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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

フェスタサマーミューザ6公演レビュー夜中の上海国際空港で一気に書き上げた

更新日:2019年8月6日


15回目を迎えたミューザ川崎シンフォニーホール主催の「フェスタサマーミューザ」。単なる首都圏オーケストラ(今年は仙台フィルハーモニー管弦楽団も初参加)の顔見せではない。優れた音響によって世界の評価を高めてきたホールの強みを生かし、選りすぐりの指揮者とソリスト、曲目を競い合う企画コンペの様相を強めつつある。自分は今年、2019年7月27日オープニングの東京交響楽団から8月4日の仙台フィルまで、6つのオーケストラを聴き比べることができた。


7月27日 ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団

パリー・グレイ(ノット編)「ザ・ベスト・オブ・サンダーバード」

リゲティ「ピアノ協奏曲」(独奏=タマラ・ステファノヴィッチ)

ベートーヴェン「交響曲第1番」

ミューザをフランチャイズ(本拠)とする東響は毎年のオープニング、クロージングを担う。音楽監督ノットは凝ったプログラミングに定評があるが、今回ほど特別な入れ込み、激しいテンションで指揮する機会は稀だ。それもそのはず、初めて親に連れられて映画館で観て、音楽に打ちのめされた特撮作品が「サンダーバード」だったのだという。自身がオーケストラ組曲に仕立てた「スペシャル・セレクション」の「ザ・ベスト」は今年のホール改修の目玉の1つだった最新の音響装置を生かし、「5、4、3、2…」とカウントダウンする英語の音声で始まった。「大きな困難にもひるまず立ち向かい努力し、不可能を可能にする姿、これは私の音楽家としての気持ちの持ち方の原点ともなっています」。ノットが「サンダーバード」から受けた〝啓示〟はそのまま、リゲティやベートーヴェンの創作精神にも当てはまる。


ユダヤ系ハンガリー人のリゲティは身内の多くがナチスのホロコーストの犠牲となり、さらにハンガリー動乱で命からがら「西側」へ逃れた過酷な前半生、前衛と目された作風にもかかわらず、ヨーロッパの歴史に根差し、どこまでも人間を信じる温かい音楽を遺した。「ピアノ協奏曲」はノットが最初に指揮したリゲティであり、作曲者に「今後もぜひ、私の音楽を指揮してほしい」と言わせしめた作品。ピエール・ローラン・エマール夫人であるステファノヴィッチは超絶技巧の持ち主ながら、作品を完全に手中に収め、人肌の温もりすら感じさせる余裕をみせた。2人で分担する場合も多い複雑な打楽器パートは今回、女性奏者が1人で担い、鮮やかに描ききった。


日本で亡くなった往年のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団コンサートマスター、晩年は指揮に専念したゲアハルト・ボッセは生前よく、私に「J・S・バッハの死後たった50年でベートーヴェンが『交響曲第1番』を世に送り出した事実に、ただただ驚く」と語っていた。作曲家が宮廷音楽家からフリーランスへ大きな一歩を踏み出した時代のパイオニア、ベートーヴェンは交響曲の改革者でもあった。一般には第3番「英雄」を〝大爆発〟の原点とみる説が幅を利かすなか、ノットは「すでに第1番から、何かが始まっていた」との視点を強く打ち出し、第2楽章半ばに大胆な表情の変化を与えた。超高速テンポで即興を次々に繰り出す指揮を当惑するどころか面白がり、どこまでも食らいついていく東響の楽員たちも素晴らしく、音楽監督にしか出せない水準の音が聴けた。終演後の楽屋で「3曲とも過去ではなく、未来を語る作品で共通していた」と、マエストロに感想を伝えると「そうなんだ。共感してもらえて嬉しい」と、大喜びだった。


7月28日 上岡敏之指揮新日本フィルハーモニー交響楽団

ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」(独奏=小川典子)

