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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

宙吊り満載の大島「トゥーランドット」佐藤の指揮に品格、キャストの魅力も大

更新日:2020年10月18日


神奈川県民ホール・オペラ・シリーズ2020「グランドオペラ共同制作《トゥーランドット》」(プッチーニ)の初日を2020年10月17日、同ホールで観た。横浜の後に大分、山形を回り、山形では指揮者とオーケストラが変わる。ダンス集団のH・アール・カオスを主宰する大島早紀子の演出、主要キャストは当初発表のままだが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)拡大の影響で国外在住者の来日が見送られ、指揮者がアルベルト・ヴェロネージから佐藤正浩に、初日のリュー役が大村博美から木下美穂子に替わった。管弦楽は神奈川フィルハーモニー管弦楽団。山形では阪哲朗指揮の山形交響楽団がピットに入る。


初日キャストは、題名役の姫が田崎尚美、父の皇帝アルトゥムが牧川修一、ティムールがジョン・ハオ、カラフが福井敬、リューが木下美穂子、ピンが萩原潤、パンが児玉和弘、ポンが菅野淳、役人が小林啓倫。メインダンサーはH・アール・カオスの看板、白河直子。合唱は二期会合唱団、児童合唱は赤い靴ジュニアコーラス。我らが菊池裕美子は演出助手、日本語字幕制作でクレジットされていた。


大島が公演プログラムに寄せた文章「危機の時代に…『トゥーランドット』」の最後の段落は興味深い:

歌唱とダンスは、もともと理性を停止し、純粋であった子ども時代の無垢な目や耳を私たちに復権させてくれるものだ。それは想像力を介してものを見るということを私に教えてくれる。ソリスト、ダンサー、合唱、オーケストラとが豊かに共振し、儚くも美しい特別な夢の時間がここに流れますように。


COVID-19対策のソーシャル・ディスタンシング(社会的距離の設定)で管弦楽のサイズ、ソリストや合唱の動きが大きく制限された舞台が多いなか、大島は歌手の動きを「どちらかといえば」控えめに抑える代わり、白河に首切り役人など複数のキャラクターを与え、H・アール・カオスのダンサーが宙吊りをはじめとする大胆な動きを繰り広げることでコロナの渦中にあっても痩せて貧しいヴィジュアルを排し、目の〝御馳走〟を存分に提供した。装置のスタイリッシュな造型と色彩感、シンボリックな照明も、私には非常に美しく映った。


日本本格デビューに当たった新国立劇場の「小劇場オペラシリーズ」第1作「オルフェオとエウリディーチェ」(グルック)の取材で20年前に知り合って以来、佐藤とは山形県長井市の「ゼッキンゲンのトランペット吹き」(ネッスラー)日本初演、福島県会津若松市の「白虎」(加藤昌則)世界初演、福島県白河市の「福島3大テノール(伊藤達人、菅野淳、小堀勇介)」デビューコンサートなど、私がかかわった公演の多くをともにしてきた。最近ではオペラのスペシャリストの定評が確立、今回も品格と迫力を兼ね備え素晴らしかった。


2001年6月、ミラノ・スカラ座で浅利慶太演出の「トゥーランドット」が初日を迎えたときは当初予定の指揮者ジュゼッペ・シノーポリの急逝直後で、長くオペラから遠ざかっていたフランスの長老ジョルジュ・プレートルが三顧の礼を以て代役に迎えられた。スカラ座でも人気の高かったプレートルがピットに現れると満場から「おかえり!(Ben tornato! )」の歓声が上がった。しかし、プレートルがスコアをR・シュトラウスやベルク、ドビュッシー、ラヴェルと同時代人の芸術として扱い、じっくりしたテンポ運びで微細な音色の移ろい、和声や転調の妙を克明に描き出す過程で、血湧き肉躍るプッチーニを期待していたミラネーゼ(ミラノ人)の熱狂はみるみる冷めていった。だが、20世紀の4分の1が過ぎようとした時点で、プッチーニが遺作に託したのはまさに、そうした未来志向の音ではなかったか? 今日の佐藤の指揮には、あの晩のプレートルに通じる構造的な視点があって、オペラに不慣れな神奈川フィルからニュアンス豊かなカンタービレ(旋律線)を引き出していた。


再び、大島のプログラムからの引用:

詩的な、それでいて燃え上がるような歌唱の天才テノール福井敬さんが、まさに生まれ出ようとするオペラという情動的神話の世界を、今回も導いてくれた(以下略)。


福井のカラフに初めて接したのは1999年。東京・渋谷のBunkamuraオーチャードホールがやはりダンサーの勅使川原三郎の演出、井上道義の指揮で上演し、同年の英エジンバラ音楽祭に遠征したプロダクションだった。以来20余年、今年11月で58歳になるプリモウォーモは一貫してカラフを歌い続け、今日も何箇所かライヴ特有の〝ヒヤリ〟はあったものの、全キャストの牽引役を見事に果たした。過去30年、彼がいなければ上演不能だった作品はイタリア、ドイツ、その他の別なく多々あり、独特の歌い癖があるとはいえ、日本のオペラ界に対する貢献度の高さはもっともっと、広く正当に評価されてしかるべきだ。


日本での「トゥーランドット」上演にまつわる私の古文書も、とりあえず貼り付けてみる:


百戦錬磨の福井に対し、田崎もいよいよもって「大器」の全貌を明らかにする絶唱で拮抗した。このレベルの姫なら、世界のどこに出しても喝采を浴びるだろう。リューの木下、ピンの萩原らいつの間にか実力派に移行した中堅、パンの児玉、ポンの菅野、役人の小林ら存在感を伴った新進の歌唱も高水準で推移、優れたアンサンブルが出現した。とりわけピン、パン、ポンには大島が日増しに細かな演技を加えたそうで、文楽の人形遣いもどき?からミュージカル映画「雨に歌えば」顔負けの傘のダンスに至るまでステレオタイプのパロディー満載の動きを巧みにこなし、第2幕冒頭のテルツェット(三重唱)シーンを全く退屈させることなく盛り上げていて、感心した。ある意味、原作者ゴッツィが重視したコンメディア・デッラルテ(イタリア古典仮面劇)のテイストが大島の処理を通じ、鮮明に蘇ったといえる。


余談ながら出演者には東北人が多い。指揮の佐藤と姫の田崎が会津若松、福井が水沢(岩手県)、菅野が郡山…。来年は東日本大震災から丸10年の節目でもある。地震といい感染症パンデミック(世界的拡大)といい、私たちの予想を超えたタイミングと規模で起きる壊滅的事態の数々に対し芸術は無力かもしれないが、少なくとも一時の安息と感動を贈り、明日に生きる力を与える効用はある。今回の「トゥーランドット」に集まったアーティストとスタッフ全員の真剣な思いも、しかと受け取ったつもりだ。大分、山形での成功を祈ります!

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