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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

フェスタサマーミューザKAWASAKI、この状況下で19日間全17公演を完走!


今年(2020年)の「フェスタサマーミューザKAWASAKI」は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)拡大に伴い、曲目や出演者の大幅変更を余儀なくされながら7月23日ー8月10日の19日間、全17公演を完遂した。1992年に川崎市がモーツァルトとカラヤンを生んだ世界的音楽祭の街、オーストリア・ザルツブルク市と友好都市提携を結び、さらに2004年、「音楽のまち・かわさき」構想を打ち出した当時は半信半疑の人が多かった。2011年の東日本大震災でミューザ川崎シンフォニーホールが被災すると、ザルツブルク音楽祭はチャリティーコンサートを開き、多額の義援金を送ってきた。COVID-19で世界中の演奏会やオペラが休演したなか、夏の大規模な音楽祭の開催に漕ぎ着けたのはザルツブルクと川崎だけ。座席数を600席に絞った有観客公演とインターネット経由のライヴ映像配信の二本立てのハイブリッド方式に「新しい音楽の鑑賞スタイルを川崎から全国に発信する」(福田紀彦市長)の願いをこめた。「音楽のまち」の未来を確信させる歴史的イベントを成就させた行政、スタッフ、音楽家、観客、市民一体の熱意に敬意と感謝を表したいと思う。


私が客席で聴いたのは5公演。8月7日の東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団では、戸澤哲夫コンサートマスターとともにプレトークを担当した。


読売日本交響楽団「芸術が花開いた街・パリの旅」(7月29日)下野竜也(指揮)、反田恭平(ピアノ)、務川慧悟(ピアノ)

①モーツァルト「交響曲第32番」

②プーランク「2台のピアノのための協奏曲」

ソリストアンコール:モーツァルト(グリーグによる2台ピアノ編曲)「ピアノ・ソナタ第15番」第1楽章

③サン=サーンス「動物の謝肉祭」

④モーツァルト「交響曲第31番《パリ》」

オーケストラアンコール:サン=サーンス(野本洋介編曲)「アヴェ・マリア」

弦は6-6-4-4-3で全員を舞台下手側(コントラバスは真正面)に寄せ、上手側に管打楽器を配した「ストコフスキー配置」の徹底採用は珍しい。 特別客演コンサートマスターの日下紗矢子はじめ弦は透明度の高い響きを保ち、「動物の謝肉祭」では首席奏者たちが名人芸を競い合った。2人のソリストは親友で1歳下の反田が立ち上げたマネジメント会社の社長、務川が専属アーティストの関係にあり、2台ピアノ作品を収めたCDも最近リリースした。


ピアニストとしての持ち味は全く違い、どっしり落ち着いてパワフルな反田、どんなに技巧の込み入ったパッセージでも優しげな表情と音のきらめきが前面に出る務川それぞれの個性が曲想を膨らませ、立体感のある音楽を奏でた。とりわけ務川の音の感触は、今までの日本人ピアニストと大きく異なり、夜空の星たちを思わせる。


下野は先日、新日本フィルを指揮したベートーヴェンの「交響曲第6番《田園》」でも感じた通り、音楽への踏み込みが決然としていて曖昧さを残さず、堅固な造型の上に歯切れ良く、堂々とした響きを立ち上げる。プーランクの緻密なサポートぶりも、モーツァルトの溢れるばかりの精彩も良かった。


新日本フィルハーモニー交響楽団「久石譲、ベートーヴェンを振る!」(8月4日)久石譲(指揮)、豊嶋泰嗣(ヴァイオリン)

①久石譲「Encounter for String Orchestra」

②ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」(カデンツァ:ベートーヴェン/久石譲)

