• 池田卓夫 Takuo Ikeda

ウィーン→東京→キエフ→パリ 音楽の「おせち」を食べ歩いた4日間


元日だけ完全オフ、2020年は1月2日から4日連続で「ニューイヤー・コンサート」的な催しを聴き続けて明けた。


1)ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団「ニューイヤー・コンサート2020」

(1月2日、サントリーホール)

オーラ・ルードナー(指揮とヴァイオリン)、シピーウェ・マッケンジー(ソプラノ)、ミロスラフ・ドヴォルスキー(テノール)、バレエ・アンサンブルSVOウィーン


毎年の聴き初め。フォルクスオーパーのオーケストラ、指揮者、ソリストとも常連の顔ぶれで、ウィーンを中心とする中欧の肩の凝らない名曲の数々を、さらりと楽しませる。ルードナーはノルウェー人だが、ザルツブルク・モーツァルテウムで学び、フォルクスオーパーやウィーン交響楽団などでコンサートマスターを歴任するなど、ハプスブルク文化圏にどっぷり浸ってきた。カナダ出身のマッケンジー、スロヴァキア出身のドヴォルスキー弟も状況は同じで、ダンサー4人も含め、ウィーンの香りをふんだんに振りまく。


オーケストラは劇場がオペレッタだけでなくオペラも手がけ、シンフォニー演奏会を定期化して以降格段にアンサンブルとソロの精度を高め機能性を増した。「鄙びた味わいがなくなった」というのは、贅沢な注文だろう。開演寸前まで期間中のドリンクコーナーに利用するブルーローズ(小ホール)でシュランメルンを奏で、ロビーで〝年賀状〟を配り、前年までのサントリーでのライヴ録画DVDを即売するなど、昨今のウィーン・フィルやベルリン・フィルと同じく、日本の長年のStammgaeste(常連顧客)へのファンサービスに徹し、演奏の〝本気度〟がどんどん上がっているのが近年の傾向だ。


2)東京文化会館《響の森》Vol.45「ニューイヤーコンサート2020」

(1月3日、東京文化会館大ホール)

外山雄三(指揮)、横山幸雄(ピアノ)、東京都交響楽団


1931年生まれの日本最長老マエストロ、外山が自作の「管弦楽のための狂詩曲(ラプソディー)」を指揮する貴重な機会を逃すまいとの思いが一致したのか、チケットは完売で補助席が出た。前半に近衛秀麿(編)「越天楽」、バルトーク「ルーマニア民俗舞曲」、後半にリスト「ハンガリー狂詩曲第2番」、外山「ラプソディー」と最近のオーケストラ演奏会で聴くのが稀になったラプソディックでエスニックな小品を配し、中間に横山独奏のリスト「ピアノ協奏曲第1番」、ガーシュイン「ラプソディー・イン・ブルー」をはさんだ独特のプログラム。横山はガーシュインの後、リスト「愛の夢第3番」をアンコールに弾いた。


たった1日のリハーサルでは厳格な外山、機能性に富む都響とも究極の状態までは到達できなかったのか、アンサンブルにはところどころ綻びもあったが、往年のディック・ミネやトニー谷(わからない皆さんは検索エンジン、かけてください!)に一脈通じる「不機嫌芸」(片山杜秀さんの命名、本人はニコリともせず客だけを楽しませる)のマエストロの、ひたひたと押し寄せる音楽の凄みは健在だった。バルトークの〝ささくれだった〟感触、ガーシュインの「大紐育(ニューヨーク)」の漢字を想起させるスケールなどが心に残る。横山の演奏にも、ついに「ため」や「ゆらぎ」が出てきて、「愛の夢」に結晶していた。


圧巻は自作自演。1960年のNHK交響楽団初の世界一周ツアーに指揮者チームの1人として29歳で同行、アンコールのために作曲した「ラプソディー」はその後60年にわたって演奏され続け、すべての日本のオーケストラの海外公演に欠かせない名曲となった。私がナクソスのクラウス・ハイマン会長に「外山の《ラプソディー》の最新録音を制作しましょう」と提案したことが、膨大な「日本作曲家撰輯」シリーズの発端だった。記念すべき録音を担ったのが都響で、沼尻竜典が指揮した。今回は作曲家の自作自演。普段はキッチュに響きがちな様々の民謡の引用が必然性を伴って聴こえ、じっくりしたテンポと深い呼吸を維持する。「炭坑節」のあたりで不覚にも涙が出てきて、びっくりした。会場は沸きに沸き、アンコールなしでも「満腹」と思わせる着地になった。


3)「シルク・ドゥラ・シンフォニー」

(1月4日、Bunkamuraオーチャードホール)

シルク・ドゥラ・シンフォニー(サーカス&アクロバット)

