: 6月28日


すべての楽曲が1840ー1880年代に生まれた

2021年6月最後の週末は、円熟境の日本人演奏家によるドイツ・ロマン派音楽を堪能した。


1)寺田悦子&渡邉規久雄デュオ・ピアノ・コンサート「《四手連弾の宇宙Ⅱ》ドイツ・ロマン派の春」(6月26日、紀尾井ホール)

メンデルスゾーン「変奏曲変ロ長調Op.83a」(1844)

シューマン「東洋の絵《6つの即興曲》Op.66」(1848)

メンデルスゾーン「アンダンテと華麗なるアレグロOp.92」(1841)

シューマン「交響曲第1番Op.38《春》」(1841=作曲者自身による連弾版)

昨年11月の「Ⅰ」は生誕250周年に当たったベートーヴェンだけで1時間のハーフコンサートを紀尾井ホールで昼夜2回、繰り返した。「Ⅱ」は親交のあったメンデルスゾーン、シューマンの連弾曲を集め、2時間のフルサイズで昼に行った。不思議なことに、最初の2曲は作曲年代が後にも関わらず、聴き映えは1841年の2曲の方がはるかに大きい。メンデルスゾーンはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団カペルマイスター(楽長)としてシューマンの「春」を初演指揮しただけでなく、シューマン夫人クララのピアノの腕に惚れ込み、自身とクララで初演するための連弾曲を作曲したのだった。この特別なつながりを持つ2曲を続けて聴けたのが、今回の最大の収穫といえる。シューマンへの恩義からクララへの思いを封印したブラームスは、アンコールの「ハンガリー舞曲第5番」でチラリと顔を出した。


寺田&渡邉夫妻は長く、それぞれのソロのリサイタルを開き重ねる途上で2台ピアノも手がけたが、連弾に本腰を入れたのは「四手連弾の宇宙」と題した今回のシリーズが初めてだ。昨年のベートーヴェンで感じたのは、お互いの長所が足し算以上の掛け算に実る相乗効果、きちんと譜面を立てての演奏が安定感と精度を高めるメリットだった。息が合っているのは当たり前というか、合っていなかったら余計な心配もしてしまうわけで、特に問題はない。


シューマンの交響曲をピアノ連弾で聴いたのは初めてだったが、しばしば指摘される「オーケストレーションのまずさ」うんぬんを離れ、文字通り春風駘蕩とした作曲家の心意気の〝骨〟がくっきりと浮かび上がったのが良かった。寺田はアメリカでも学んだが、音楽のルーツはあくまで最初の留学先のウィーンにあり、ドイツ・ロマン派を若い頃から得意にしてきた。今から40年くらい前にシューマンの「ピアノ協奏曲」の実演に接し、感激した記憶もある。一方、渡邉は父でフィンランド人を母に持つ日本フィルハーモニー交響楽団創立指揮者の曉雄ともどもシベリウスをはじめとする北欧音楽のスペシャリストと目されてきた。だが同じく40数年前、渡邉曉雄が日本フィルを指揮したシューマンの「交響曲第3番《ライン》」は名演だった。ゲネプロから立ち会い、「美しい音」を求める執念に驚いた。夫妻の原点から今日に至るまでの音楽の蓄積が隅々まで浸透した、素敵なシューマンだった。


2)東京交響楽団第80回川崎定期演奏会(6月27日、ミューザ川崎シンフォニーホール=前日のサントリーホールの第691回定期演奏会と同一プログラム)

指揮=飯守泰次郎、ハープ=吉野直子、コンサートマスター=水谷晃

ライネッケ「ハープ協奏曲」(1884)

ソリスト・アンコール:アッセルマン「泉」

ブルックナー「交響曲第7番」(1884=ノーヴァク1954年版)

本来は指揮にベルトラン・ド・ビリー、ハープにグザヴィエ・ドゥ・メストレとフランスの中堅スター演奏家2人が客演する予定だったがコロナ禍でキャンセル、日本人2人が曲目変更なし(厳密にはブルックナーの譜面が「2003年改訂新版」から「ノーヴァク1954年版」に替わった)で代役を引き受けた。吉野も飯守もライネッケの協奏曲を手がけるのは初めてだったという。しかし世界的ソリストとして一線で活躍してきた吉野の経験と力量、ドイツ音楽を〝ホーム〟とする飯守のアフィニティ(親和度)が聴き応えのある演奏に仕上げた。ライネッケはメンデルスゾーンやシューマンらの薫陶を受け、ゲヴァントハウスのカペルマイスターやライプツィヒ音楽院の院長を務めたので、前日の寺田&渡邉リサイタルの「続編」の趣もある。吉野のスケールと音量、切れ味を兼ね備えたハープとミューザの音響の相性は抜群。「熟慮の末、PAなしで演奏して正解でした」と終演後、吉野も話していた。


ブルックナーの「第7」は奇しくもライネッケの協奏曲と同じく、1884年にゲヴァントハウスで初演された。シューマン、メンデルスゾーン、ライネッケのドイツに対し、ブルックナーはオーストリアながら、ドイツ語圏のロマン派音楽の根幹を共有する。2日間に6曲(アンコールを除く)を聴き通すと、それぞれの作曲家の性格や人生の明暗の違いより、優れた音楽作品を大量に産んだ時代の豊穣に思いが至る。50年足らずの間によくもまあ、これだけ多彩で魅力的な作品が次々に作曲されたものだと感心する。さらに、世界が一斉に開かれつつあった時代の精神、作品の輝きを、確かな様式感で再現する日本人演奏家の水準向上にも目をみはる。


飯守のブルックナーもすでに定評を確立し、前日の演奏に関しても「神が降りてきた」「奇跡の名演」といった書き込みがSNS上に数多く流れていた。確かに入魂の指揮であり、東響も水谷渾身のリードで全員一丸となり限界に挑む気迫で応えたが、それは「神が降りた」というより生涯一筋に音楽の神に仕えてきた人間が「神に近づいた」瞬間の光景と理解した。股関節の手術をした後の飯守は足取りこそおぼつかないが、気力体力は充実の極みにあり、80歳とは思えない力強さと情熱、絶えず新鮮な響きを求める若々しさで楽員、客席の全員を圧倒する。人生肯定的で優美なブルックナーの響きにロマン派爛熟の典型をみる思い。

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