③ベートーヴェン「交響曲第7番」

久石はアニメ映画の音楽で世界的名声を得る以前、国立音楽大学で作曲を学んでミニマルミュージック(最小限の音型を反復する音楽)に傾倒、同時代音楽の作曲家として出発した。冒頭の自作がミニマル系だったのは当然ながら、考えてみればベートーヴェンの「ヴァイオリン協奏曲」の特に第1&第3楽章、「交響曲第7番」の第2楽章も同一音型の反復を基本とする音楽。さらに久石は早めのテンポのロック調でぐいぐい進むから余り気づかれないが、各楽章のリピートも忠実に行って「ミニマルの視点からとらえ直したベートーヴェン」の〝隠れテーマ〟を仕掛け、生誕250周年に作曲家&指揮者らしいアプローチで参入した。2004年に「新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ(W.D.O)」音楽監督に就任して以来共同作業を深め、今年(2020年)9月には「新日本フィルComposer in Residence and Music Partner」に就任する。秋山和慶の指導を受け、すでに自身のオーケストラ(Future Orchestra Classics)も組織しており指揮のテクニックに危なげはない。協奏曲の〝付け〟に求められる職人的手腕も確かである。この日、新日本フィルは全幅の信頼を寄せる指揮者とともに素晴らしく積極的で、精彩あふれるアンサンブルを聴かせた。


協奏曲のカデンツァではヨーゼフ・ヨアヒム、フリッツ・クライスラーら後世のヴァイオリニスト&作曲家のものが定番で、ベートーヴェン自身は独奏楽器をヴァイオリンからピアノに替えた編曲版(作品61a)をつくる際に1種類だけ、ティンパニのオブリガート(助奏)を交えて作曲。近年はこれをヴァイオリン用に再変換して弾くソリストが増えている。久石はベートーヴェンの自筆譜に書かれた長さを完全に復活させた上、コンサートマスター(崔文洙)と首席チェロ奏者(植木昭雄)のパートを追加した。ミューザ川崎の聴衆はバロック時代以来のトリオ・ソナタ形式を思わせる様式の強調を通じ、ベートーヴェンの「拠って立つ時代」を明確にした「久石版カデンツァ」の世界初演に立ち会ったことになる。


当然、カデンツァにプレスや評論家の関心は集中したが、実は新日本フィルのソロ・コンサートマスター豊嶋泰嗣が担ったソロ・パートにも大きな挑戦が隠れていた。世界にはギドン・クレーメルはじめ「暗譜はテクニックの競争が限界に達し、記憶力まで競うようになった音楽ショウ・ビジネス化の悪しき慣習」といい、協奏曲のソロを弾くときも必ず譜面台を立てる奏者がいる。「完全に頭に入った作品であっても、本番の特別なテンションの中で楽譜をながめたとき、突然ひらめく発見も無駄にはしたくない」と、クレーメルは説明した。だが日本では西洋由来のクラシック音楽にもいつの間にか「道」や「筋」が入り込み、「お客様の前で譜面首っ引きとは失礼だ!」といった批判が絶えず付きまとう。


豊嶋が敢えて譜面台を立てた理由はソロに入った瞬間、明らかとなった。聴き慣れたはずのソロの旋律線が無数の装飾音に彩られ、今までとは全く違って聴こえる! 終演後にLINEで豊嶋に直接確認したところ「ベートーヴェンの自筆譜を一から調べ直し、書かれた音すべてを忠実に再現した〝豊嶋版〟です。パトリチア・コパチンスカヤも同様のアプローチを試みましたが、一部分にとどまっていました。ここまで徹底したのは恐らく、僕が世界初だと思います」と、想像を超えた答えが返ってきた。長く新日本フィルを率い、シモン・ゴルトベルク、ゲアハルト・ボッセ、フランス・ブリュッヘンら求道派のマエストロたちに仕えてきた豊嶋ならではの深い解釈。ストラディヴァリウスの美音とともに、長く心に残る名演に成就した。


東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団「巨匠が振るドイツ音楽の至高」(8月7日)飯守泰次郎(指揮)

