• 池田卓夫 Takuo Ikeda

サントリーホール「夏祭り」で極上の京料理を食した気分「板長」はピンチャー


今年は24日の1公演しか行けない!

サントリーホールの「サマーフェスティバル2021」。今年はどうにも日程が噛み合わず、8月24日のザ・プロデューサー・シリーズ「アンサンブル・アンテルコンタンポラン(EIC)がひらく〜パリ発ー『新しい』音楽の先駆者たちの世界〜」の「コンテンポラリー・クラシックス」の1公演だけを聴けた。合奏とソロはもちろんEICのメンバー、指揮はテーマ作曲家のマティアス・ピンチャー。前半が100分、20分の休憩をはさんだ後半が40分の長いコンサートだったが退屈する暇はなく、ピンチャーの「お立ち台」に至るまで熱狂が続いた。


細かい分析、批評は書かない。全体の印象は見出しに記した通り、極上の京料理を斬新なレシピとともに満喫した感じ。最初に「味の歴史」を俯瞰するよりすぐりの〝おばん菜〟4品が出て箸休めの後、非常に繊細で美しく味わいに富むメインが出た。すなわち前半はヘルムート・ラッヘンマン「動き(硬直の前の)」(1983/1984)、ピエール・ブーレーズ「メモリアル(…爆発的・固定的…オリジネル)」(1985)、マーク・アンドレ「裂け目(リス)1」(2015-2017/2019)、ジェルジ・リゲティ「ピアノ協奏曲」(1985-1988)と20世紀後半から21世紀初頭にかけての名作(リゲティ以外はEICの委嘱作)の卓越した演奏が並び、それなりに豊穣だった創作史を一気に振り返った。ブーレーズでのソフィー・シェリエのフルート、リゲティでの永野英樹のピアノと、EICメンバーのソロも冴え渡った。


ベートーヴェンやモーツァルトとは生きた時間を全く共有していないので、一定の距離感が予め設定されているが、少しでも人生の同時代性を持つ作曲家の作品に接する際は、聴く側の様々な状況、精神状態、体調などが複雑に絡み合いながら鑑賞体験を形成していく。私の場合、ラッヘンマンとブーレーズ、リゲティは直接インタビューした記憶があり、ピンチャーには世に出た当時から注目してきたので「ようやく生身を拝めた」という感慨も抱いた。


8月24日の自分は猛暑のなか久々に公共交通機関で移動し都内数か所でストレスの多い用事をこなし、カイロプラクティックで骨格矯正の施術を受けた後サントリーホールへ到着したため、かなり通常とは異なる精神・肉体コンディションだったと思う。今までビシッと理解できたはずのラッヘンマンからは明らかに拒絶され、長く肌が合わないと思っていたブーレーズの悲しみに満ちた美しさに、たまらなく癒された。アンドレが発想する風の音、とりわけ弦楽器のそれは感覚的にも洗練され良い曲だと思った。遊び心も存分に発揮しながら、なお迫り来る魂の厚みにおいてリゲティはやはり特別な作曲家だったと、改めて認識もした。


だが、圧巻は間違いなくEICの当代音楽監督のピンチャーが自ら指揮した「初めに(ベレシート)」(2013)の日本初演だろう。休憩後の午後9時から約40分間、感覚的に研ぎ澄まされて美しい響きが醸し出す幻想がしばしば、ある種の祈りの領域へと昇華する音楽の魔術に酔い、幸福な思いに浸り続けた。天地創造の瞬間とは、かくもエキサイティングなプロセスなのか。時にヴィルトゥオーゾ(名人)レベルの超絶技巧を要求される場面でもヴァイオリン、チェロをはじめ、EICメンバーの腕は「確か」以上の冴えをみせた。指揮者としてのピンチャーも明快な音のイメージを伴った確かな技術、隅々まで血を通わせた繊細な感覚で、かなりの水準にある。今回は日本では初の本格的なお披露目にもかかわらず、何度も何度も呼び出され、EICメンバー退出後に再びステージに現れるまでの反応は、ピンチャー自身にも想定外だったはずだ。長く続くフェスティバルの歴史に、特別な場面が付加された。

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