東京オペラシティ文化財団主催のリサイタルシリーズ「B→C バッハからコンテンポラリーへ」第230回はヴァイオリンの山根一仁。2021年3月16日、リサイタルホールでの公演は、無伴奏リサイタルだった。どこまでもクールに燃え上がる、美意識の透徹にしびれた。
前半のベリオとビーバーは後半の最後に置かれたJ・S・バッハ「無伴奏パルティータ第2番」の最終(第5)楽章「シャコンヌ」のそれぞれafter、beforeとして起承転結のストーリーを担い、20世紀前半の作曲家で最もバッハの精神、空気感と直結したバルトーク、器楽の名技追求を継承する21世紀のヴィトマンを間に挟み、ドラマトゥルギー(作劇術)を盛り上げる。一夜の演出家=山根の描く音の舞台は、当初のベリオとバッハが前半、ヴィトマンとビーバー、バルトークが後半という曲順よりも、一段と鮮明に意図を伝えたと思う。
1995年生まれ。現在もドイツのバイエルン州立ミュンヘン音楽演劇大学でクリストフ・ポッペンの指導を受けているが、2010年の日本音楽コンクールに中学3年生で優勝して以来、10年を超える演奏経験があり、本番テンションのコントロールに不足はない。むしろ冷静沈着、熟考を重ねて読み込んだ楽譜から作曲者の意図や個性、書かれた時代の精神(ツァイトガイスト)などの諸要素を隅々まで掬い上げ、鍛え抜かれた技巧で漏れなく再現する手腕では、同世代はもちろん、あまたの現役ヴァイオリニスト中トップクラスにあるといえる。
ドイツでは、演奏家を高く評価する際に「自分を作品の下に置くことができる」という表現を良く使う。黒いシャツ姿の山根も無駄なお喋り、ショウマンシップの一切を排し、作品の世界に自分を潜らせ、音楽だけにすべてを語らせていく。一見そっけない音の連続が次第に熱を帯び、大きなうねりを生み、聴き手はその渦に巻き込まれながら、作曲家の肉声を聴いたり、楽曲が書かれた当時の演奏現場にタイムスリップしたりするかの錯覚に陶酔する。
ベリオの集中からビーバーとヴィトマンの名技性、バルトークにおける野趣から自然界との交感への精神の昇華、バッハの大団円に至るまで山根という1個の人格を貫きながら、それぞれの作曲家の個性と時代を鮮やかに描き分けた。とりわけバッハの無伴奏曲では、モダン楽器演奏の長所を最大限に生かしつつ、アーティキュレーションやフレージング、リズム処理、ヴィブラートのコントロールなどでピリオド楽器系の研究成果も巧みに取り入れ、現時点で最も妥当な様式感を示した。「シャコンヌ」をヴィルトゥオーゾ(名人)ピースではなく、最初の妻マリア・バルバラを失った直後のバッハが複数のコラールを下敷きにしつつ、ラメント(哀悼歌)の思いをこめて書いた「ごく私的な作品」と見立てた感触も良かった。
本当にヴァイオリンが上手で解釈も傑出していれば、バラエティ番組に出演したり写真集を出したりしないでも、人々はいつか振り向きコンサートホールに集まる。今年に入って山根や金川真弓ら〝真っ当な〟新進ヴァイオリニストを立て続けに聴き、その思いを強くした。
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