※日本ブルックナー交響楽団ザンクトフローリアン公演の詳報は、「音楽の友」誌2019年10月号(9月18日、一部地域では19日の発売予定)に執筆。ご一読いただけましたら、幸いに存じます。2018年10月1日のHP開設後、1年間はすべてのレビューを当ページ優先で公開してきましたが、1年を経過した時点で、他媒体から執筆を依頼されたテーマに関しては、HPの記載を簡略化する方針です。ご理解のほど、よろしくお願い申し上げます。
日本のアマチュア・オーケストラの快進撃が止まらない。三澤洋史指揮愛知祝祭管弦楽団による名古屋でのワーグナー楽劇「ニーベルングの指環(リング)」全4部作4年がかりの演奏会形式上演が「神々の黄昏」で完結した1週間後の2019年8月25日、長野力哉指揮日本ブルックナー交響楽団が作曲家の眠るオーストリア・リンツ近郊のザンクトフローリアン修道院大聖堂で「交響曲第8番」全曲と「同第7番」第2楽章(アダージョ)を献奏した。ザンクトフローリアンでのブルックナー演奏といえば、朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団による1975年10月12日の「交響曲第7番」が長く語り継がれてきたが、演奏会場は大聖堂ではなく、大理石の間(マルモアザール)だった。ブルックナーがオルガニストを務め、オルガンの真下に遺志で棺を安置した大聖堂の使用を日本の演奏団体が許可されたのはプロ、アマの別を問わず、長野のチームが史上初という快挙。演奏も素晴らしかった。
長野は桐朋学園大学音楽学部を卒業後の1987年に(当時の)西ドイツへ留学、ベルリン芸術大学のカール・ビュンテ教授に師事した。1990年にかけて恩師の1人、小澤征爾の推薦によりベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のリハーサルや録音セッションへの自由な出入りを許されて多くを学び、ドイツ音楽への傾倒を深めた。帰国後は全国各地のアマオケからドイツ音楽、とりわけロマン派のスペシャリストと目され、客演に招かれ続けてきた。特にブルックナーの交響曲全曲を「一緒に演奏したい」と望むメンバーたちは地域を超えて集まり、リキ・フィルハーモニッシェス・オーケストラの名称で第1番から順番に取り組み、今年6月29日の杉並公会堂で第8番まで到達した。2014年には「本場でブルックナー演奏」を目指す横断チームとして日本ブルックナー交響楽団も立ち上げ、2015年にベルリン公演を実現。今回はいよいよ、ブルックナーの「聖地」ザンクトフローリアンに乗り込んだ。
8月24日には先ず、ウィーン中心部のミノリーテン教会で同一プログラムを無料(事前申し込み制)で演奏。長くウィーン交響楽団で弾いていたチェロの吉井健太郎やウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団、リンツ・ブルックナー管弦楽団などオーストリア国内のプロ奏者の応援もあおぎ、万全の態勢でリハーサルを開始した。教会といえば残響過多のイメージもあるが、ミノリーテン教会はデッド。弦は倍音が伸びずに痩せて生々しく、管が飛び出す半面、ティンパニは埋もれがちだった。それでも本番は「音楽の都」ウィーンで弾く喜び、長年のブルックナーへの愛着もあって自然体の音楽が徐々に熱を帯び、オーストリアの楽団とは異なる方法論でも立派に、現地の聴衆を感動させられる光景を目の当たりにした。
翌日はバス3台に分乗して、ザンクトフローリアンへ。こちらは25ユーロ均一の有料公演で午後5時開演だった(収益は修道院に寄付)。長野とメンバーたちは昼食を早めに終えて修道院内の見学、ブルックナーの墓参を済ませてから現在の教会オルガニスト、アンドレアス・エトリンガーによる大オルガンの生演奏、ブルックナー作曲「ペルク前奏曲ハ長調」(1884)などのハーフコンサートを聴くことができた。1770ー74年にフランツ・クサヴァー・クリスマンが製作した巨大なバロックオルガンの響きを通じ、ブルックナーの楽曲創作の原点に触れる思いがした。1824年にリンツ近郊アンスフェルデンで学校教師兼オルガニストの家庭に生まれたブルックナーは12歳で父を亡くし、ザンクトフローリアンの聖歌隊に入った。聖歌隊学校の教師を経て、1848ー55年には教会オルガニストを務めた。さらにウィーンへ出て音楽アカデミーの教授となり、1896年10月11日に亡くなったが、遺体は遺志でザンクトフローリアンに安置された。修道院内の博物館には生前の執務室が再現され、本人が弾いていたベーゼンドルファーのピアノのほか、ウィーンで亡くなった時のベッド、臨終の写真などが並び、ブルックナーとの距離がグッと縮まってくる。
この追体験は長野とオケのメンバーたちにも深い感動として刻まれたらしく、演奏は見違えるほどの輝きを放った。「第8番」冒頭に触れた瞬間、「heilige=聖なる音」と思った。ホルンのソロや弦楽合奏のピアニッシモも美しい倍音を伴ってメタフィジカルな(形而上の)響きへと昇華、聖堂内にオルガンのように広がっていく。第2楽章のスケルツォにかけてはテンポ設定も前日より緩急自在となり、高揚感を一段と増す。第3楽章のアダージョの精神的な深みに接すると、わずか2日間の連続演奏にもかかわらず、ワーク・イン・プログレスの成果の大きさに驚く。すべてが永遠の音楽のように鳴り渡る。終わった瞬間、午後6時を告げる鐘が聖堂の外から聞こえてくる偶然。朝比奈&大阪フィルも同様の体験をしており、教会で音楽を奏でる醍醐味の1つを味わった。第4楽章はティンパニのアタックも決まって十分に勇壮でありながら、その瞬間に生起している音を改めて味わう省察力や短時間の回想力が生まれ、またとない感情の高みへと到達した。第7番のアダージョは、この日の奇跡を永遠の記憶へと刻むかのような感慨に満ち、聖堂内にいた全ての人々を浄化した。
「今日はすべてがうまく行った。奇跡だ」。終演後の舞台袖で、頬を紅潮させた長野が一言、漏らした。
ここで芸術を育んだ19世紀オーストリアの作曲家の音楽が遠く離れた極東の地に根付き、日本人音楽家の巡礼とともに還ってきた。泉下のブルックナーも喜んだ、と思いたい。
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