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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

菊池洋子・Kジャレット・若杉弘&読響

クラシックディスク・今月の3点(2023年7月)


最初の試聴で即、気に入った3点

JSバッハ「ゴルトベルク変奏曲」

菊池洋子(ピアノ)

ブックレットに載った菊池自身の言葉、「実はイタリア留学時代に2回勉強したのですが、その時はまだ演奏会で演奏する勇気が出なかったので、いつか必ずと心に決めていた思いがようやく実現し、《ゴルトベルク変奏曲》を私の10年ぶりのソロCDとして皆様にお聴きいただけることをとても嬉しく思います」が象徴するように、本来2段鍵盤の撥弦楽器チェンバロのために書かれた18世紀の作品を1段鍵盤の打楽器?のモダンピアノで再現するには、それなりの工夫と準備が必要で、簡単に弾きこなすことはできない。菊池はコロナ禍で演奏会の中止や延期が相次いだ時期に授かった時間を生かし、《ゴルトベルク》と新たに向き合った。「練習を始めてから半年経った頃、初めて家で全曲を通して弾いた時に、今まで歩んできた人生の日記を読んでいるかのような気持ちになり、これからの希望と祈りを捧げ心も精神も満ちていく感覚になりました」といい、2022年6月1〜3日、出身地の群馬県前橋市の市民文化会館でのセッション録音に踏み切った。


最初に試聴した瞬間、すべてがあまりにも自然で「あるべきものが、あるべきところに収まっている」安定感に驚いた。熟慮に熟慮を重ね、モダン・ピアノの機能や美点も十分に生かしながら弾き進める演奏からは、カイザーリンク伯爵の不眠症対策のヒーリング音楽、あるいはバッハ自身の演奏技巧の誇示と楽器の未来の進歩への確信が生んだ実験など、楽曲に秘められた様々な背景が鮮やかに浮かび上がる。自らを厳しく律し、いささか禁欲的に歩みを進めた菊池は最後の第30変奏、ドイツの農民歌をルーツとする「クオドリベット」で感情を一気に解放、たっぷりとした人間の情感とともにアリアの再現に臨む。極めて周到に準備されたドラマトゥルギー(作劇術)を思わせる、会心の演奏だったのではないか。

(エイベックス・エンターテインメント)


C・P・E・バッハ「ヴュルテンベルク・ソナタ集」(第1〜6番)

キース・ジャレット(ピアノ)

インターネット百科事典「Wikipedia」によるキース・ジャレット(1945ー)の近況:

「2017年2月15日にニューヨークのカーネギー・ホールで行われたソロコンサートを最後に活動を休止、療養生活に入った。2018年に脳卒中を2回発症して麻痺状態となり、2020年10月の時点でも左半身が部分的に麻痺しており、そのためピアノ演奏に復帰できる可能性が低いことを明かした」


まさかの新譜は1994年5月、米ニュージャージー州の自宅スタジオ(ケイヴライト・スタジオ)で録音したまま、発売の機会を逸していた録音。バッハの次男坊カール・フィリップ・エマヌエル(1714ー1788)の傑作が6曲まとめCD2枚組で現れた。父親世代の18世紀音楽の厳格な様式の殻を破って古典派、さらに続くロマン派へと続く(実際にロマン派文学との関連を指摘される)感情表現に進んだ点で「感情過多様式(Empfindsamer Stil)」と呼ばれる作曲家CPEの音楽。ジャレットは「チェンバロ奏者が録音したヴュルテンベルク・ソナタ集を聴いて、ピアノ版のための可能性が残されていると感じた」と語った。


父ヨハン・セバスティアン(JS)以上の「自由」が約束された作品、ジャズとクラシックを両軸に幅広いジャンルの音楽の可能性を究めてきた演奏家の出会いは、期待以上の面白さに満ちている。物事の表向きにとらわれず、最初から本質だけを見据えたアーティストの資質が、鍵盤音楽史上の「隠れた逸品」に与えた輝きは、どこまでも大きく味わい深い。

(ECM=ユニバーサル ミュージック)


「若杉弘&読売日本交響楽団 ビクター録音名演集(1966ー71)

若杉弘指揮読売日本交響楽団

<DISC1>

1.ベートーヴェン:交響曲 第6番 《田園》

2.チャイコフスキー「バレエ組曲《くるみ割り人形》」

<DISC2>

3.

ベルリオーズ《幻想交響曲》

<DISC3>

4.ハイドン:「交響曲第94番《驚愕》」

5. 同「第100番《軍隊》」

6.同「第101番《時計》より 第2楽章」

【録音】

1966年11月(2) 収録場所不明、 1966年12月(5,6)、1969年8月16、17日(1) ビクター第1スタジオ

1970年2月19、20日(3) 世田谷区民会館、 1971年1月6日(4) 武蔵野音楽大学 ベートーヴェンホール

若杉(1935ー2009)は1965年に第2代常任指揮者オットー・マツェラート(1914ー1963)の急死を受け読響の「指揮者」へ就任、1972年から1975年までは第3代常任指揮者を務め両ポスト通じて347回の演奏会を指揮した。とりわけシェーンベルク《グレの歌》やペンデレツキ《ルカ受難曲》、ワーグナー《パルジファル》など大作の日本初演を次々に読響と実現して「初演魔」の異名をとり、日本人作曲家への委嘱作も積極的に手がけた。


レコーディングでも、欧米崇拝が著しかった当時には稀だった「日本人指揮者と日本のオーケストラによるクラシック定番」と、初演対策とは別の意味でのチャレンジを続けていた。《田園》は史上4番目だが、《幻想》は第1号に当たる(同年録音の小澤征爾盤は、オーケストラがトロント交響楽団だった)。ハイドンの《驚愕》はロビンス・ランドン校訂版の世界初録音だった。再掲されたライナーノートの筆者にも遠山一行、粟津則雄、西村弘治、篠田一士、福永陽一郎、大宮真琴の各氏と、1960〜1970年代に「レコード芸術」「音楽芸術」(いずれも現在は休刊)の熱心な読者には忘れられない錚々たる顔ぶれが並んでいる。


演奏はどれも、予想以上に素晴らしい。2002年2月に自宅で転倒、第2腰椎を圧迫骨折して以降は指揮者にとって致命的なテンポの揺れ、生気の後退に見舞われ、名声の急激な上昇と反比例するかのように衰えが表面化した(詳しくは拙著《天国からの演奏家たち》をご参照ください)。だが1960年代後半、30歳代前半の若杉の演奏はエレガントな美しさを伴った高揚感にあふれ、当時の読響から最上の響きを引き出している。1970年代後半からのドイツ語圏での目覚ましい活躍を予告する、若杉の輝かしい読響時代の演奏の記録にタワーレコードの企画で最新のリマスタリングが施され、SACD/CDのハイブリッド盤として日の目を見たのは喜ばしい。

(ビクターエンタテインメント=タワーレコード)





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