①ワーグナー「歌劇《タンホイザー》序曲」

②ブルックナー「交響曲第4番《ロマンティック》(ハース版)」

プレトークの準備を兼ね、午後3時開始のゲネプロ(会場総練習)から聴いた。1975年発足の東京シティ・フィルは今年(2020年)で創立45周年、戸澤が東京藝術大学大学院在学中の1995年にコンサートマスターを拝命して25周年の節目に当たる。現在は桂冠名誉指揮者の飯守が常任指揮者に招かれたのは1997年だから、すでに23シーズンが経過している。8月2日の尾高忠明指揮東京フィルハーモニー交響楽団の公演には娘の戸澤采紀がベートーヴェン「ヴァイオリン、チェロとピアノのための三重協奏曲」のヴァイオリン独奏に出演、何かと世代間の継承を意識する展開ではある。


全国のオーケストラがCOVID-19対策のソーシャル・ディスタンシング(社会的距離の設定)を意識してハイドンやモーツァルト、ベートーヴェンなど小編成で古典派中心のプログラミングにとどまるなか、東京シティ・フィルは出演者全員のPCR検査を実施するなど独自の対策を講じ、ブルックナーの大交響曲を携えて現れた。それでも12-10-8-6-5と、ワーグナー、ブルックナーにしては小ぶりの配置なので最初に見たときは心配したが、杞憂だった。飯守が音楽の深い深い掘り下げ、突然の閃きで振り方を変えても真意を必死で探り、最高のアンサンブルで応えようとする楽員たち。これまた素晴らしい長期の信頼関係をベースに、音楽がどんどん有機体としての生命力を高め、圧倒的な音像が立ち上がっていく。熱く巨大でありながら知性の輝きにも欠けず、ロマン派音楽の醍醐味を久しぶりに味わえた。


プレトーク前、楽団事務局の方が「飯守先生との《ロマンティック》は本当に久しぶりです。もしかしたら、21世紀に入って初めてかも」と言われ、そのままプレトークで話したら早速、ライヴ動画配信に厳しいご指摘、お叱りの書き込みが殺到したという。開演直前のロビーでもブルックナー&飯守フリークの友人知人に取り囲まれ、「少なくとも3度目だ」と指摘された。新聞記者時代から「…で初めて」系の盛り上げはハイリスクローリターン、正しく効果を発揮する確率は激しく低かったので、避けるべき話題だったと猛省する。6月半ばに有観客公演が再開された当時、多くの演奏家が本番テンションの回復に苦吟する姿を目撃したが、堺シティオペラの「アイーダ」以来7か月ぶりのプレトークに臨み、客席のお客様が目に入った途端、自分も同じパニックに陥った。後は何が起きたか、覚えていない。


ただ一つだけ、プレトークで触れたかったトリビアなエピソード、飯守家と池田家の関係については、ちゃんと喋った。それは、50年前に遡る。マエストロの実兄でグラフィックデザイナーの飯守格太郎さんと亡父が飲み友だちで私が小学校6年生だった1970年、親子で格太郎さんの家に呼ばれたのが始まりだった。東武百貨店、日野自動車、清水建設などのロゴマークをはじめ一時は超有名デザイナーだった格太郎さん、CG(コンピューターグラフィック)全盛期には仕事が激減したが「手仕事の良さが見直される中、復活しました」と、泰次郎マエストロから聞いたことがある。「手仕事の良さ」はそのまま、弟さんの音楽にも通じる美徳であり、戸澤をはじめとするシティ・フィル楽員の献身的な支えが奇跡の一夜をもたらした。こういう感触の音楽、私はやっぱり大好きだ。


日本フィルハーモニー交響楽団「祝!生誕90年の武満徹&生誕250年のベートーヴェン」(8月8日)梅田俊明(指揮)、村治佳織(ギター)、松岡裕雅(オーボエ・ダモーレ=日本フィル・オーボエ副首席奏者)