プロコフィエフ バレエ音楽「ロミオとジュリエット」組曲から

中堅から大家の域に達しつつある同世代の日本人2人が究めるロシア音楽の世界。小川は地元出身で計画段階からミューザに積極的に関わってきたため、客席に格別の親密さが漂う。若いころはロシア物の協奏曲を男勝り、バリバリ弾く感じだった。ラフマニノフの協奏曲もBISレーベルの録音がある。だが今回の演奏は、鍵盤を真摯に見つめて真正面から対象と向き合う基本に変わりはないものの、誇張を抑え、淡彩画風の味わいの中で全てを語る傾向が顕著だった。濃厚なロシア風味、作曲家の心の〝地底〟からドロドロ湧き上がるマグマのような情感の再現はもっぱら、ピアニストとして自らもラフマニノフの協奏曲をレパートリーとしてきた上岡の担当だった。思わぬ箇所で低弦のうねりがガーッと前面に出てきたりして、耳が離せない。ピアノとの「合わせ」の難所も多い作品だが、上岡の動物的運動神経とも言うべき柔軟な指揮は、恐ろしいほどの精度で小川を支え、呼吸を一致させていた。唯一、エキストラが多い金管セクションは上岡の棒を消化しきれなかったのか、多少の不満を残した。小川は熱い声援にこたえ、アンコールに同じ作曲家の「前奏曲作品39の1」を弾いた。


プロコフィエフでの上岡は究極の「弱音攻め」を通じ、今や新日本フィルを完全に掌握、独自の個性を主張できるアンサンブルへと復調させた現状を明確に示した。題名が想起させるロマンティックな雰囲気よりも、人間どうしの抗争がもたらす無意味な死の冷酷を直視、どこまでもシリアスな音楽として追いつめる。1972年、旧日本フィルから独立した時期からの弱点だった弦、特に低弦の厚みが目覚ましく改善したのも、名曲を基本から洗い直し、みっちりとリハーサルを重ねる音楽監督の功績だろう。荒川洋のフルートをはじめ、木管のソロにも深い陰影があった。


7月29日 アラン・ギルバート指揮東京都交響楽団

ヴォルフ 「イタリア風セレナーデ」(レーガーによる管弦楽版、ヴィオラ独奏=鈴木学)

レスピーギ 「リュートのための古代舞曲とアリア」第3組曲」「ローマの噴水」「ローマの松」

2018年4月に首席客演指揮者に就いたアラン・ギルバートと東京都交響楽団の関係は目下、絶好調のようだ。前週の定期演奏会、日本とオーストリアの外交関係150周年を記念したモーツァルト、ブルックナーのプログラムで大成功を収めたのに続き、7月29日のフェスタサマーミューザでは一転「名匠のガイドで聴くイタリアン・プログラム」に挑み、客席を熱狂の渦に巻き込んだ。


メインはイタリア近代の作曲家レスピーギ。「ローマ3部作」から「祭り」を除いた「噴水」と「松」が後半で、前半の「リュートのための古風な舞曲とアリア」第3組曲の前には敢えてドイツ・ロマン派のヴォルフが作曲した「イタリア風セレナーデ」(管弦楽版)を載せる凝ったプログラム。ヴォルフではヴィオラ独奏にクレジットされた都響ソロ・ヴィオラ奏者の鈴木学だけでなく、首席チェロ奏者の古川展生も甘美な音色のソロを披露した。アランは同じくヴィオラ・ソロが活躍するベルリオーズの交響曲「イタリアのハロルド」にも似た、ヨーロッパ人共通のイタリアへの憧れを巧みに描いてみせたといえる。


弦楽合奏曲、大管弦楽のための作品のレスピーギ3曲を通じ、アランが最も表現したかったのはダイナミックな音響の対極にある繊細な感覚美だった。「古代舞曲」では弦の艶やかな響きと豊麗な歌心、陰翳礼讃の美意識で都響の多彩な表現力を明確に示した。「噴水」はもちろん、客席上方に管楽器を配し、サラウンド的な音響効果を計算に入れた「松」でさえ、金管の力みやケバケバしさを抑え、鳥の鳴き声のエフェクトも控えめに処理する。代わりに木管のソリスティックな魅力や、弦の弱音の繊細な表現世界をとことん極め、確かな余韻を残したあたりに、アラン自身の円熟もはっきり刻まれていた。

