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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

J・ケージから「ザ・ラストクイーン」


2015年初演以来5度目の上演

2022年3月23日。午前中に千葉市内の千葉交響楽団事務局で田谷徹郎理事長を取材、午後は2時から代々木上原ムジカーザの北村朋幹ピアノ・リサイタルでケージ「プリペアド・ピアノのためのソナタとインターリュード」(休憩なし)を聴き、6時半から水天宮前の日本橋公会堂でソプラノのチョン・ウォルソン(田月仙)のライフワークである「オペラ《ザ・ラスト・クイーン》(孫東勲&RyuGetsu作曲)再演を観た。2公演の間に水天宮前駅近くの皮膚科に飛び込み、2日前に転んで作った顔の傷に適切な処置を受けた。無駄なく過ごした1日、といえるが、世界は闇に包まれている。ケージが自身の世界に隠遁しつつ、聴こえてきた様々な音たちを日記のように綴った小宇宙を北村は肉声のように再現。昼下がりの蜃気楼に身を置きながら私が思い浮かべたのは何故か、連絡が途絶えた知人や友人の顔だった。終演後、会場で出くわした共通の知り合いにある人の消息を尋ねると、やはり数年前に癌で亡くなられていた。プリペアド・ピアノの摩訶不思議で多種多彩な音が分断から和解、邂逅への道筋を示すかのように響く不思議な体験だった。


ロシアの侵攻に必死で抵抗するウクライナのゼレンスキー大統領が日本の国会に向け、オンラインで演説を始めた30分後、「ザ・ラストクイーン」は幕を開けた。韓国では次期大統領に尹錫悦(ユン・ソクヨル)氏の5月就任が決まり、文在寅(ムン・ジェイン)現大統領の下で一段と悪化した日韓関係の改善、再構築の期待が芽生えつつあるタイミングでもある。政略結婚で朝鮮王朝最後の皇太子、李垠(イ・ウン)と結ばれた日本の皇族「梨本宮」家出身の方子(まさこ)妃の数奇な生涯。在日コリアンとして生まれ、韓国のみならず北朝鮮でも歌った経験を持つウォルソンが李方子の生涯に自らを重ね、民族や国家の和解に祈りを込め、全身全霊で歌い演じる全1幕8景のモノオペラ。木下宣子とウォルソンが台本を書き、創作集団RyuGetsuと共に作曲に当たった孫東勲(ソン・ドンフン)が初演以来、器楽アンサンブル(ピアノの冨永峻ら5人編成)の指揮も担う。李垠はダンサーの相沢康平が演じる黙役で、男女4声のヴォーカルアンサンブルが加わる。


2015年の日韓国交正常化50周年を記念して制作、初演され、今回が2016年、2019年、2021年に続く再演に当たる。今回は前から2列目下手寄り、指揮者のほぼ真下の席から、ウォルソンの熱演を間近に観ることができた。相変わらず強靭な声は昨年のクリスマスイヴ、日経ホールでのオペラ「道化師」(レオンカヴァッロ)をご一緒した時(ウォルソンはネッダを昼夜2公演、激しく歌いきった。私は冒頭のナビゲーターで出演)も確認しだが、「ザ・ラストクイーン」では声楽、オペラの枠を超えた1人の偉大な表現者として、人間にとって大切なもの、かけがえのないものを必死に伝えようとする献身が、破格の説得力を生んでいた。方子妃は1989年、奇しくも「ベルリンの壁」が崩壊した年に亡くなった。続く1991年の旧ソ連崩壊で「東西冷戦は終わった」と認識したのが誤りだったと気づいた今年(2022年)、「ザ・ラストクイーン」に込められたメッセージは一段と痛切に響いた。

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