ニコライ・ジャジューラ(指揮)、キエフ国立フィルハーモニー交響楽団


「コンサートホールにサーカスを」をコンセプトに、フルオーケストラとの共演だけを行う世界唯一のパフォーマンス集団として2006年に米国で旗揚げしたが、総合芸術監督のアレクサンダー・ストレルソフ以下、ロシアのアスリート出身者がメンバーの大半を占める。フィラデルフィア管弦楽団をはじめ世界100以上のオーケストラと共演、日本公演は2018年に続いて2度目で、ジャジューラとキエフのウクライナ国立響が年末のベートーヴェン「第九」ツアーの後に越年し、管弦楽を担当した。


ビゼー「歌劇《カルメン》前奏曲」に始まり、シベリウスの「交響詩《フィンランディア》」に至る18の名曲に合わせ、早変わりマジック、ジャグリング、シル・ホイール、バランシング・アクトなどのエンターテインメントが7人のパフォーマーによって次から次へと、繰り広げられる。中でも圧巻はエアリアルと呼ばれる宙吊り芸、空中遊泳で、7列目とかなり前方の素晴らしい席だったから、ほぼ頭上を人間が飛ぶ姿を目の当たりにできた。唯一の米国人メンバーの美女、ジェニス・マーティンは「世界唯一のヴァイオリン・オン・エアリアル」演技者を名乗り、宙吊り&逆立ちの体位でヴィヴァルディの「合奏協奏曲《四季》より《冬》の第1&第3楽章」、モンティの「チャールダッシュ」エレクトリック・ヴァイオリンを達者な腕前で弾き、唖然とさせた。


ジャジューラも時に演技でからみ、なかなかのエンターテイナーぶり。オーケストラは最初いかにも「伴奏お仕事」風のローテンションだったが、次第に客席の熱狂と呼吸が重なり、かなり力のこもった演奏に変化していった。文句なしに楽しいエンターテインメント。


4)尾関友徳ピアノリサイタルシリーズ「フランス音楽の縦糸」

(1月5日、代官山教会)

尾関友徳(ピアノ)


岐阜県出身の尾関は名古屋市立菊里高校音楽科から東京音楽大学へ進み卒業後、パリのエコール・ノルマルとパリ地方音楽院、ブリュッセル王立音楽院に留学した。まだ東京音大の学生だったころに知り合ったので、付き合いは10年を超える。帰国後は演奏だけでなく、ブリュッセルで吸収した古楽奏法も踏まえた演奏解釈のレクチャー、録音事業など多彩な活動を展開している。2019年11月にはC・P・E・バッハとベートーヴェンのソナタを奏で、録音と編集も手がけたファーストアルバム「PRINCIPES」を自主レーベル「Khaggavisana」から発売した。毎年初めに代官山教会でリサイタルを開くと決め、2年目の今年は前半にラモーの「バレエ音楽《優雅なインドの人々》から《未開人の踊り》」「組曲ホ短調」とラヴェルの「組曲《クープランの墓》」、後半に引き続きラヴェルの「高雅で感傷的なワルツ」「ラ・ヴァルス」というフランス音楽で固めた。楽譜を手に取りながら、心に浮かんだあれこれを自由自在に語るトークは極めてユニークだけど、内容が豊富なので飽きさせない。


代官山教会はれっきとしたプロテスタントの教会でありながら、礼拝堂には入念な音響設計が施され、タカギクラヴィア調整のニューヨーク・スタインウェイ(B型セミコンサートモデル)を備え付けている。尾関は「モダンピアノを弾く以上、ペダリングは必要」との考えに立ち、18世紀音楽のラモーにも少しだけペダルを使用したが、アーティキュレーションやフレージングにはピリオド(作曲当時の仕様の)楽器を学んだ成果が見事に反映され、フランスの鍵盤音楽を特徴づけるイネガル(不均等)奏法の再現にも抜かりはなかった。


ラヴェル、とりわけ「ラ・ヴァルス」のように多くの技巧派ピアニストが自身でさらに手を入れ、ばりばりのヴィルトゥオーゾ(名人芸)ピースとして処理されがちな作品でも、尾関の関心は音楽の内実の探究に集中する。新古典の時代に生きた作曲家がラモー、クープランらヴェルサイユ時代のクラヴサン(チェンバロ)音楽に対して抱いていたリスペクト、オマージュ、その直系後継者としての自負などが入念な読譜、音色や奏法の吟味を通じ、聴き手にしっかりと伝わる。一部の日本のピアニストは打鍵の精度を優先するあまり、指先を白鍵と黒鍵の境目の横一線に集中させてしまうが、1つの鍵盤の手前と真ん中、奥では「てこ」の原理からしても、ハンマーがピアノ線を叩く力が異なり、音色も変化する。尾関は指が鍵盤に落ちる位置の調整にも気を配り、ラヴェルの多彩な音色世界を再現した。アンコールは再び「未開人の踊り」で「縦糸」がつながった。欲をいえば、18世紀の楽曲でもっと大胆に即興の可能性を究めるべきだったとも思うが、聴き応えのあるリサイタルだった。

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