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LFJ東京2019「旅から生まれた音楽」〜モーツァルト、リスト、シベリウス

執筆者の写真: 池田卓夫 Takuo Ikeda池田卓夫 Takuo Ikeda

更新日:2019年5月5日


「後宮からの誘拐」、コンスタンツェのキャシディ(右)とセリムのステファンソン©️team Miura

子どものころから人混みが苦手だった。週末に父親と新宿や池袋に出かけると必ず、熱を出した。大人になって会社へ入り、まるで話せなかった英語、次いでドイツ語を何とか覚えても、フランス語は骨格の構造が徹底的に不向きなのか、最後まで未知の領域として残った。


フランス人プロデューサー、ルネ・マルタンが1995年に始めた破格の同時多演型音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ(LFJ=熱狂の日々)」を10年後にkajimoto、東京国際フォーラムなどとともに日本で始める前に本拠地ナントを訪れたときもパリと勝手が違い、英語が全く通じずに当惑した記憶しかない。会社員のうちは「私、苦手です」とパスできたが、フリーランスに転じたら「人の集まるところに仕事あり」と割り切り、ゴールデンウィークの東京国際フォーラムの人混み、フランス語満載の一帯に意を決して乗り込んだ(←大げさ!)。


「あれ、なんか勝手が違って楽しい」が、有楽町駅を降りての第1印象。15回目ともなれば、主催者側も観客も楽しみ方のコツを覚え、不必要なテンションが消えている。マルタンもすっかり「5月の東京の顔」と化し、フランス語を話せる話せない、フランス在住か否かと関係なく日本の有望な若手に網(粉?)をかけ、世界各地のLFJに誘うようになった。


2019年5月3日の「憲法の日」。4年ぶりのLFJ東京では(それでも)親子連れでごった返す時間帯を避け、夕方からの3公演を聴いた。今年のテーマは「旅から生まれた音楽」。


1)No.155 ホールD7 16:45-17:30 ミシェル・ダルベルト(ピアノ)

フランツ・リスト(1810〜86)は「イケメン・ピアニスト」の元祖。晩年こそ僧籍に帰依したものの、若いころはとにかく女性にモテた。1837年には愛人マリー・ダグー夫人とイタリア各地を回り、その印象を基に「巡礼の年第2年《イタリア》」を作曲した。ダルベルトは1975年のクララ・ハスキル、1978年のリーズと2つの国際ピアノコンクールを制覇して頭角を現したので、かなりのテクニシャンのはず。20年ほど前にインタビューしたとき「僕は40歳までは音楽家だったけど、以後、本当のピアニストになった」と、不思議な言葉を放った。普通なら「若いころは技巧家だったけど、年とともに音楽家になった」と、逆の発言をする。 だが2年前のリサイタルを聴き、ダルベルトが何を言いたかったのか、遅ればせながら理解した。筋金入りの技巧でピアノという楽器を芯から鳴らしきり、作曲家の記した音のすべてを克明に再現、余計な説明を交えずに音楽の核心に切り込む気迫がすごい。「イタリア」の第7曲(終曲)「ダンテを読んで」は自分もコンクール審査員として、幾多の轟音演奏に接しているが、ダルベルトは上半身の安定と見事な脱力で弱音から表現を組み立て、ごく自然な流れのうちに壮大なクライマックスを築いた。夜の音楽&大人のリスト。


2)No.146 ホールC 18:45-19:30 リオ・クオクマン指揮ウラル・フィルハーモニー・ユース管弦楽団

4月の首席指揮者ピエタリ・インキネンと日本フィルハーモニー交響楽団のヨーロッパ公演中に7回、帰国後の凱旋定期で1回、平成最後の演奏会となった4月30日のリュウ・シャオチャ指揮台湾フィルハーモニック東京公演でさらに1回と聴き、今回が10回目を数えるシベリウスの「交響曲第2番」。LFJが「北欧人が南国の旅で見たもの」のタイトルを添えたように、フィンランドのシベリウスがイタリア滞在中に作曲を進めた。当初は首席指揮者のモンゴル人エンへが振る予定だったが、来日直前に急病でキャンセル。現在フィラデルフィア管弦楽団副指揮者を務めるマカオ生まれ、NHK交響楽団や東京都交響楽団を指揮した経験もあるリオ・クオクマンが代役に呼ばれた。kajimotoの梶本眞秀社長によると「まるで遠いところにいたのだけど彼しかいなくて。初めて振るシベリウスのスコアを機内に持ち込み、フライトの間に猛勉強。ウラル・ユースとの初顔合わせに間に合った」という綱渡り。どうりで物凄いテンションだったが、美人ぞろいのオケともども表現意欲の塊みたいな演奏に仕上がった。傷はあっても「若いって、いいなあ」と素直に思える爽快感が優った。


3)No.127 ホールB7 20:30-22:30 ディーヴァ・オペラ「後宮からの誘拐」(モーツァルト)

梶本社長が数ある催しの中から「今年のイチオシ」に選んだコマ。3日間すべてに組み込まれた。ディーヴァ・オペラは1997年に発足した英国の室内オペラ・カンパニー。音楽監督のブライアン・エヴァンズがピアノ1台で”オーケストラ”を担い、キャメロン・メンシーズが演出と舞台監督を兼ねる。シャーロット・ヒリアーらの衣装デザインは時代設定に忠実で質感があり、舞台上には鉢植えや椅子、ついたて程度の簡素な装置。歌手は概ね英国人らしく、ドイツ語の発音に英語訛りの強い人もいたが、全員が芸達者。中でもコンスタンツェのガブリエラ・キャシディ、オスミンのマシュー・ハリーグリーヴズ、ペドリッロのリチャード・ダウリングの歌は優れていた。セリフだけの太守セリム、デイヴィッド・ステファンソンの演技にも風格があった。ブロンデのバーバラ・コール・ウォルトンは役柄にぴったりの可憐な容姿だが、声量が不足。主役ベルモンテのアシュリー・カトリングは装飾音をこなす技巧、ファルセットに移行する音域の支えなど声楽的な問題が散見された。音だけならペドリッロのダウリングと入れ替えた方が良さそうに思えたが、「役柄に合った風貌」を基準にした配役として、小空間の演劇性を重視したカンパニーの見識と理解した。作品の「キモ」を適確に押さえ、カットと休憩込み2時間の上演時間を飽きさせない優れた上演だった。




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