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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

外山啓介リサイタル〜ドイツ・ロマン派に新境地。帰り道に湯山昭をつまみ食い


盛りだくさんの日曜昼下がり

2022年3月27日日曜午後。外山啓介(ピアノ)が珍しくサントリーホールではなくトッパンホール、しかもドイツ・ロマン派の渋いプログラムでリサイタルを行うというので、早くから出席を予定していた。すると湯山玲子さんから、東京オペラシティコンサートホールの「湯山昭の音楽」にお招きを受けた。今年90歳で健在のお父様の作品特集だ。2つのホールは車で30分以内の距離。外山が14時、湯山が15時の開演なので時間差を使い、湯山の後半最後に滑り込んだ。1968年の「マリンバとアルト・サクソフォーンのためのディヴェルティメント」(マリンバ=池上英樹、サックス=上野耕平)、1976年の「男声合唱のための《夕焼けの歌》」(急きょ出演の慶應義塾大学ワグネルソサエティ合唱団、早稲田大学の合唱団「甍」とコールフリューゲルの有志)と、最も尖った部分の湯山を聴けて良かった。


外山啓介ピアノ・リサイタル

ベートーヴェン(リスト編曲)「アデライーデ」

シューベルト「4つの即興曲作品90/D.899」

メンデルスゾーン「無言歌集」より「なぐさめ」「デュエット」「失われた幻影」

ブラームス「8つのピアノ小品作品76」

アンコール:ブラームス「6つの小品作品118」より第2番「間奏曲イ長調」、ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第8番《悲愴》ハ短調作品13」より第2楽章


ベートーヴェンをウィーン古典派とみるか、ロマン派の嚆矢とみるかーー色々と考えられるが、マティソンの詩に作曲したリート(ドイツ語歌曲)「アデライーデ」はどっぷり愛の歌だし、リスト編曲のピアノ独奏版は十分すぎるほどロマンティック。シューベルト、メンデルスゾーン、ブラームスと年代順に並べ、アンコールをベートーヴェンの《悲愴》で閉じるプログラミングの発想、全体の雰囲気は「ドイツ・ロマン派の系譜」以外の何物でもない。


「アデライーデ」では昨年のリサイタルでベートーヴェンに集中した経験も生かしつつ、豊かなソノリティと美しい音色でリストが要求する高度のヴィルトゥオージティ(名技性)を満たし、聴衆を一気に惹きつけた。シューベルトの「即興曲」。最近は作品142/D.935、しかもその中の1〜2曲を弾くピアニストが多く、作品90/D.899の4曲セットを聴くのは久しぶりだ。外山は安定した上半身、長い腕と大きな手をバランスさせた無駄のない奏法から、ナイーヴな歌を紡いでいく。フレージングは極めて自然で、穏やかな流れの中から深い哀しみ、優しさ、慈しみなどシューベルトの目まぐるしく変転する「相」が浮かび上がる。第4番にかけて次第にデモーニッシュな領域へ踏み込み、表現力の拡大を印象づけた。どの曲も終止の倍音がたっぷり伸びて美しく、確かな余韻を残す。


後半。メンデルスゾーン「無言歌集」からの3曲は、本人が書いたプログラムノートによれば「小さい時に演奏したことがある作品を選びました」とのことだが、ちょっと暗めの感触を共有していたので、思わず「どんな子どもだったのかしら?」と余計な想像を働かせた。続くブラームスの8曲も良く弾きこまれていた。重厚なロマンの世界を描くだけでなく、作曲時まだ45歳のブラームスに燃え盛っていた情熱、軽やかな身のこなし、前後して書かれた「交響曲第2番」にも通じる柔らかな光など、様々な要素を丁寧にすくい上げた。大言壮語を避け、静かな語りくちでじっくり、心の内を解き明かすようなブラームスだった。次の機会にはぜひ、2曲の「ピアノ協奏曲」も外山の独奏で聴いてみたい。


アンコールの前の短いスピーチも含め、ステージマナーの礼儀正しさとスマートさ、にじみ出る人柄の温かさには一層磨きがかかり、長く通い続けるファンが多いのも然りと思えた。

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