※「ほぼ日刊サマーミューザ朝刊」に掲載したレビュー拙稿を転載。


7月30日 川瀬賢太郎指揮神奈川フィルハーモニー管弦楽団

ボッケリーニ(ベリオ編曲) 「マドリードの夜警隊の行進」

ロドリーゴ 「アランフェス協奏曲」(ギター独奏=渡辺香津美)

シャブリエ 狂詩曲「スペイン」

ファリャ バレエ音楽「三角帽子」第1組曲&第2組曲

前日のアラン&都響が素晴らしかった上、初めて挑む作品や異色のソリストの共演を含むにしては短いリハーサル時間だったと聞き、少し心配していたが、杞憂に終わった。若手から中堅に差しかかったにもかかわらず、結婚後、少年らしいビビッドな雰囲気が戻った感じの川瀬と2人のコンサートマスター(﨑谷直人、石田泰尚)のトリオが牽引する神奈川フィルの好調、結束が制約をはねのけ、最大限の効果を発揮した。ボッケリーニは切り立ったリズムが、編曲者ベリオの指揮したロンドン交響楽団盤よりも際立ち、古典の現代的再生の真価を明らかにした。


協奏曲に迎えられた〝異業種〟のギタリスト、渡辺はアンティークのアコースティックギターにこれまたヴィンテージ物のアンプをつなぎ、クラシック系の奏者よりも大きな音量で「アランフェス」に挑んだ。ヴォーカルなら「ハスキー」と呼ぶのだろうか、独特の節回しの折々で、意図的に音が抜ける。第1楽章では違和感もあったのだが、「恋のアランフェス」や「スケッチ・オブ・スペイン」に転用された第2楽章以降、むしろ唯一無二の個性を楽しむ気分に浸った。渋い!としびれた。


後半も前半と同じ「つくり」で、他国の作曲家が描くスペインと、スペインの作曲家の組み合わせ。ボッケリーニで立証した通り、シャブリエでも弾けるリズムが色彩感を増幅させていた。ファリャでは、より濃厚な情緒を強調する路線に踏み込まず、現在の川瀬と神奈川フィルの特長である「若さ爆発」に徹し、客席の熱狂を誘った。アンコールのビゼー、歌劇「カルメン」前奏曲も、激しかった。


4日連続で「フェスタサマーミューザ」を聴いて、オーケストラの実力差が予想以上に小さく、それぞれに響きの傾向を異にする実態を克明にフォローできた。指揮者は4人とも音楽監督、首席指揮者、首席客演指揮者と固定ポストの持ち主で、世代が少しずつ異なるから、資質の根本だけでなく、オーケストラの鳴らし方や解釈における心技両面の発展段階も仔細に観察。サマーフェスタ、いよいよ夏場にふさわしいゴージャスな「歌(音楽)合戦」の様相を呈してきた。


8月3日 原田慶太楼指揮NHK交響楽団

ヴェルディ 歌劇「運命の力」序曲

ガーシュウィン 「ラプソディ・イン・ブルー」(ピアノ独奏=反田恭平)

ボロディン 歌劇「イーゴリ公」から「だったん人の踊り」

ラヴェル 「亡き王女のためのパヴァーヌ」

ブラームス 「ハンガリー舞曲」第1、5&6番

エルガー 行進曲「威風堂々」第1番

7月31日&8月1日で福島県白河市の文化交流館コミネスを往復、自分が企画制作した「福島3大テノール」(伊藤達人、菅野敦、小堀勇介、音楽監督とピアノも同県人の佐藤正浩)のデビュー公演のゲネプロ、本番を済ませて大急ぎ、ミューザへと戻った。今年34歳、17歳で米国へ渡る前の日本時代もインターナショナルスクール育ちというコスモポリタン、原田慶太楼のN響デビューがサマーフェスタミューザ川崎で実現するのは、絶対に聴き逃せない。しかもコンサートマスターの伊藤亮太郎以下すっかり世代が交代、楽員の平均年齢が在京オケ中の下から2番目と若返ったN響を相手に「タメ口」でばんばん、ショウマンシップ満点の要求を出し、伝統の「日本一気難しいオーケストラ」をエル・システマのベネズエラ、かつてのグスターヴォ・ドゥダメル指揮シモン・ボリバル・オーケストラみたいな〝踊る集団〟に変身させてしまった力量は傑出している。


