• 池田卓夫 Takuo Ikeda

2021年の「第九」まとめ:優人&BCJ→尾高&N響→角田&東京フィル


鈴木優人とBCJは「9」を前面に出していない

2021年もwith COVID-19(コロナ禍とともに)で終わろうとしている。日本の歳末恒例、ベートーヴェンの「交響曲第9番《合唱付》」(以下「第九」)の演奏会を12月に3つ、聴いた。昨年からコロナ禍中の開催ノウハウ(声楽のプロ化、社会的距離を考慮した小ぶりの編成など)を蓄え、今年は万全の態勢で準備したにもかかわらず、11月末の「オミクロン株対応入国規制強化」によって外国人指揮者・ソリストの大半が来日できなくなり、多くのオーケストラが代役の手配に追われた。結果、日本独特の「第九」像が前面に出た気がする。大晦日には小林研一郎がベートーヴェン交響曲全9曲を振る演奏会に出かける予定だが、とりあえず、単独サイズ3公演で聴こえてきたもの、見えてきたものを書き記す。


1)「バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ) クリスマス・スペシャル・コンサート」

鈴木優人指揮&オルガン独奏、BCJ(合唱と管弦楽)、コロンえりか指揮ホワイトハンドコーラスNIPPON、中江早希(ソプラノ)、湯川亜也子(アルト&メゾ・ソプラノ)、西村悟(テノール)、大西宇宙(バス)、若松夏美(コンサートマスター)=2021年12月21日、東京芸術劇場コンサートホール


最初に聴いた優人&BCJがそのまま、今年のMVPとなった。前半にオルガン独奏とクリスマス・キャロル。J・S・バッハをドイツ式古典オルガン、ダカンをフランス式近代オルガンと弾き分け、東京芸術劇場ご自慢の2基張り合わせの転換も客席に見せる大サービス。クリスマスソングはBCJの清澄な合唱(アルトパートにはカウンターテナーの青木洋也、村松稔之の顔も見える)による「まきびとひつじを」で〝お浄め〟を済ませた後、駐日ベネズエラ大使夫人のソプラノで日系人のコロンえりか、ホワイトハンドコーラスNIPPONの子どもたちを舞台に招き入れた。耳の聞こえない子、目の見えない子、その友人たちが助け合い、白い手袋をはめた手の表現で歌う(手歌)「サイン隊」、合唱を担う「声隊」とが音楽を全身で表現する。ベネズエラの音楽教育メソード「El Sistema」の日本法人と東京芸術劇場の共同主催事業として2020年に始まり、コロンが指導に当たってきた。


子どもたちは「第九」にも加わった。「声隊」はBCJ合唱団と管弦楽団の間に横1列で並び「サイン隊」は舞台上手に立つ。優人の軽やかで快調な指揮で「第九」は瞬く間に第4楽章に入り、大西が「おお、友よ!」の第1声を発しながら下手から駆け込んでくると子どもたちも一斉に立ち上がり、全身で喜びを表現した。「クリスマスを迎える喜び、そしてたとえ耳が聞こえなくなっても、苦悩を希望へと転換するような力強い音楽を書き上げたベートーヴェンの音楽」(鈴木)を前に、「耳の聞こえない子どもたちの心からの歓喜の表現をベートーヴェンが見たら、どう思ったでしょう。孤独な人のいない新しい第九をお届けしたい」(コロン)との気持ちでプロの合唱団、子どもたちの白い手が一つになり、巨きなハーモニーを奏でた。「作曲家の意図に忠実な再現」の21世紀ヴァージョンを目の当たりにした。


オーケストラは教会、宮廷、富裕市民社会、全体主義国家、自治体、放送局…と居場所を変えながら、社会全体と音楽家をつなぐ「文化装置」の役割を果たしてきた。これからのオーケストラのプラットフォームは一部の限られた所得層やマニアだけでなく、社会のあらゆる階層(レイヤー)の共生を想定したダイバーシティ(多様性)を備え、持続可能な音楽のメディアに変貌しなければ生き残れないーーそんな思いを新たにした演奏だった。カーテンコールが延々と続く中、優人はサンタクロース姿に着替え、全演奏者によるアンコール曲「もろびとこぞりて」(英語→日本語)を指揮した。合唱団も独唱者も手のサインに加わる中、高校生時代はバスケット選手だったというテノールの西村の腕が一際高く上がっていたのが目を引いた。歳末恒例のルーティンを共生社会の「喜びの場」に変えた優人、恐るべし!


