様々な事情で演奏会全部を聴けず、歌舞伎の「1幕見」みたいな経験をすることがあるが、2日続きは珍しい。2021年4月22日のNHK交響楽団演奏会は、音楽雑誌の紹介でテレビ局の電話取材を受けるうちに出かけるのが遅れ、後半だけ。翌23日の藝大フィルハーモニア管弦楽団は朝から酷かったアレルギー症状で気力&体力が萎え、前半だけで失礼した。
1)NHK交響楽団4月の演奏会(22日、サントリーホール)
指揮=大植英次、コンサートマスター=伊藤亮太郎
グリーグ「2つの悲しい旋律《胸の痛手》《春》」
ショスタコーヴィチ「ピアノ協奏曲第1番」(ピアノ=阪田知樹、トランペット=長谷川智之)
ピアノのソリストアンコール:ラフマニノフ「なんと素晴らしいところ」
シベリウス「交響曲第2番」
コロナ禍対応で開演時刻が1時間繰り上がり、午後6時になったことを失念。インタビューに応じていて、6時少し前に慌てて家を車で出た。サントリーホールに着くと、協奏曲の第1楽章の終わりあたり。テレビモニターで鑑賞し、アンコールだけホール内で聴いた。阪田のピアノは切れ味よく、管弦楽と渡り合う音量も十分。一転、しっとりした歌心で魅了したラフマニノフともども、N響デビューは大きな成功を収めたようだ。OMEDETO!
大植のN響登場は22年ぶり。前回の定期デビュー後半、ブラームスの「交響曲第1番」がレインボウカラーに染まり唖然とした半面、テンポ設定はごく普通だったと記憶する。今回の〝シベ2〟は極彩色が極限まで進み、演奏時間50分とテンポも際立って遅い。大植は師匠レナード・バーンスタイン晩年の録音の多くでアシスタントを務め、1986年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と行ったシベ2のライヴ録音にも関わった。1966年、ニューヨーク・フィルハーモニックのセッション録音で44分だった演奏時間は51分に伸び、シベリウスより同時代人マーラーへの接近を感じさせる解釈には当時、賛否両論の「否」が優勢だった。今回の大植も「ゴーギャンが嫌がるシベリウスを無理やりタヒチに連れ出した」かのようにコテコテ、金管は咆哮し、低弦はコントラバス4本のサイズにもかかわらず唸りに唸る。辻本玲がトップのチェロも熱狂の構えで、弓の鋭いアタック音が激しく響く。オーボエの𠮷村結実をはじめとする木管の卓越したソロも、くっきりと隈取り濃く飛び出してくる。
ミネソタ管弦楽団や大阪フィルハーモニー交響楽団の音楽監督を務めた時期は抑制されていた大植流のデフォルメ、ねっとり路線への耽溺はスランプのトンネルを抜け、一気に強まったと思う。全て無難に収める指揮者より遥かに面白いし、こうした芸風のマエストロが1人くらいいてもいい。問題は大植を指揮台に迎えた側のオーケストラが妙に照れたり、微に入り細に穿った細部極大の濃密な指示をきちんと再現できなかったりすると、面白さが激減してしまう点にある。今のN響には大植の異形を珍重、「どうせ付き合うなら地の果てまで」と割り切り、要求すべてを音にできる技倆があるので、コテコテ感がマックスに達する。とりわけ、普段は地味に響く第2楽章のハチャメチャな弾け方には心底驚き、ゾクゾクした。
辻本はN響入団以前、日本にシベリウスを広め、フィンランド人が母の渡邉曉雄を創立指揮者に戴く日本フィルハーモニー交響楽団に在籍。現在のフィンランド人首席指揮者ピエタリ・インキネンと行った2019年の欧州演奏旅行にも参加してほぼ連日、シベ2を演奏した経験を持つので、あまりにも激しい違いを楽しんでいるようにも見えた。器楽合奏のエクスヒビションとして極めて面白い演奏だったし、出がけに味わったゴチャゴチャ気分がスカッと晴れたのも事実だが、果たしてこれは、シベリウスだったのか? 耐えて耐えて耐えて、すべての感情を外から内へと押し込め続けた先、ようやく訪れる爆発といった北欧的カタルシスのベクトルが消え、徹頭徹尾イケイケで別の曲みたいに響く違和感は拭えなかった。
2)藝大定期第403回 藝大フィルハーモニア管弦楽団定期演奏会(23日、東京藝術大学奏楽堂)
指揮=山下一史、コンサートマスター=植村太郎
ペルト「ベンジャミン・ブリテンへの追悼歌」
R・シュトラウス「オーボエ協奏曲」(独奏=吉井瑞穂)
チャイコフスキー「交響曲第5番」
藝大フィルハーモニアは東京藝大に属し、日本オーケストラ連盟準会員のプロなのだが、いまだ学生オケと誤解されることが多い。藝大からドイツに羽ばたき、世界的オーボエ奏者となった吉井も、運営委員に名を連ねている。先週、鈴木雅明指揮N響と素晴らしいモーツァルトの協奏曲を独奏した吉井が「次はシュトラウスを吹きます」と伝えてきたので、久しぶりにフィルハーモニアの演奏会へ出かけた。藝大周辺は駐車場が少なく、タイムズのコインパーキングは30分500円!、仕方ない。どうやら自分のアレルギーは花粉ではなくPM2.5とか大気系らしく朝から症状全開、つらくてチャイコフスキーをパスした。ごめんなさい!
冒頭のペルトだけ聴いても、山下の優れた資質と円熟は明らかだった。私が新聞社広島支局記者だった1980年代半ば、広島相互銀行(現もみじ銀行)の業績見通しを四半期ごとに取材した相手の経理担当常務が山下のお父様だった奇縁もある。「息子は東京で音楽の勉強をしています」と話されていたが、まさかカラヤンの代役でベルリン・フィルのベートーヴェン「第九」を振るとは思わなかった。今回はペルトを古典として、確かに位置付けていた。
吉井が吹くシュトラウス。作曲家81歳、第二次世界大戦終結直後の1945年に書かれた名作だけに名演も多く、過去にハインツ・ホリガー、宮本文昭らの素晴らしいソロも聴いた。今夜はポジティヴな意味で、まったく異なる光景を体験した。ソリストのエゴを過度に振り回さずアンサンブルの中へ潜り、ソロ楽器それぞれと室内楽的会話を楽しむ風情は、N響とのモーツァルトと変わりなかった。吉井は18世紀のモーツァルト、20世紀のシュトラウスの違いを「独奏楽器を抽象的な音素材として扱うか、作曲者の分身として扱うか」に置いたと思われ、音の強弱や旋律の抑揚にヒューマンな温もり、しみじみした味わいをこめた。作曲年齢で単純に「晩年の諦念に満ちた」と書かれがちな作品だが、温かく骨太ながら切れ味も鋭い吉井のソロからは、自身の物理的年齢や迫り来る死を超越し、音楽の未来や作品生命の永遠性に全幅の確信を抱くマッチョな作曲家像が浮かび上がった。山下と藝大フィルハーモニアも吉井のコンセプトを深く理解し、積極的かつ立体的な協調で聴き応えがあった。
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