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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

鈴木雅明とN響の初共演、快調に進行中


ピリオド楽器アンサンブルと合唱団からなるバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)の総帥で鍵盤楽器(オルガン&チェンバロ)奏者の鈴木雅明が2020年10月、NHK交響楽団(N響)の指揮台にデビューし、3プログラム6公演すべてを振る。20年ほど前からモダン楽器の大オーケストラへの客演を始め、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団ではマーラーの交響曲まで指揮している。古楽では正統派の王道を極めるのに対し、「マーラーは少年時代から愛聴したバーンスタインの録音に影響を受けた」といい、かなり振幅の大きい演奏に豹変するのが面白かった。なぜかN響へは息子の鈴木優人が先に進出したが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響で来日できない桂冠名誉指揮者ヘルベルト・ブロムシュテットに代わり、今回の初共演が実現した。雅明は英国のマネジメント「パロット」と契約していてN響では外国人指揮者と同じランクに分類され、スポンサーのBMWが提供する車による送り迎えも付く。少なくとも待遇面は、ブロムシュテットと変わりがない。


プログラムは:

1)10月17&18日のNHKホール=ハイドン「交響曲第101番《時計》」/モーツァルト「同第39番」

2)10月22&23日の東京芸術劇場=武満徹「デイ・シグナル」「ガーデン・レイン」「ナイト・シグナル」/ラーション「サクソフォン協奏曲」(独奏=須川展也)/ベルワルド「交響曲第4番《ナイーヴ》」

3)10月28&29日のサントリーホール=シューベルト「交響曲第2番&第4番《悲劇的》」

コンサートマスターは2)だけが篠崎史紀で他は白井圭。白井は調布国際音楽祭のオーケストラでも度々鈴木親子のコンマスを務め、雅明とN響の理想的な橋渡し役も担っている。


私は17日、神奈川県民ホールの「トゥーランドット」が17時に終わった瞬間に飛び出し、みなとみらい線&東横線で渋谷に直行、18時2分にNHKホールに着いた。生放送その他の関係らしく慣例の「5分押し」ではなく定時に始まっていたため、ハイドンはロビーでスピーカーから流れる音を聴いた。それでもキビキビと生気に溢れ、すっかり若返ったN響のアンサンブルとの共同作業を楽しんでいる雰囲気が伝わってきた。後半のモーツァルトを客席で聴くと、単なる和気藹々ではなく、鈴木とN響それぞれが「がっぷり四つ」に組んだ緊張関係の上で、稀にみるホットでヴィヴィットな音楽の会話を繰り広げている様が一段とよくわかった。早めのテンポで繰り返しも実行、弦も管も必死に食らいつきつつ、名人芸を発揮する余裕も残す。鈴木の賢さは、BCJのコピーではなく、重心が低くパワフルなN響のサウンドアイデンティティーを尊重しながら自身の音楽観を浸透させていく方法論に集約されよう。ブロムシュテットのリハーサルは細部まで厳密なことで知られるが、鈴木も同様で、かなり頻繁に止めながら細部まで練り上げたという。


22日はスウエーデン系アメリカ人ブロムシュテットのエコーを漂わせたラーション、ベルワルドに、「金管楽器群を活躍させてほしい」とのN響側リクエストに応じた武満の珍しい金管合奏曲を組み合わせた。ソーシャル・ディスタンシング(社会的距離の設定)への配慮でマーラー、ブルックナー、R・シュトラウスの大編成作品の演奏を見合わせている結果、チューバやトロンボーンの出番は激減している。チューバの池田幸広などは恐らく、今回が2月のヨーロッパ公演から帰国後、初めての本番だったのではないか?トランペットの菊本和昭、ホルンの福川伸陽らの輝かしい音色が織りなす綾を、武満の3曲で満喫した。


金管のヴィルトゥオーゾ(名手)という点で、ラーションが1934年に書いたサクソフォン協奏曲を吹いた須川はさらに上を行き、客席を陶然とさせる域まで達した。先週は弟子の上野耕平が外山雄三指揮新日本フィルハーモニー交響楽団の定期で妙技を披露したが、師匠の演奏は陰影や味わいにおいて、さすがに一日以上の長があった。ベルワルドは1845年の作。シューベルトの30年あまり後、シューマンとほぼ同時代の交響曲で両者に一脈通じる感触だけでなく、モーツァルトのオペラ・ブッファ(喜歌劇)を思わせるユーモアにも事欠かない。鈴木もラーションの歴史的立ち位置の絶妙さに惹かれたようで、明らかな没入を伴った推進力で一貫しつつ、様々な曲の「相」を丁寧に引き出していった。新境地の開拓だ。


残念ながらシューベルトのプログラムは聴けない。70ー80代の高齢者が多いN響定期会員はCOVID-19対策の自粛期間中に足腰が衰えたか、元気でも人混みへの外出を控えているのか定期に代わる休憩なし約1時間、日本人指揮者による演奏会にはあまり関心を示さないらしい。とりわけ彼らにとって「新しい演奏会場」で「東京の果て」(青江三奈1969年のヒット曲《夜の池袋》では「♪どうせ気まぐれ東京の、夜の池袋」と歌われる)にある東京芸術劇場は敬遠されているようで、アプローチのエスカレーターからロビー、客席にかけての閑散感は否めない。演奏の内容が素晴らしいだけに、もっと大勢の人に聴いてほしかった。

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