2001年の新国立劇場。グラーツからミュンヘンへと歩を進め、翌年にはバイロイト音楽祭デビューも予定されていたメゾソプラノ歌手、藤村実穂子は「トウキョウ・リング」と呼ばれたキース・ウォーナー演出、準メルクル指揮の「ニーベルングの指環」第1作「ラインの黄金」のフリッカ役で、母国に本格デビューした。以後、ヴェルディやモーツァルトも同じ舞台で歌ってきたが、フランス物は今回のマスネの「ウェルテル」が初めて。シャルロッテ役にデビューする場として新国立劇場を選び、戻ってきてくれた。
フランスのベテラン、ニコラ・ジョエルの2016年演出は新国立劇場のオリジナル。初演時は指揮者がこれまたフランスのベテラン、ミシェル・プラッソンということで期待されたが病気でキャンセル。代役に送り込んだ息子エマニュエル・プラッソンの指揮が頼りなかった上、題名役のディミトリー・コルチャック、シャルロッテ役のエレーナ・マクシモアのロシア人コンビがビジュアルも歌も申し分なかったのに、ドイツのゲーテ、フランスのマスネのいずれに対しても微妙な距離感を残したことだけ、覚えている。ジョエル演出は正攻法で何も変わったことをしないため、指揮や歌が噛み合わないと、記憶の彼方へ去ってしまう。
今回は、英国人ながら目下フランスのボルドー・アキテーヌ国立管弦楽団音楽監督を務め、各地の歌劇場へも頻繁に客演しているポール・ダニエルがピットに立ち、東京交響楽団をダイナミックに鳴らした。「もう少し歌に寄り添っても」という声も耳にしたが、ワーグナーの影響を受けた同時代人で、「絵のような風景」など管弦楽の名曲も作曲したマスネのスコアの再現としては、適確だったように思う。ようやく、舞台を安心して観ることができた。
題名役は昨年2月の「愛の妙薬」(ドニゼッティ)でネモリーノ役を歌い、新国立劇場にデビューしたアルバニア人のサイミール・ピルグが歌った。イタリア仕込みの美声のテノールで容姿端麗、ウェルテルへの適性を感じさせる半面、弱音で支えがヨレヨレになるなど全幕通しの安定感にやや難がある。コンディションにもよるのだろうが、余り忙しく飛び回らず、じっくりと声を熟成させてほしいと願う。アルベールの黒田博、ゾフィーの幸田浩子、大法官の伊藤貴之、シュミットの糸賀修平、ジョアンの駒田敏章ら脇を固める日本人歌手の堅実な歌唱が、最近のレパートリー上演の水準安定に貢献していることを改めて確認した。
藤村は長く男勝りの女傑系ロールを得意としてきたので、女性らしさの極みのシャルロッテへの挑戦は、それなりに大変だったらしい。だが再演担当の演出家、菊池裕美子とともに役作りを練り上げた結果は上々。他のどのキャストよりも明快な発音と、クリアにどこまでも伸びていく美声のアーチによって、非常に格調高い歌に仕上がったのは大きな収穫だった。
今回の再演は全4公演で、私は21日14時の2日目を鑑賞。あと24日と26日、それぞれ14時開演の2公演が控えている。
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