シンシナティ交響楽団だけでなく、かつてエリック・カンゼルが君臨したシンシナティ・ポップス・オーケストラのアソシエイト・コンダクターを兼務してきたので、真夏の音楽祭の日曜昼公演にどのような客層が集まり、何を求めているかも熟知しているようだ。ソリストの反田恭平の人気もあってチケットは早々に完売したが、反田を目当てに集まったファンにも、原田のアメリカン・スタイル全開で輝かしく、フルにオーケストラを鳴らす力量と名前はしっかり、記憶されたに違いない。冒頭の「うんりき」からして全身振りの派手なジェスチャー、熱く切り立った響きで客席を圧倒した。


反田のラプソディは自ら事務所を設立、今までの日本楽壇の王道・定番とは一線を画す姿勢を鮮明にした若い個性派ピアニストの心意気を反映するかのように、気合の入った演奏だった。龝吉敏子に取材したとき、「ガーシュウィンはジャズですか、クラシックですか?」と質問したら、「ジャズでもクラシックでもない、ガーシュウィンという1人の天才が創造した音楽です」との答えが返ってきた。反田の解釈はまさに、その点を巧みにとらえて秀逸。これでもう少し脱力というか、自身の演奏をリアルタイムで客観視する冷静さが備われば、最強音で気になる音色の濁りも解消することだろう。慶太楼の指揮はご機嫌この上なく、先日の小川典子と上岡敏之に似た「世代を共有する者」どうしの連帯感も漂わせ、素敵なコラボレーションに実を結んだ。数年前、東京芸術劇場の「N響ジャズ」でジャズの山中千尋トリオと同曲を共演して以来、めちゃくちゃスウィングするようになった首席クラリネット奏者、松本健司の妙技もマックスに達していた。反田のアンコールがショパンの「子犬のワルツ」というのも人を喰っていて、面白かった。


後半の名曲特集でも首席奏者たちのソロは光ったが、それが実は、チェロやヴィオラで特定の音型を強調するなど、意外に芸が細かい原田の巧みな棒さばきによって、普段以上の見せ場を与えられた結果なのだということに、遅ればせながら気づいた。アンコールはドゥダメルとシモン・ボリバルの十八番だったヒナステラの派手な舞曲「マランボ」。原田は楽員のみならず、客席にも手拍子、足踏みでの「参加」を求め、ミューザに破格の熱狂をもたらした。N響理事長が「いやあ、今日はN響らしくないN響でした」と(もちろん褒め言葉で)顔を輝かせていたのが印象に残る。大成功のN響デビュー!


8月4日 高関健指揮仙台フィルハーモニー管弦楽団

ストラヴィンスキー 「サーカス・ポルカ」

チャイコフスキー 「ヴァイオリン協奏曲」(独奏=郷古廉)「交響曲第4番」

こちらはオーケストラにとってのミューザ川崎デビューが、サマーフェスタの枠で実現したケース。東北新幹線の最速列車は仙台・大宮間がノンストップ、あっという間に着いてしまうので、かつて大宮ソニックシティの休日マチネに当時の音楽監督、外山雄三指揮で出演した際は日帰りだったが、今回はサウンドチェックにも入念を期し、1泊2日の日程が組まれた。仙台市は終演後2時間あまりで震度5の地震に見舞われたので、振り返れば、奇跡のタイミングの公演だった。レジデント・コンダクターの高関健、宮城県出身でウィーン本拠の郷古廉と楽団に縁の深い人選で臨み、SNSや口コミ、友人県人関係などを通じ積極的にチケットを販売した結果、初来演にもかかわらず、満席の快挙を成し遂げた。


