まさか今さら、「コバケンのチャイ5」(小林研一郎が指揮する十八番、チャイコフスキー作曲「交響曲第5番」の略語)に激しく胸を突き動かされて落涙したうえ、アンコールで最終楽章のコーダ(終結部)が奏でられると、スタンディングオベーションまで進んでやらかすとは! 不覚というか、予想を覆す展開だった。昨年の傘寿(80歳)記念企画がコロナ禍で1年延期され、ようやく実現した「チャイコフスキー交響曲全曲チクルス」(プラス特別公演、ガラ・コンサート)。サントリーホールでの東京5公演は、桂冠名誉指揮者の称号を持つ日本フィルハーモニー交響楽団が管弦楽を担った(名古屋公演は桂冠指揮者のポストにある名古屋フィルハーモニー交響楽団)。シリーズ特設サイトに原稿を書いた縁もあり、日程錯綜のなか、4月13日の「プログラムB」だけを聴くことができた。前半が「交響曲第2番《小ロシア》」で、後半が「交響曲第5番」。高校生時代から通算すると、ほぼ20回目くらいの「コバケンのチャイ5」体験だったと思われる。
中学校の音楽鑑賞教室で下積み時代最後の年のコバケンに遭遇したのは1973年。50年近くも聴き続けている。その後の経緯は、今回のシリーズの特設サイトにも一文を寄せている:
仕事の関係で30代の4年間をドイツで過ごし、現地の演奏家や評論家の薫陶を受けた私は後に音楽が本業となり、かなり気難しい聴き手に変わって行ったと思う。クラシック音楽普及に粉骨砕身、「浪花節だよ人生は」と言わんばかりの日本的デフォルメを敢えて思う存分に繰り広げるコバケンに強く反発した時期もあった。でも何故か、日本フィルとの「チャイ5」だけは折に触れ聴いていた。音楽の魅力を教えてくれた亡父の最も好きな交響曲だったこと、1972年の旧日本フィル解散〝事件〟の報道分析を大学の卒論にしたことなどで、縁を切りがたかったのかもしれない。「日経ビジネス」誌のコラム「ひと烈伝」の取材で聴いた演奏はオクタヴィアレコード(EXTONレーベル)のライヴ盤になり、いま読み返すと、かなり辛辣な内容(よくそのまま通った!)のライナーノートまで書かせていただいた。好むと好まざるとにかかわらず、「コバケンのチャイ5」は私の人生の伴走者になっていた。
そして傘寿プラスワンの記念演奏会。前半の「小ロシア」は演奏頻度の低さか楽員配置の問題か、アンサンブルが雑で熱気と力技だけで押し切った感じがして「またいつものコバケン節か」と、些かうんざりして聴いていた。だが、後半の「チャイ5」では光景が一変した。前半も健闘した新しい首席ホルンの信末碩才(のぶすえ・せきとし)に同じく新人トロンボーンの伊藤雄太、ソロ・トランペットのオッタビアーノ・クリストーフォリら金管が輝きを放ち、クラリネットの伊藤寛隆、オーボエの杉原由希子をはじめとする木管の首席、ティンパニのエリック・パケラらの妙技も冴え、コンサートマスターの木野雅之、アシスタント・コンサートマスターの千葉清加の積極的リードに率いられた弦も俄かに雄弁さを増した。メロウな音色なのに透明度があり、引き締まったアンサンブル。前半は一体、何だったのか?
81歳の小林はもはやエフェクトを狙わず、唸り声も上げず、極端なデフォルメでアンサンブルを乱すこともなく、自身と日本フィルが極めてきた「チャイ5」流儀を過去最高の快速テンポで描き尽くし、チャイコフスキーの絶望と狂気、そこに生まれる躁鬱の振幅を克明に再現した。何度も聴いたコンビの同曲ながら、ここまで神々しい(heilig )な感触を覚えたのは初めて。チャイコフスキー、小林研一郎、日本フィルそれぞれの〝人生〟の軌跡が絶妙の呼吸で絡み合う時間に身を置くうち、自分自身の決して平坦とはいえなかった過去10数年の日々(「日経ビジネス」のコバケン記事以降と重なる)のトリヴィアまでがフラッシュバックしてきて、激しくこみ上げてくるものがあった。再び、「何なんだ、これは?」
アンコールのコーダで、涙腺決壊。コバケンと日本フィルに、完全にしてやられた。これからもきっと、性懲りもなく「コバケンのチャイ5」に付き合うことになるはずだ。改めて、傘寿超え、さらにこの度の恩賜賞・日本芸術院賞の受賞、おめでとうございます。これはどうやら、古典的なHass und Liebe(独)、hate and love(英)ーー日本語では「嫌よ嫌よも好きのうち」と揶揄される、どうしようもなく長い愛憎物語の、美しい?典型のようだ。
Comments