top of page
執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

エリアフ・インバルにつき思うあれこれ


舞台袖から小走りに出てきた晩もあったほどお元気

2022年12月の東京都交響楽団、桂冠指揮者のエリアフ・インバルが3年ぶりに健在な姿をみせ、3つの異なるプログラムを合計7回演奏した。今回は、すべてが面白かった。私が聴いたのは;

1)第962回定期演奏会Bシリーズ(12月13日、サントリーホール)

ヴェーベルン「管弦楽のための6つの小品」(1928年版)

ブルックナー「交響曲第4番《ロマンティック》」(ノヴァーク版:1874年第1稿)


2)第963回定期演奏会Aシリーズ(12月19日、東京文化会館)

ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第5番《皇帝》」ピアノ=マルティン・ヘルムヒェン

ソリスト・アンコール:シューマン「森の情景」第7曲「予言の鳥」

フランク「交響曲」


3)都響スペシャル「第九」(12月26日、サントリーホール)

ソプラノ=隠岐彩夏、メゾソプラノ=加納悦子、テノール=村上公太、バリトン=妻屋秀和、合唱=二期会合唱団(合唱指揮=増田宏昭)

ベートーヴェン「交響曲第9番《合唱付》」

ーーの3公演で、いずれも矢部達哉がコンサートマスターを務めた。


私がインバルの指揮に強い感銘を受けた最初は大学3年生だった1979 年11 月19 日、東京文化会館大ホールで聴いた日本フィルハーモニー交響楽団第317回定期演奏会、マーラー「交響曲第9番」である。時にインバル43歳。現在86歳なので、マエストロの人生のちょうど半分を付き合ってきた勘定だ。1988ー1992年のフランクフルト・アム・マインで新聞社の支局長を務めた時期、インバルはフランクフルト放送交響楽団の首席指揮者(1990年まで)だった。日本コロムビアとヘッセン放送協会の共同制作によるマーラー「交響曲全集」を通じて評価を高めつつあり、続くチャイコフスキーやベルリオーズの録音セッションには私も出入りした。日本から取材依頼を受け、インバルの自宅を訪ねたこともあった。


帰国後まもなく、マエストロは都響との関係を深めていった。都響は学生時代、最初に定期会員となったオーケストラでもあり、そこでインバルを新たに聴ける喜びは大きかった。同じころ20代前半の矢部はコンサートマスターに抜擢され、インバルとの30年にわたる共同作業が始まった。途中、インバルの音楽がどんどん外面に傾き、あるオーケストラとの来日公演に驚くべき杜撰な準備で臨んだ時点で距離を置いた。そして2018年3月31日、珍しくミューザ川崎シンフォニーホールで開かれた都響スペシャル、シューベルトの「未完成」とチャイコフスキーの「悲愴」の超ポピュラー交響曲の演奏会へ出かけた。隣席は何と、インバル夫人。「あら、お久しぶり! 我が家に日本人のお嫁さんが来たのよ。夫にも会ってください」と言われ、終演後の楽屋を訪ねた。マエストロは「三男坊を幼い頃から日本へ連れてきた甲斐があった」と相合を崩し、ヴィオラ奏者の息子が日本人コントラバス奏者と結婚するまでの経緯を延々説明した。あまりの喜びように接して以降、再び聴く機会が増えた。


コロナ禍を境に来日機会が減り、自身も感染したので体調を心配されたが、このたび現れたマエストロはものすごく元気で、演奏にも生気がみなぎっていた。ウェーベルンの玲瓏な音の切れ味、「これでは周囲が寄ってたかって改訂を勧めるよな」と思わざるを得ないブルックナー《ロマンティック》第1稿を意地でも面白く聴かせようと尽くす手練手管の限り、自分の半分くらいの歳のソリストを煽りに煽って新境地を引き出した《皇帝》、フランスの香気といった曖昧なイメージに敢然と背を向け、すべての音を克明に再現しつつブルックナーとの同時代性を際立たせたフランクーーと、あらゆる作品でインバルのケレン味が生きた。


極めつきは「第九」。豪速球型のテンポ設定でありながら、隅々まで彫り込まれ、繊細な音の美観にも事欠かない。第1楽章の革命的な破壊力はベートーヴェンのスピリットそのものに思えたし、第2楽章は大方のようにマッチョではなく、スケルツォに潜むエレガンスまで、もれなくすくいあげる。ティンパニや木管のニュアンスを細かく整えていたのも素晴らしい。第3楽章では様々な和声を鮮やかに浮かび上がらせ、色彩を微細に変化させていく。都響の管楽器セクションの妙技もたっぷり、味わうことができた。第4楽章もメリハリを効かせ「この部分はこう歌わせてほしい」という願いをことごとくかなえてくれる。それでいて「くさい芝居」は皆無で、交響曲の歴史の最高峰に位置する傑作の「品格」をどこまでも尊重している。ただ1箇所、「vor Gott(神の御前で)」を誰の指揮よりも引っ張ったあたりに、現在のインバルの心境が現れていたように思う。4人の独唱のバランスも良く、自分としては、今季の「第九」の真打ち登場といえた。

閲覧数:1,880回0件のコメント

Comments


bottom of page