クラシックディスク・今月の3点(2019年4月)

ハイドン「ピアノ三重奏曲第27番」/シューベルト「同第2番」
葵トリオ(小川響子=ヴァイオリン、伊東裕=チェロ、秋元孝介=ピアノ)
新天皇が即位され、年号が平成から令和に替わった2019年5月1日午後は小石川トッパンホールに出かけ、注目のピアノ三重奏団「葵トリオ」を聴く。サントリーホールの「チェンバー・ミュージック・ガーデン」の講習で知り合い「持続して活動する常設トリオ」を結成、昨年のARD(全ドイツ公共放送局網)国際音楽コンクール(通称ミュンヘン国際音楽コンクール)室内楽部門で第1位を得て一躍注目を浴びた。同部門で日本人チームが優勝したのは、1970年の東京クァルテット以来48年ぶりという実態に照らしても、かなりの快挙だ。
3人とも関西出身、それぞれがソリストとして内外のコンクールに上位入賞、20歳代半ばでドイツへ留学する前後のキャリアも共通するが、あくまでトリオ活動を前提とする。今年4月にはミュンヘン音楽大学に3人がそろい、ディルク・モメルツ教授(フォーレ四重奏団のピアニスト)の下で、さらなる室内楽の研鑽を始めた。
デビュー盤は昨年(2018年)12月14日、サントリーホールがブルーローズ(小ホール)で主催した優勝記念演奏会の中から、ブラームスの第1番を除いた2曲のライヴ音源を選び、修正セッションも加えて完成した。第一印象は「すべてに、新しい世代の日本人音楽家の誕生を感じさせる」。昭和の時代に世界へ進出した日本の演奏家の多くは「東洋人の独自性」や「シャカリキ感」を前面に出すか、あるいは帰国子女・海外在住者として例外的に育ったかのいずれかで、ある種の「突出」があった。葵トリオの演奏には、そうした「癖」が全くない。それぞれの作曲家の個性、様式、時代精神を適確に描き分け美しいプロポーションの音像を立ち上げながら、3人一体の高揚感を兼ね備える。クール・ビューティの担い手だ。(マイスター・ミュージック)
ドビュッシー「12のエチュード(練習曲)」「夢想」「レントより遅く」「月の光
佐野隆哉(ピアノ)
1980年東京生まれの佐野は、東京藝術大学からパリ音楽院に進んだ。早くから注目されていたが、第1級のピアノソリストとして、はっきりと存在感を確立したのは2015年以降だと記憶する。特に2017年7月、東京オペラシティコンサートホールで準メルクル指揮の国立音楽大学オーケストラが演奏したメシアンの「トゥーランガリラ交響曲」のピアノ独奏に抜擢されたのは、大きな転機だった。最近ではロジェ・ミュラロや児玉桃のソロで聴く機会の多い作品だが、佐野は誰の真似をするでもなく、自身が長くフランス音楽と向き合ってきた経験を基盤に、独自のアプローチを示すことに成功した。「トゥーランガリラ」をはさむ形で2回、同じ年に開いたリサイタルでも「ひと皮むけた」印象を受けた。その後者、11月24日のHakuju(白寿)ホール公演のメインが、ドビュッシーの「12の練習曲」だった。
1年後にリリースされた同曲のCDは演奏会のライヴではなく、リサイタル直後の2017年11月29日〜12月1日にセッションを組み、岡山県真庭市のエスパスホールで収録したもの。岡山市の社会福祉法人「旭川荘」に残るレオニード・クロイツァーゆかりのピアノの文化遺産価値を研究、2013年に発表した音楽学者の瀧井敬子は同荘とともに「グラチア音楽賞」を創設、受賞者のディスクをエスパスホールで録音する企画にも乗り出した。佐野は第2回
のグラチア音楽賞を受け、いくつかの録音に参加、第4作でついに、ドビュッシーのソロを任された。ジャケットには、ドビュッシーに触発された旭川荘利用者の絵が採用された。
「練習曲」には「5本の指のための」「半音階のための」などの指示が存在しても、「前奏曲」「映像」などドビュッシーの人気ピアノ作品に欠かせない標題を伴わず、演奏の難しさもあって、ピアニストたちすら敬遠しがちな作品である。だが、ふだん余りドビュッシーを弾かない内田光子の名盤を引き合いに出すまでもなく、超絶技巧を超えた次元で演奏者独自の視点なり世界を提示する余地が、限りなく大きい作品ともいえる。佐野は並外れた集中力と肉厚のタッチを駆使、12曲を1つの大きな世界として一気に聴かせることに成功した。(スタジオN.A.T)
※前後して発売されたヴァイオリニスト、西川豪のリサイタル(2018年9月21日、東京文化会館小ホール)のライヴ盤(フォンテック)でも、佐野はフランクのソナタでフランス語圏の音楽のスペシャリストとしての面目を示す一方、ベートーヴェンの(ソナタ第7番)ではドイツ音楽の新境地を開き、いよいよエンジン全開の様相を呈している。
ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第7番、第4番、第8番《悲愴》、第14番《月光》」
河村尚子(ピアノ)
日本育ちの葵トリオや佐野隆哉と違い、河村尚子は幼少時にドイツへ移住、ドイツ人ピアニストと同じように育った。ハノーファー音楽大学のヴラディーミル・クライネフ教授からはロシアのピアノ奏法も授かり、2006年のARDコンクール第2位、翌年のクララ・ハスキル国際ピアノ・コンクール優勝を機に演奏活動を本格化。現在はバンベルク交響楽団で首席を務めるドイツ人チェロ奏者と結婚、エッセンのフォルクヴァング芸術大学教授として教育にも携わりながら、日本とヨーロッパを往復している。今年4月のNHK交響楽団定期演奏会でも矢代秋雄の「ピアノ協奏曲」を山田和樹の指揮で独奏、楽曲のイメージを一新するほどに鮮烈な解釈でセンセーションを巻き起こした。
むしろドイツ本拠だからなのか、ベートーヴェンには長く慎重な姿勢をとり続けていたが、昨年ようやく年2回、全4回のソナタ連続演奏会を開始した。それでも全32曲の「全集」ではなく、厳選した作品の「選集」で一区切りをつけるという。リサイタルと並行して録音するディスクも当然、全集ではなく「ソナタ集」と銘打たれている。第1集の4曲は2018年7月16〜20日、ブレーメン放送協会のゼンデザールで収録された。「悲愴」「月光」の有名曲を後に回し、標題のない第7番&4番を最初に持ってくる配列からして、ただ事ではない。第7番はクラウディオ・アラウ、第4番はアルトゥーロ・ベネデッティ=ミケランジェリが「偏愛」といっても良いほど得意としていた〝隠れ名曲〟であり、ピアニストの力量次第で受ける印象の大小が激しく異なる。もちろん河村は「シンフォニーのように規模が大きい」2曲に深く傾倒、独自の世界を繰り広げていて、説得力に富む。
「悲愴」と「月光」では、これまで河村の演奏に一貫してきた格調の高さを改めて痛感。決して少なくない数のピアニストが「通俗名曲」を通り一遍に片付けてしまう2曲の真価を、聴き手にも改めて問い直す。河村の演奏に早くから注目していた今は亡きピアニスト、中村紘子がよく「彼女の演奏には、今日まれな『品格』がある」と指摘していたのを思い出す。(ソニー)
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