• 池田卓夫 Takuo Ikeda

逆境で稀にみる充実〜サントリーホールチェンバーミュージックガーデン2021

更新日:6月30日


7公演行くつもりだったが、4公演にとどまり残念

毎年6月、サントリーホールがブルーローズ(小ホール)で主催する「チェンバーミュージックガーデン」(CMG=室内楽の庭)は2011年の東日本大震災直後に始まった。昨年は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)拡大で公演を中止したが、無観客の有料ライヴ配信を行い、7公演で4千人超が視聴した。10周年の節目に当たる今年もコロナ禍長期化や変異株の出現などで外来組の入国規制や顔ぶれが刻々変化するなか、日程変更や日本人の代役起用で柔軟に対応しながら有観客28公演を予定、24公演を実現した(中止・無期限延期=5公演、新規企画=1公演)。ただ数を確保しただけではなく若い世代の演奏家たちの充実を強く印象づけ、稀にみる高水準を達成したのは快挙といえる。今年初めに2007年からサントリーホール館長を務めるチェロの巨匠、堤剛にインタビューした際「最近の若手の技量は間違いなく世界水準ですし、室内楽にも熱心です。ようやく日本にも、本格的な室内楽の時代が来たと実感します」と話していた。自ら企画と演奏の先頭に立つCMG、霧島国音楽祭は堤が室内楽にかける思いを実践する場でもある。


私が聴いたのは次の4公演:


1)エルサレム弦楽四重奏団ベートーヴェン・サイクルⅠ(6月6日)

「弦楽四重奏曲第1番」「同第7番《ラズモフスキー第1番》」「同第12番」


2)エルサレム弦楽四重奏団(J)✖️カルテット・アマービレ(A)(6月12日)

モーツァルト「弦楽四重奏曲第21番《プロイセン王第1番」(J)

ヤナーチェク「同第1番《クロイツェル・ソナタ》」(A)

メンデルスゾーン「弦楽八重奏曲」(J&A)


3)小菅優プロデュース武満徹「愛・希望・祈り」戦争の歴史を振り返ってⅡ(6月17日)

小菅優(ピアノ)、金川真弓(ヴァイオリン)、ベネディクト・クレックナー(チェロ)、吉田誠(クラリネット)

ストラヴィンスキー「組曲《兵士の物語》」(Vn, Cl, Pf)

武満徹「ビトゥイーン・タイズ」(Vn,Vc,Pf)「オリオン」(Vc,Pf)

アイヴズ「ヴァイオリン、クラリネット、ピアノのためのラルゴ」

ショスタコーヴィチ「ピアノ三重奏曲第2番」(Vn,Vc,Pf)

アンコール:シャンソン(ジャン・ルノワール作詞作曲)「聞かせてよ、愛の言葉を」


4)フォルテピアノ・カレイドスコープⅢ(6月23日)

酒井淳(チェロ)、渡邊順生(フォルテピアノ)

ベートーヴェン「チェロ・ソナタ第1番」「モーツァルトの歌劇《魔笛》から《恋人か女房か》による12の変奏曲」「チェロ・ソナタ第4番」「同第5番」

アンコール:「チェロ・ソナタ第2番」〜第2楽章


エルサレムSQはベートーヴェンの初期、中期、後期をバランスよく組み合わせた5回で全曲を演奏、初日のみ聴くことができた。普段は淡々と奏でられ、聴くことが多い第1番からしてエネルギッシュな展開で圧倒される。アンサンブルの基本は、きっちりと合わせるよりも、それぞれの持ち味を最大限発揮した表現をぶつけ合い、激しいケミストリー(化学反応)のエネルギーを放射する点にある。第1ヴァイオリンのアレクサンダー・パヴロフスキーは相当いい楽器から美音を振りまき、自在に音楽を動かしていく。美音ではチェロのキリル・ズロトニコフも負けていない。とりわけ高音の美しさには、惚れ惚れする。彼ら2人は1993年の創設メンバーでもある。最も新しいのはヴィオラのオリ・カムで、2004ー2006年はベルリン・フィルに在籍していた実績が示す通り、とにかく達者で精力的。第2ヴァイオリンのセルゲイ・ブレスラーは一番地味そうにも映るが、練達の室内楽奏者として、ともすれば奔放に走りがちな他3人の手綱をきっちりと締め、アンサンブルの安定に貢献する。


