• 池田卓夫 Takuo Ikeda

ソロからチェロ岡本侑也とのデュオへ〜2022年春の河村尚子「祭」も絶好調〜


紀尾井ホールから東京文化会館小ホールへ、多くの方々と2晩を共有した

河村尚子ピアノ・リサイタル(2022年3月24日、紀尾井ホール)

シューベルト プロジェクト 第1夜

「即興曲第3番(遺作)変ロ長調D935(作品142)−3」

「ピアノ・ソナタ第18番ト長調D894《幻想》」

「3つの小品より第1番変ホ短調D946」

「ピアノ・ソナタ第19番ハ短調D958」

アンコール:「即興曲第2番変イ長調D935(作品142)−2」「糸を紡ぐグレートヒェン(リスト編曲)」、J・S・バッハ(ペトリ編)「羊は安らかに草を食み」BWV208


岡本侑也(チェロ)&河村尚子(ピアノ)(3月25日、東京文化会館小ホール)

ドビュッシー「チェロ・ソナタ ニ短調」

ナディア・ブーランジェ「チェロとピアノのための3つの小品」

プーランク「チェロ・ソナタFP143」

ブラームス「チェロ・ソナタ第2番へ長調作品99」

アンコール:リリ・ブーランジェ「ノクターン」、シューマン「献呈」、ドビュッシー「美しい夕暮れ」


河村(1981ー)がクララ・ハスキル国際ピアノ・コンクールに優勝した2年後、2009年にBMG(現在はソニーミュージックに統合)と契約、最初のディスクをリリースしてから聴き続け13年。当時存命だった中村紘子さんが「品格のある演奏」と絶賛したのを思い出す。2019年からベートーヴェンのリサイタル、レコーディング(ソニー)を並行して手がけるあたりから凄みを増し、40代にして巨匠の風格を漂わせつつある。2022年は3月に第18&19番、9月に第20&21番と計4曲のソナタを軸にした「シューベルト プロジェクト」を日本で展開する。作品142の3の「即興曲」を弾きだした瞬間に世界を覆う物憂げな日常から離脱、「聴こえざるものを聴き、見えざるものを見る」感覚に陥った。激しく心を揺さぶるフォルテッシモから絶望の中に希望の光が明滅するピアニッシモまで表現の幅は広く、シューベルトがまさしく、ベートーヴェンの後継者だった実態を明らかにしていく。


後半。「3つの小品」第1曲では強い焦燥感を漂わせながら幾分早めのテンポをとり、現代に通じるシューベルトのメッセージを浮かび上がらせた。アタッカ(切れ目なし)で入ったソナタは葛藤の連続で、間のとり方も絶妙。次第にシューベルトが2022年の世界に現れ、河村尚子という〝イタコ〟(霊媒?)を介して発言しているかの感触が漂った。第4楽章アレグロのタランテラを多くのピアニストがおめでたく、リズムの祭典のように弾きがちのなか、河村は陰翳の味わいを加味することを忘れなかった。最後の着地も健康そうでいて、どこか達観した諦念の余韻を残した。アンコールの最後にバッハが現れたとき、聴衆の多くは河村からの確かなメッセージを受けとったように思う。


お互いの本拠、ドイツでリハーサルを重ねたとはいえ、ヘヴィーなソロ・リサイタル翌日のデュオ。本編での河村は全く疲れをみせなかったが、アンコールの「献呈」で1箇所パッセージをとり違え、「やっぱり人の子」と妙に納得した。第一次世界大戦で「古き良き時代のヨーロッパ」の崩壊を予感したドビュッシーが6曲セットの古典的ソナタ作曲を構想、3曲で力尽きた中の1曲、「チェロ・ソナタ」の張り詰めた世界を河村は十分なソノリティー、岡本は多様な音色と表現で奥行き深く再現した。バンベルク交響楽団で首席を務めるドイツ人チェロ奏者と結婚しているだけに、チェロとのデュオは親しみ深い分野だと思われる。


本編とアンコールで長命だった姉ナディア(1887−1979)、夭折した妹リリ(1893ー1918)のブーランジェ姉妹の作品を聴けただけでも貴重な一夜だった。姉の力強さは続くプーランクに匹敵するか上回るほどなのに対し、妹の「ノクターン」は繊細の極みを描く。


岡本と河村は作曲家ごとの時代様式、語法、ジャズなど他ジャンルの音楽の影響などに目を配り、音色や奏法を巧みに変化させていく。プーランクのフィナーレ(第4楽章)、疾走する舞曲の快演を聴きながら、新しい世代の日本人演奏家が獲得したグローバルスタンダードの高さを思った。ブラームスではソロ、オブリガートの弾き分けや内面への沈潜、老いの情熱、ノスタルジーの発露など、作品が要求する表現のポイントを適確にとらえていた半面、あまりに精巧に組み立てられた音楽には2人の若さがそのまま、いくばくかの味わい不足として映し出された。非常に息が合い、音楽純度も高い組み合わせなので長く共演を続け、さらに深遠な世界へと進んでほしい。2022年春の「河村尚子祭」も絶賛のうちに終わった。

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