
もう12年前のことだ。「黒川侑という素晴らしいヴァイオリン奏者がいて、私のピアノで演奏するから聴いてほしい」と上田晴子に誘われた。前年に日本音楽コンクールで優勝していたため「腕は確かだろう」程度の気持ちで、建築事務所と一体の音楽サロンに出かけた。だが最初の数小節を聴いただけで、「桁外れ」を確信。まだご健在だった江副浩正さんに連絡をとり、奨学金支給をお願いした。めでたく合格して留学、現在もパリで勉強を続けながら、国際規模の演奏活動を繰り広げている。
数ヶ月前、黒川本人から「『ヴァイオリンプロジェクト《魂》』と名付け、久しぶりに大がかりなリサイタルを開くので、できれば聴きにいらしてください」と突然メールが届いた。しかもピアノは名手、青柳晋だ。「もう、スルーするわけにはいかない」と決め、楽しみに2019年2月21日、東京文化会館小ホールの本番を待った。
バルトークの「狂詩曲第1番」、新実徳英が竹澤恭子に献呈した「ソニトゥス・ヴィーターリスⅢ」(無伴奏)、グリーグの「ソナタ第3番」が前半。後半はベートーヴェンの「ソナタ第9番《クロイツェル》」という正攻法ながら、極めて難易度の高い曲目に挑んだ。
バルトークの野性味、新実が描く魂の変容の迷宮に迷いなく身を投じる潔さ、グリーグの仄暗いパッション、ベートーヴェンの気迫と作曲技法の洗練…。すべてが「あるべき位置」に収まり、作曲家ごとの持ち味の違いを鮮やかに描き分ける。乾いて透明、どこまでも天高く飛翔していきそうなヴァイオリンの音色には、聴き手を形而上へと誘う力があり、何か透明な世界に引き込まれる感触に包まれる。それでいて、人間味あふれる温かな歌心にも不足はない。比較的早めのテンポ感で的確にアーティキュレーションが施され、スタイリッシュなフレージングを実現していくため、過度の重圧を感じない。青柳のピアノともども、日本人の演奏にありがちな「打ち込み」(上から下)型のリズム一辺倒ではなく、「跳ね上がる」(下から上)のリズムとの交替が見事になされており、推進力に富む音楽を生んでいた。
グリーグの第1楽章コーダにおける青柳のピアノ、「クロイツェル」第2楽章の黒川のヴァイオリンには、それぞれが現時点で達成した演奏能力の最善の瞬間があったと思う。看板に偽りなし。本当に「魂」を揺さぶられるデュオだった。
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