以前にフランソワ・クサヴァー=ロト指揮の読売日本交響楽団とベルクの協奏曲を共演した折にも感じたが、郷古のヴァイオリンは大見得や無駄口、誇張といった「昭和様式」が皆無なので一見(一聴)クールに響くが、隅々まで解釈を練りこみ、スタイリッシュに整えられたフォームの中に実に細かなニュアンス、自身の発見の数々が散りばめられている。ダンディな演奏とライフスタイルで一世を風靡したロシア系の名手、ナタン・ミルシテインを想起させる何かがある。さすがにチャイコフスキーともなると、淡麗辛口だけでは対処できず、第3楽章の燃焼と激しい追い込みでは、ヴィルトゥオーゾ(名手)の側面が全開になった。アンコールのイザイはクール&ビューティのデフォルトに回帰、惚れ惚れとする美音で複雑な作品をくっきりと再現した。


私が「音楽の友」誌に原稿を書き始めたのは、広島市に転勤していた1986年。渡邉暁雄が広島財界挙げての招致により、広島交響楽団再建の切り札として音楽監督を務めていた時期だ。渡邉は任期半ばで病を得て、自身の弟子ではないにもかかわらず、実力の割に地味な位置にとどまっていた高関を後任に指名した。以来35年近く、高関の演奏を国内外で聴いてきた。最初は齋藤(秀雄)指揮法の嫡子ともいえる優秀なバトンテクニックとカラヤン直伝(高関は日本で1回だけ開かれたカラヤン指揮コンクールの優勝者で長く、ベルリンで直接の指導を受けた)のオーケストラビルディング、次いで手稿譜から最新の改訂版、編曲版にいたるまでのあらゆるスコアに通じた研究熱心と学究に感心した。


いつも「見通しいい演奏をするマエストロ」というデジタル系の感触だったが、ここ5年くらいの間に、長く内面に秘めてきた激しい芸術家の衝動、長く人生をともにしてきた作品への思いといったアナログ系の味わいがグンと増してきた。「サーカス・ポルカ」の破壊的ユーモア、チャイコフスキーの協奏曲第3楽章の果敢な追い込み、ケバケバしくなりがちな交響曲で弱音の美から出発した音色を積み重ね、自然なクライマックスへと導く呼吸などのすべてが、高関が獲得した円熟の証だった。アンコールが「悲愴」交響曲の第3楽章というのも新鮮。ネット上に「ここで堂々、拍手できる幸せを味わった」と書き込んだ人がいた。


仙台フィルは考えてみれば、N響より平均年齢の高い練達の演奏団体だ。地方中核都市の落ち着いた暮らしを反映した、地に足のついた響きが何とも言えない味わいと安定感を醸し出し、好感度を高める。遠来の客人を迎える川崎の聴衆のマナーも温かく、感動の幕切れとなった。終演から5時間半後、私は羽田からザルツブルクへ向けて旅立ち、今年のサマーフェスタを卒業した。


「音楽の街づくり」を掲げる川崎市は、ザルツブルク市の姉妹都市。東日本大震災でミューザ川崎シンフォニーホールが大きな被害を受けたとき、ザルツブルク音楽祭はアンナ・ネトレプコ(ソプラノ)らが出演したガラコンサートで多額の義援金を集め、川崎市に送った。ミューザ再開記念コンサートにはヘルガ・ラーブル=シュタットラー総裁、アレクサンダー・ペレイラ総監督(当時)、ウラ・カルヒマイヤー広報本部長が駆けつけ、私とも旧交を温めた。8月6日から6日間、6年ぶりに滞在するザルツブルクの祝祭(音楽祭)は100年の歴史を誇る。今回はエネスク「オイディプス」、ケルビーニ「メデ」、ヘンデル「アルチーナ」、テオドール・クルレンツィスがフライブルク・バロック・オーケストラを指揮するモーツァルト「イドメネオ」など凝ったオペラの取材にポイントを置く。一方でジョナサン・ノット指揮ウィーン放送交響楽団など「日本的」な顔触れに再会、ウラの顔を久しぶりに拝むのも楽しみだ。さすがにジョナサン、ザルツブルクで「サンダー・バード」を演奏するにはあと何年か、かかるだろう。ミューザ川崎のメリットも再確認しつつ、最初は「冗談だろ?」と思えた姉妹都市関係が太い音楽の絆に実りつつある実態を確かめる旅と気づいたのは、ザルツブルクに着いた直後だった。

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