①レスピーギ「《リュートのための古代舞曲とアリア》第3組曲」

②武満徹「虹へ向かって、パルマ」

ソリストアンコール:武満徹「ギターのための3つの小品《森のなかで》第1曲《ウェインスコット・ポンド〜コーネリア・フォスの絵画から〜》」(ギターソロ)

③ベートーヴェン「交響曲第1番」

アンコール:ベートーヴェン「《プロメテウスの創造物》序曲」

アシスタント・コンサートマスターの千葉清加がトップに座り、オーボエ首席に外部奏者を招くなど、主催公演とは顔ぶれの異なる若々しい日本フィルだったが、梅田の無駄なく正攻法、推進力に富む指揮を全身で受け止め、素晴らしくフレッシュな響きを奏でたのは収穫だった。レスピーギのやり過ぎず、品位を保った演奏は清涼感をホールいっぱいに拡散した。


武満の「虹へ向かって、パルマ」は1984年に委嘱者のサイモン・ラトルが当時のパートナー、バーミンガム市交響楽団と世界初演、ホアン・ミロの絵に触発された作品でカタルーニャ民謡の引用も現れる。武満は1970年の大阪万博会場でミロと出会い、強い印象を受けたという。今回は日本初演者の佐藤紀雄の次の世代に当たるギタリスト、村治の「初パルマ」という点でも注目を集めた。終演後に楽屋を訪ねると「ほぼ1か月でマスターしました」と明かしたが、とてもそうは思えないほど手の内に入った独奏ぶりで独特の粘りを持つ松岡のオーボエ・ダモーレ、梅田のシャープな指揮とのコラボレーションにも隙がなかった。和楽器を1つも交えず、英国人音楽家のために書いた作品にもかかわらず、武満のスコアからはNHKのTVドラマのために作曲した「夢千代日記」の音楽にも通じる日本的な美意識が立ち上り、「霞か雲か」といった風情の幻の儚さが漂う。村治も同様の感触を覚えたといい、楽曲の精神の深いところから放たれる音の一つ一つに、音楽家としての円熟を感じさせた。


このところ頻繁に演奏されるベートーヴェン最初の交響曲でも、梅田は端倪すべからざる(=測り知れない)潜在能力を発揮した。ことさらピリオド(作曲当時の)奏法を強調したわけではないが、小型のティンパニを使い、控えめなヴィブラートと明快なアーティキュレーションで1800年初演の楽曲にふさわしい様式感を整えた。明らかに梅田と千葉で再考した音色は非常に美しく、金属的に鋭い音を避け、木質系のテクスチュア(手触り)に貫かれていた。調性やテンポの変化をタクト(指揮棒)の先で明確に伝え、アウフタクト(予拍)を適切に与える指揮ぶりは音楽大学の指揮科で教える先生らしく一見、教科書的にも思えるが、梅田の場合はそこに天性のリズム感、若々しさを失わない推進力が備わり、現場感覚を全く失っていない。第3楽章のメヌエットを完全に「ベートーヴェンのスケルツォ」の先駆けとして振ったのに感心していたら、その旨、自身のプレトークでも話していたらしい。以心伝心? アンコールの序曲は一段と熱を帯びて客席が熱狂、楽員退出後に指揮者のソロアンコールがあった。梅田は終演後、「生まれて初めての体験。死期が迫る最晩年のマエストロみたいです」と照れていたが、いよいよ本領発揮、さらなる〝大化け〟に期待しよう。


なお弦楽器の配置が12-9-8-6-4で、第2ヴァイオリン奏者が奇数だったのを奇異に思われた方も多いはずだ。楽団事務局に照会したところ「リハーサルまでは10人でしたが、喘息の発作が起きて降板。そのまま9人で本番に臨みました」とのこと。色々ありますね。


東京交響楽団フィナーレコンサート「原田慶太楼のアラビアンナイト(千夜一夜物語)」(8月10日)原田慶太楼(指揮)、景山梨乃(ハープ)、水谷晃(ヴァイオリン・ソロ&コンサートマスター)