追加公演として企画された日本の若手、アマービレ(ヴァイオリン=篠原悠那、北田千尋、ヴィオラ=中恵菜、チェロ=笹沼樹)とのジョイントの冒頭、モーツァルトの四重奏曲でのエルサレムは奔放でエネルギッシュなスタイルを保ちつつ、ベートーヴェンより前の時代の作品に相応しい軽さ、ユーモアも漂わせ、練達のプロの仕事ぶりを印象づけた。アマービレはヤナーチェクの全力投球で立ち向かったが、元東京クヮルテットのヴィオラ奏者、磯村和英がふと漏らしたように「緊張ばかりではなく、緊張と緊張の間の緩みがもう少しあってもよかった」。もちろん技術的には何の問題もなく、エルサレムとの共演に際しての〝武者ぶるい〟の要素も多分にあったのだと思う。果たして後半、メンデルスゾーンの天才的若書きではエルサレムの「ちょい悪オヤジ」4人がアマービレにバシバシと挑発の球を投げ続け、若者たちも「あの手この手」で受けて立つうちにどんどん自己が解放され、より人間的に自然な呼吸と緩急のコントロールを発揮するに至った。ライヴの醍醐味、極まれりだった。


クラリネットの吉田誠が以前、武満の「カトレーンⅡ」とメシアンの「世の終わりのための四重奏曲」を成田達輝(ヴァイオリン)、横坂源(チェロ)、萩原麻未(ピアノ)と演奏するのを聴いたことがある。今回も小菅優プロデュースの「Ⅰ」にこの2曲が現れたが、私は濱地宗のホルンを聴きに出かけたため、ブルーローズを断腸の思いで諦めた。「Ⅱは絶対に聴き逃せない」と意気込み、出かけただけの甲斐はあった。この夜、武満没後25年のパートナーを務めた作曲家は倍の没後50年で、武満を世界に送り出したストラヴィンスキーと同じロシアのショスタコーヴィチだった。ヴァイオリンの金川真弓はアレクサンダー・シトコヴェツキーの代役。ドイツ人チェロ奏者クレックナーは日本人奏者3人にはさまれた形だが、4人の水準に凹凸はなく、何よりも純粋に音楽本位で臨む姿勢を共有していて、強い一体感を醸成した。「オリオン」を弾き込んできた堤とは全く異なる感性の解釈も、新鮮だった。長くソリストと認識してきた小菅の室内楽を聴く機会は最近とみに増えつつあり、アンサンブル奏者としても特別な能力、柔軟性を発揮するのに感心する。初演者の孫子の世代のセンスとスキルを介して武満作品が新たな輝きを獲得、より魅力的に響く姿は素晴らしい。


聴き慣れたはずの作品の新たな「顔」を発見し、さらに深い理解を得たという点では、チェロの酒井とフォルテピアノの渡邉のデュオも刺激的に満ちた一夜だった。渡邉は前半にF・ホフマン(1795年製)、後半にN・シュトライヒャー(1818年製)と2種類のフォルテピアノを弾き分けた。酒井はバロック・チェロの名手でもあるが、ベートーヴェンではエンドピンを付けた形の基本モダン・チェロにピリオドの弦と弓を組み合わせる仕様を選択した。ベートーヴェンの「チェロ・ソナタ」といえば、私たちの世代はムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(チェロ)とスヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)が共演した名盤(旧フィリップス=現デッカ)に余りにも多くの影響、先入観を植え付けられたが、酒井と渡邉のデュオは旧ソ連の大家2人の大言壮語の対極、親しい人々だけが集まったサロンで親密かつ闊達、即興性に富む音楽のキャッチボールを刻々と変化させていく趣に満ちていた。聴き手も「次はどう出るのか」と固唾をのみながらライヴの内側に組み込まれ、一体感を共有する。アンコールでホフマンに戻ったとき、前半よりも音が大きく聴こえ、より多くのニュアンスをキャッチできたのは耳が彼らの〝会話〝に慣れ、感度を上げた結果だろう。来年のCMGで、「第3番」をはじめとする曲目の続編が決まったのも当然と思える痛快なデュオだった。


色々な仕事が錯綜、あと3公演を聴く予定が全部で4公演にとどまったのは残念だったが、今年のCMGのテンションと水準の高さだけは、しかと受け止めることができたと思う。

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