2)NHK交響楽団ベートーヴェン「第9」演奏会

尾高忠明(指揮)、森麻季(ソプラノ)、加納悦子(メゾ・ソプラノ)、櫻田亮(テノール)、三原剛(バリトン)、東京オペラシンガーズ(岩村力指揮)、篠崎史紀(コンサートマスター)=12月25日、東京芸術劇場コンサートホール

次期首席指揮者ファビオ・ルイージから正指揮者の尾高にチェンジ。独唱も全員日本人となり、バリトンは三原と大西宇宙が分担した。


尾高は従来にブライトコプフ版を基本に一部、ベーレンライター校訂版を取り入れ高度経済成長末期、1980年代の「昭和」を想起させるゴージャスな「第九」を再現した。曽祖父の渋澤栄一を主人公にしたNHK大河ドラマ「青天を衝け」最終回前後のタイミングでの尾高登場、なんだか最初から仕組まれていた気すらするほどに絶妙だ。久々の日本人指揮者による「N響の第九」は旧来のマッチョな響きを基本としつつも、コロナ禍に疲弊した同胞たちを慰め励ます優しさにも事欠かず、スーッと聴く者の胸と心に降りていく。70歳代の円熟境にある尾高の指揮はタクトを持たずキビキビとした運びの中にしみじみした慈愛の情も漂わせ、期待以上だった。最終楽章でコントラバスの弦が切れたらしく退場、本来は25日の公演を大晦日に放映する予定が変わり、26日に改めて収録した映像が使われるはずだ。


残念だったのは声楽チーム。独唱は実力者揃いだが、それぞれに代役かけ持ちで忙しいのか、やや疲れ気味だ。合唱を「力強い」と評価するか「力み過ぎ」と考えるかは人それぞれながら、私には、思慮に富むマエストロの音楽との間に些かの乖離があったように思えた。


3)東京フィルハーモニー交響楽団 ベートーヴェン「第九」特別演奏会

角田綱亮(指揮)、迫田美帆(ソプラノ)、中島郁子(アルト)、清水徹太郎(テノール)、伊藤貴之(バリトン)、新国立劇場合唱団(水戸博之指揮)、三浦章宏(コンサートマスター)=12月26日、Bunkamuraオーチャードホール

フィラデルフィア本拠のケンショウ・ワタナベが来日できず、指揮が角田に替わった。三浦とダブルコンサートマスターを務めた近藤薫と角田は名古屋の東海学園の同級生、学校オーケストラの仲間でもあるから、急なジャンプインの指揮者(東京での角田は日本フィルハーモニー交響楽団の「第九」を小林研一郎と分担するのが、本来のブッキングだった)には心強い支えだった。譜面台を置かない完全な暗譜、若手(1980年生まれ)らしくグイグイ進めていくので気持ちがいい。ただ勢いに任せるのではなく、かなり細かいところまで楽譜を読んでおり、例えば第2楽章の終結音をフォルテで叩きつけず、フッと力を抜いてアーティキュレートさせるなど、最新のクリティカル・エディションをしっかり踏まえていた。


第3楽章からはタクトを指揮台に置き、手の細やかなニュアンスから精緻な歌い回しを引き出した。最終楽章のバリトンのレチタティーヴォが作曲当時の慣習に従い、装飾音をつけているのに驚いていた間にタクトを拾い上げ、管弦楽と合唱の壮大な交差の交通整理を抜かりなく進める。独唱に続いて合唱も役割を終え、管弦楽だけが突進する大団円は派手なボディアクションで猛烈に煽りながら速度を上げ、ロックコンサートに近い興奮をもたらした。この日は東京フィル理事長を務める三木谷浩史・楽天代表取締役社長兼会長がホール入口で出迎え、楽天の得意先や従業員とその家族を数多く招待したため、別枠の「第九」演奏会としても珍しい10代の客が目立った。私の周りにも中学生、高校生くらいの青少年がたくさんいて皆、角田の熱くカッコいい音楽にみるみる引き込まれ、熱狂的な拍手を送っていた。


独唱、合唱も息がピタリと合い、なかなか秀逸。ただし男声ソリスト2人はドイツ語スペシャリストといえず、Gesangdeutsch(ゲザングドイッチュ=歌のドイツ語)の訓練が足りないのか、例えば兄弟=Brüderが「ブリューデル」と巻かれず、第二次世界大戦後急速に英語化した現代ドイツ語の「ブリューダー」で流され、女声ソロや合唱の「er」と違う響きが聴こえてくる部分に、若干の違和感を覚えた。


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