①ショスタコーヴィチ「祝典序曲」

②グリエール「ハープ協奏曲」

ソリストアンコール:ルニエ「いたずら小鬼の踊り」

③リムスキー=コルサコフ「交響組曲《シェエラザード》」


※この項のみ、ミューザ川崎シンフォニーホールのHP中の「ほぼ日刊サマーミューザ」に載せた拙稿のリプロダクションです。


2021年4月の正指揮者就任が内定した原田による「アラビアンナイト(千夜一夜物語)」だが中近東ではなく、ロシア〜旧ソ連の3人の作曲家の特集だ。「首席奏者をソリストに立てたい」という原田の希望に沿ってグリエールのハープ協奏曲では景山、《シェエラザード》では景山と水谷、さらにチェロの伊藤文嗣らが素晴らしいソロの腕前を発揮した。

ショスタコーヴィチの《祝典序曲》(1954)。原田はプレトークで「1975年に亡くなった作曲家の命日(8月9日)翌日に当たるので」としたが、旧世代には日ソ中立条約をソ連が破棄し対日参戦した1945年8月9日の記憶もあり、旧ソ連体制とのせめぎ合いの下に作曲を続けたショスタコーヴィチの錯綜した人生を思った。終戦翌年の1946年に発足した東響には、ショスタコーヴィチの交響曲を数多く日本初演した自負もある。原田は第1ヴァイオリン14(人)型(対向配置)のサイズまで戻った東響をフルに鳴らし、コーダ(終結部)手前ではパイプオルガン下に10人の金管楽器奏者も招き入れて豪快に盛り上げた。

景山は自身が所有する米ライオン&ヒーリー・ハープス社製の楽器を持ち込み、協奏曲だけでなく、リムスキーのオケ中ハープにも使用した。アンコールのルニエ作品でより明確に認識されたと思うが、ミューザの音響特性とハープの相性は抜群だ。私は昨年、フランス人男性奏者グザヴィエ・ドゥ・メストレがトゥガン・ソヒエフ指揮NHK交響楽団と同じ曲を演奏するのも聴いた。景山はポジティブな意味でのジェンダー(性差)を際立たせ繊細で華やか、たっぷり情緒をたたえて安定したソロを披露した。原田は弦楽合奏のメロウなサウンドを保ち、体のバネを生かした柔軟な棒さばきでソロにぴたりと付ける巧みさを発揮した。

《シェエラザード》では指揮棒を持たず、全身を駆使したボディランゲージで東響をさらなる頂点へと駆り立てた。ゆっくりめのテンポで強弱、緩急の振幅を大きくとり、作為的なドラマトゥルギー(作劇術)よりも、シークエンスごとの物語の「像」をくっきりと活写する路線に徹した。水谷の〝水も滴る〟美音、景山の積極的な踏み込み、伊藤の雄弁…と木管の巧みなソロ、金管や打楽器のパワーがゴージャスな弦楽合奏の絨毯の上に乗り、見事な「千夜一夜物語」を描いた。聞けば「弦楽器の音の出し方、ティンパニと金管楽器のタイミングを変え、アンサンブルの正確さよりも伝えたい感情を大事にするリスクをとって振りました」という。東響サウンドが原田とともにどう変化するのか、ますます楽しみになった。

このエンターテインメント感覚あふれるストーリーテラーぶり、ゴージャスなサウンドはどこかで聴いた記憶がある。そう、「シェエラザード」を得意にしたレオポルド・ストコフスキーだ! 彼の勇退後にアメリカン・シンフォニー音楽監督を引き継いだ東響桂冠指揮者の秋山和慶にも一脈通じる合衆国流指揮芸術(アート・オブ・コンダクティング)の系譜を原田が(間接的に)引き継ぎ、東響でポストを得た歴史の配剤の妙に、最後は思いが至った。

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