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  • 池田卓夫 Takuo Ikeda

土砂降りの中、国際交流の2公演はしご


振り返れば、濃い1日であった

イタリアとハンガリーの共通点は何か? ともにEU(欧州連合)加盟国でワイン、サラミが美味しいと答える人は多いだろう。国旗にも注目してほしい。赤、緑、白の3色なのだ。


2019年5月21日の東京は記録的な大雨に見舞われ、昼過ぎまで続いた。東京文化会館14時開演、サントリーホール19時開演をはしごするに当たり、仕方なくHUNTERの長靴、ビニールのレインパーカーという重装備で家を出た。最初のコンサートはイタリアの人気イケメンテノール3人(ジャンルカ・ジノーブレ、イニャツィオ・ボスケット、ピエロ・バローネ)のユニット「Il Volo(イル・ヴォーロ)」で、文化会館が1階から5階まで満席、マルチェッロ・ロータ指揮東京ニューシティ管弦楽団との共演だが、PA(拡声手段)を使い、曲間MCには日本語の同時通訳(「ミチコさん」という年配の女性で達者、ユーモアたっぷりで貢献度大。よくよく調べればミラノ在住のメゾソプラノ&演出の田口道子さんだった)がつく。正直だれ1人、ミラノ・スカラ座やフィレンツェ5月音楽祭劇場のプリモを張れる力の持ち主はいない。発声技術でも特にパッサージョの処理とかが未熟で、1つのアリアを2人で歌い分けてしのぐ場面もある。MCも10年選手の割にこなれず、妙な間が空く。最初は少し腹立たしかったが、気がつくと全てをゆるし?受け入れ、楽しんでいる自分がいた。


3人のうち2人がシチリアーノ(シチリア人)という濃い風貌、予め用意した筋書き通りにはできないし、やろうともしないイタリア人の気まぐれ気質が、何ともいえずチャーミングな雰囲気を醸し出し、イタリア文化の魅力の一面を誰にでもわかりやすく「見せながら伝える」コミュニケーターとしての役割を存分に果たしている。3人の声のカラーが全く異なるのも、歌の味わいを深める。午後の公演だったので、本人たちはイタリアそのまま「Buona serra!」と叫び、田口さんが「こんばんは」と訳すと、「あら、『こんにちは』を間違えて訳しているわ!」と、すかさず私語を発した老婦人約1名。いえいえ、イタリアでは「Buon giorno!」(おはよう、あるいは、こんにちは)は午前中だけで、午後は一斉に「ボナ・セッラ」となるのです。こんな些細な場面も含め、日本とイタリアのあれこれが重なったり、揺れたりする。だんだん草の根文化交流みたいに思えてきて、微笑ましかった。


雨は、やっと止んだ。でも、帰宅の時間的余裕はない。生まれて初めて、サントリーホールに長靴で乗り込んだ。「小林研一郎(コバケン)指揮ハンガリー・ブダペスト交響楽団、金子三勇士のピアノを聴きにきた」くらいの意識だったのに、実態は日本とハンガリーの外交関係樹立150周年を祝う公式行事で秋篠宮皇嗣と妃殿下、眞子内親王、佳子内親王の4人がそろって臨席された。なぜかMCにクリス・ペプラーが現れ、最初にハンガリー、日本の順に両国の国歌を演奏。コバケンは「君が代」だけを振り、聴衆は起立して聴いた。


次いでハンガリーのカーシュレル・ミクローシュ人材相が挨拶文を読み上げ、コバケンが作曲した自作「2つの国への思い」の概要をクリスがインタビューした。フルートをはじめとするオケの管楽器奏者のソロを引き立てる一方、和太鼓などを交えて日本色も打ち出し、ハンガリーで45年にわたって指揮してきた日本人マエストロの文字通り「思い」の伝わる佳曲だった。2曲目はコダーイの「ガランタ舞曲」。本来は「ハンガリー国有鉄道(MAV)ブダペスト交響楽団」の名称で1945年に発足、鉄道網を使った移動公演で音楽の大衆化に貢献してきたアンサンブルだけに、つねに胸襟を開いた感じの音が飛んでくる。弦の味わいに比べ、管のメカニックは少し頼りないが、どこか懐かしい音色が広がり、なかなか魅力的だ。コバケンも旋律をたっぷり歌わせ、激しいリズムの部分では大きくたたみかけ、演奏効果を高める。まったく気の毒な話だが、私たちの世代の耳にはまだ「ガランタ舞曲」を十八番としたセルジュ・チェリビダッケ全盛期の記憶が残っていて、単なるエスニック(民族的)な要素を超えた和声とリズム、色彩の織りなす名演にはまだ、及ばないと思った。


金子が独奏したのはリストの「ピアノ協奏曲第1番」。父が日本人、母がハンガリー人ということで、記念演奏会にはコバケンともども最適の人選で、演奏スタイルからステージマナーに至るまで、長足の進歩も印象づけた。だが果たして、この曲は金子の持ち味を最大限に生かせる曲なのか?と、一抹の疑問を覚えたのも確か。音の厚みが不足し、オーケストラの音にピアノが埋もれてしまう場面もあった。彼の思慮深く、年齢の割に熟した音楽性は「夜の音楽(Nachtmusik)」の要素が色濃い「第2番」の方で、より発揮される気がしてならない。「ガランタ舞曲」をすっ飛ばし、協奏曲だけ伝えたまま舞台袖に消えようとする寸前、コバケンに引き止められ(けっこう怒られていた)、もう一度センターまで戻った一件だけ挙げても、なぜバイリンガルというだけでクラシック音楽や外交セレモニーに不慣れなタレントを起用したのか? 演奏後に話を聞く場面を省いていたら、金子はアンコールに「愛の夢」か「ラ・カンパネッラ」を弾いてくれたかもしれない。コンサートをイベントと両立させるのは、つくづく難しい。借りてきた猫みたいなクリスを見て、いささか気の毒に思った。休憩前にはパラノヴィチ・ノルバート特命全権大使が日本語、ハンガリー語の驚くべき「ひとり同時通訳」でスピーチを行い、ユーモラスで心のこもった内容に感心した。


後半はドヴォルザークの「交響曲第9番《新世界より》」。これはコバケンの十八番だ。日本フィルハーモニー交響楽団と演奏するときより縮小拡大のデフォルメが抑制され、ハンガリーのオーケストラの歌心を自身の歌心に重ね、心と心を通じさせるアプローチで、演奏会の趣旨にふさわしい仕上がりだった。今はもう少し分析的な演奏が主流だが、楽団が持つ鄙(ひな)びた雰囲気も含め、何かしら、遠い昔に聴いた懐かしい音楽を思い出していた。


全くジャンルは違うのに、底流に異文化交流という共通のテーマを持つコンサート2つのはしご、とても楽しかった。

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