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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

ノーノとマーラー一体に〜高関健の第50回サントリー音楽賞記念コンサート


コロナ禍のために開催が遅れていた高関健の第50回サントリー音楽賞受賞記念コンサートを2022年8月12日、サントリーホールで聴いた。オーケストラは2015年から常任指揮者を務める東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、コンサートマスターには東京藝術大学准教授で藝大フィルハーモニアのコンサートマスター、植村太郎が客演した。


私にとって、高関は不思議な縁のある指揮者だ。たいがいの駆け出し新聞記者が経験する地方勤務、自分は広島支局で入社4年目から3年間(1984〜1987年)を過ごした。当時の広島交響楽団は再建の切り札として重鎮の渡邉曉雄を音楽監督に招き、急速に演奏力を高めつつあったが、「音楽の友」誌には批評が載らず「ぜひ載せてほしい」と投書したところ、すぐに当時の堀内美也子編集長から「新聞記者なら自分で書けますよね」と返事が来て、今に続く「広島の演奏会から」のコラムが新設された。病を得て志半ばで退任した渡邉の指名を受け1986年、音楽監督に就いたのが高関だった(1990年まで)


同年に開いたサントリーホールを初めて訪れたのは、アコーディオンの御喜美江の公演で、高関が新日本フィルハーモニー交響楽団を指揮していた。以後、群馬交響楽団や仙台フィルハーモニー管弦楽団、アマチュアの新交響楽団などで高関を聴き続け、東京藝大の学生オーケストラが高関の指揮でベルリンの音楽祭「ヤング・ユーロ・クラシック」に招かれた際も取材に駆けつけた。東京シティ・フィルとの演奏も折に触れ、聴いている。だからといって特に親しいわけではなく、ただ同世代(高関が3歳上)の1人として淡々と見守ってきた。


ルイジ・ノーノ(1924ー1990)最後のオーケストラ作品はサントリーホール開館時、武満徹が企画した「国際作曲委嘱シリーズ」の一環で1987年11月28日、高関が東京都交響楽団を指揮して世界初演した(長木誠司氏の解説より)。もう、四半世紀(25年)が過ぎている。ステージ上だけでなく、客席の6か所にアンサンブルを配置、意表を突くタイミングで繊細から凶暴まで、様々な音を客席に突きつける。今も刺激的といえば刺激的だが、「前衛の古典」の妙な懐かしさも覚えた。


この「色々な音がくっきりと聴こえ、古典の距離感を兼ね備えた」という部分はそのまま、マーラーの「交響曲第7番《夜の歌》」の演奏解釈の基本として引き継がれ、ものすごく、知将(知匠)高関らしいプログラミングだと納得した。2013年1月の新交響楽団第220回演奏会でブルックナーの「交響曲第5番」を指揮した頃から、長年の楽譜研究の徹底や音響構築力の確かさに、内面の様々な感情の率直な吐露が加わってきたように思う。今回のマーラーも主知的かつモダンでありながら、マーラーと時代を共有した社会、人間の諸相が肉声のように浮かんでは消え、味わい深い演奏に仕上がっていた。弦は第1、第2ヴァイオリンを左右に分けた対向配置で、ヴィオラを第1ヴァイオリンの隣に置き、コントラバスは上手(客席から見て右側)のままでチェロと一体の低弦セクションを確保していた。ホルン、トランペット、フルートなどシティ・フィル本来の首席、ヴィオラ首席に客演した広響の安保恵麻ら、女性奏者がマーラーの巨大交響曲で全力投球する時代の到来にも、目をみはった。

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