2019年1月19日の土曜昼下がりは午後2時からルーテル市ヶ谷ホールで髙橋望(ピアノ)の「ゴルトベルク変奏曲」(J・S・バッハ)、午後5時から新宿文化センター大ホールでアンドレア・バッティストーニ指揮東京フィルハーモニー交響楽団の「千人の交響曲」(マーラー「交響曲第8番」)と最小、最大両極端のサイズの名曲2つを同じ新宿区内で聴いた。
埼玉県秩父市出身、ドイツのドレスデン音楽大学でペーター・レーゼル教授に師事した中堅ピアニストの髙橋が毎年1月に「ゴルトベルク変奏曲」だけのリサイタルを開き重ね、今年で6年目。私は毎年プログラムのエッセー執筆者の紹介を頼まれ、今年は敬愛する矢澤孝樹さんにお願いした。髙橋はベーゼンドルファーの扱いに習熟し、以前より多彩な音色を獲得した。端々に「まだまだ言いたいことがたくさんある」との表現意欲の横溢を感じさせ、時に収拾のつかなくなる変奏もあったけれども、独自の分析(プログラムに必ず、奏者自身の楽曲解説が載る)を音楽の構造と流れの中へと反映する手腕には、長足の進歩がみられた。冒頭、遅刻者への配慮も兼ね「主よ、人の望みの喜びよ」のコラールを美しく奏でたが、アンコールはなし。主題と主題の間にはさまれた30の変奏を凄まじい集中力で弾ききった。
新宿文化センターは40周年記念。1979年(昭和54年)4月1日の開場公演では森正指揮東京都交響楽団(都響)がザルツブルクで早世したヴァイオリニスト、中島幸子の独奏によるメンデルスゾーンの協奏曲とムソルグスキー(ラヴェル編曲)の組曲「展覧会の絵」を演奏した。大学生だった私はこのコンサートを聴いていて、モーツァルテムで恩師シャンドール・ヴェーグの助手に抜擢されるなど将来を嘱望されながら、男児出産のショックで亡くなってしまった名手の貴重な実演の思い出として、長く心にとどめてきた。新宿区は合唱の盛んな土地柄ということで、開場3年目からホールが公募した市民合唱団と在京オーケストラの共演をシリーズ化、最初はベートーヴェンの「交響曲第9番《合唱付》」で小林研一郎、秋山和慶、渡邉暁雄、井上道義、若杉弘、ズデネェク・コシュレル(コシュラー)らの指揮する都響が招かれた。1993年にはハインツ・レークナー指揮ベルリン放送交響楽団との共演も実現している。
改修工事で舞台上手側手前にパイプオルガンが設置されると、1994年の開館15周年から5年に1度、マーラーの「交響曲第8番《千人の交響曲》」を演奏し、間の年には合唱と管弦楽のための様々な作品を手がける路線が定着した。これまでオンドレイ・レナルト、エリアフ・インバル、ガリー・ベルティーニの指揮する都響、レナルト再登板と東京フィルハーモニー交響楽団(東フィル)の組み合わせで4度、「千人」を演奏した実績がある。35周年には演奏されなかった代わり、2017年の新宿区制70周年ではヴェルディの「レクイエム」に挑むことになった。区内に本拠を構える東フィルが前年、二期会とのヴェルディ演奏で初共演して以来「相思相愛」となったイタリアの若手指揮者バッティストーニを首席指揮者に迎えたことを踏まえての決定だった。アンドレアにとって初めてのアマチュア合唱団との共演であり、来日の機会をとらえては何度も何度も直接の指導に訪れ、情熱を吹き込んだ。その大成功を受け、昨年はオルフの「カルミナ・ブラーナ」に同じコンビで向き合った。シリーズ初の児童合唱を伴う作品だったが、バッティストーニは区立花園小学校に乗り込み、子どもたちを鍛えた。練習は区内小学校の音楽教諭たちに公開され、「千人」では西新宿小学校が児童合唱団を新設、父親の1人が合唱団の公募に受かり、親子共演の話題も呼んだ。
バッティストーニが「千人」を指揮するのは初めて。一部では「爆演指揮者」とされるが、「千人」では第2部大詰めのカタルシスに至るまでの間、むしろ弱音のニュアンスや歌詞の響きを大切に、静けさを重視した棒さばきに徹し、意表を突いた。構造が明確な交響曲ではなく、オラトリオやカンタータに近い音楽づくりだ。終演後の本人に私の感想を述べると「その通り。交響曲とは名ばかりでバッハやメンデルスゾーン、ベルリオーズ…と先人たちの語法の断片も見え隠れする、一筋縄ではいかない作品だよ」と言い、あえて造形にこだわらず、自由に指揮した実態を裏付けた。合唱は第1部の前半あたりまで慎重を期すあまりか精彩を欠いたが、次第に熱気を帯び、第2部最後のクライマックスでは潜在能力を全開にした。東京二期会が派遣した8人の独唱者は女声上位?、男声は様式がまちまちだ。最近の二期会はイタリア留学組が増え、創立者の中山悌一らドイツ派が担っていたオラトリオやカンタータの独唱の様式感は衰退傾向にあると思わざるを得ないのが唯一、残念な点だった。
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