
埼玉県秩父市出身の若いバリトン歌手、佐藤健太とは何年か前、音楽業界の忘年会で知り合った。フランス歌曲に傾倒し、ドビュッシー没後100年の今年、仲間の声楽家や器楽奏者に声をかけ、「クロード・ドビュッシーを讃えて〜没後100年記念コンサート〜」を企画した(10月2日、杉並公会堂小ホール)。いくつか器楽曲を挟みながら、前半に初期、後半に後期の歌曲を配した素敵な選曲。入場料も3千円と安かったので、早々とチケットを申し込んだ。テクニックは荒削り(特に弱音と最高音の支え)ながら素晴らしい美声と集中力で聴衆をぐいぐい引き込む佐藤のほか華麗なコロラトゥーラ(装飾唱法)の高音が輝き、大きなパッションを放つソプラノ利根川佳子、ソプラノ「すっぽ抜け」ではない本格的なメゾソプラノの音色を備え、クールな佇まいがフランス音楽への適性を示す鈴木綺夏(あやか)の女声2人。器楽は確かなテクニックとニュアンス豊かなヴァイオリニストの迫田圭と、「話し出したら止まらない」という博覧強記で、フランス音楽の様式やドビュッシーのピアニズムを深くとらえたピアニストの虫明知彦。それぞれがドビュッシーと真剣に向き合っていた。
先ずは画像にアップしたプログラムをご覧いただきたい。ドビュッシーという作曲家の「ある断面」を精確に仕留めた選曲だが、集客は(日本の現状では)ほとんど期待できない。それぞれが親類縁者、友人関係、師弟関係を駆使した客席がそれぞれの楽曲に通じている訳もなく、連作歌曲でも1曲ごとに盛大な拍手が入る。かつて内田光子が私に「もう大人だから、こんなエロティックな世界に浸ってもいいでしょう」と語った「ビリティスの歌」など、曲間の拍手が濃厚なエロスを薄めしまったのは残念だった。でも、これは演奏者がトークでコントロールすれば済む話。かなり「喋り」の多いコンサートだったが、ドビュッシーへの傾倒を熱く語るだけではなく、「次の3曲は一括りですから、途中の拍手はお控えくださいね」とか、さりげなく聴き方のサジェスチョンも与えるべきではなかったかと、年季の入った聴き手は思う。もちろん1曲ごとに拍手したくなるほどの、熱演ではあったのだが。
先月末、自分の還暦コンサートを企画した際、無理なく人を動員できる座席数のホールで、競合企画と同水準の入場料を設定、幸運にもすべて有料入場者で埋めたとしても、なかなか黒字にはならないと実感した。私の場合は長年のお付き合いの感謝で一度きりだったから、それでいいが、プロとして日々研鑽し、折に触れて成果を問う日本の演奏家たちが置かれている状況は、一握りのスターを除き、とても厳しい。意欲的な企画にすればするほど、客足が遠のく傾向も否めない中、自分たちの持てる能力すべてを費やし、ドビュッシーという1人の大作曲家に捧げ尽くした昨夜の演奏家たちの心意気こそ、全面的な称賛に値しよう。
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