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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

黛敏郎生誕90年の亜門演出「金閣寺」


公演プログラムの表紙もスタイリッシュ

東京二期会のオペラ公演「金閣寺」が初日を迎える2日前、2019年2月20日は作曲家・黛敏郎の生誕90年の節目に当たった。奇しくもこの日は、武満徹の命日でもある。無名時代の武満の困窮を見かね、ピアノをプレゼントしたエピソード一つ挙げても、2人の交友には特別の何かがあった。1996年に武満が没すると、黛は王子ホールの追悼コンサートのプロデューサーをかって出て、翌年の命日に合わせて開催した。終演後のレセプションで黛と少しだけ話したとき、顔は土気色で生気も失せていたが、テレビでおなじみのダンディな身のこなし、洗練された会話術は健在だった。亡くなったのはその2ヶ月後、4月10日だった。黛が死の直前にリンツ歌劇場の委嘱作「古事記」も完成、オペラの分野での足跡をより確かにしたのに対し、武満はリヨン国立歌劇場音楽監督だったケント・ナガノから委嘱を受けながらも闘病と死のために幻で終わるなど、すべてに対照的だった。今はすべてが懐かしい。


「金閣寺」はベルリン・ドイツ・オペラの委嘱作で、三島由紀夫の同名小説を下敷きにドイツ人のクラウス・ヘンネベルクがドイツ語台本を書き下ろし、1976年に世界初演された。ヘンネベルクは1972年のミュンヘン・オリンピックに際し、バイエルン州立歌劇場がイサン・ユンに作曲を委嘱した「沈清(シムチョン)」の台本を手がけていたので、アジア作品をドイツ語化するスペシャリストと目されていたのだろうか? キム・デジュン大統領の登場により、ユン作品がようやく韓国で上演できるようになり、「沈清」韓国初演に駆けつけた際、最晩年のヘンネベルクと私は遭遇した。話題は「沈清」に集中したが、今にして思えば「金閣寺」のことも、もっと聞いておくべきだった。例えば「主人公の溝口の障がい、吃音がオペラと相容れないために講じた置き換えがなぜ、手の不自由だったのか」、などだ。


私が過去に観た「金閣寺」は岩城宏之指揮&栗山昌良演出の大阪音楽大学カレッジオペラハウス公演(大阪と東京の2回)、下野竜也指揮&田尾下哲演出の神奈川県民ホール公演の計3回。いずれも第1幕のほぼ同地点で「寝落ち」した後悔が残り、今回の東京文化会館大ホールにおける二期会公演の初日(2月22日)でも、汚名返上はかなわなかった。第2〜3幕にかけては、いつもちゃんと観ているので、独断と不遜を承知でいえば、第1幕のエピソード羅列の「くどさ」が意識低下の原因かと思われる。その意味でも(黛には悪いが)、今回の大幅カットを「適切」とまではいわないものの、全面的に批判する気にはなれなかった。


宮本亜門の演出はフランス国立ラン歌劇場(ストラスブール)との共同制作で、今年1月のフランス初演は大成功を収めたという。金閣寺に火を放つ寸前の溝口の回想という設定で進行する台本と、主人公の心の「闇の世界」を際立たせるため、少年ダンサーが「もう1人の溝口(ヤング溝口)」を演じ、舞台狭しと動き回るのが亜門演出の特徴だ。第3幕では日本以外の観客を意識したのか、舞妓も登場する。闇と光を対比させつつ、時に強烈な色彩を放つ照明や美術がとことんスタイリッシュなだけに、すでに上演歴の長い日本ではもう少し、舞台上の人数を削ぎ落としてほしかった。神奈川でも傑出していた宮本益光の溝口だけで、かなりの情報量のメッセージを伝えられたはずだ。メフィストフェレス的な友人、柏木の樋口達哉もふだんの持ち場ではないドイツ物、しかも現代オペラにもかかわらず大健闘した。善良な友人で自ら命を絶ってしまう鶴川には加耒徹が予定されていたが、急な風邪による音声障害で降板、別組の髙田智士が急場を救った。新国立劇場の「紫苑物語」で見事な主役を務めている髙田智宏の実弟である。余談ながら、兄弟そろってバリトンというのは珍しい。


日本でのオペラ指揮デビューに当たったフランスの俊英指揮者マキシム・パスカルは前評判に違わず、東京交響楽団から豊麗な音響を引き出し、人間の内的な叫びを音のドラマへと変換していく黛の管弦楽の妙を克明に再現していた。客席の反応は好意的で、現代オペラには異例なほど長いカーテンコールが続いた。残りは23日と24日の2公演。

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