• 池田卓夫 Takuo Ikeda

荒井結&中実穂の2Cellos→沼尻竜典&日本フィル+河村尚子の日曜音楽三昧


コロナ禍長期化に伴い、演奏会の主役が日本の比較的新しい世代の演奏家へと急激にシフトするなか、長く聴き続けてきた中堅世代以上の芸風にも確かな変化が生じている。2021年4月18日、日曜午後に聴いたチェロ奏者2人のデュオ・リサイタル、老舗オーケストラの名曲コンサートのいずれもが奇を衒わない正攻法ながら、芸境の進化&深化は顕著だった。


1)荒井結×中実穂チェロ・デュオリサイタル(すみだトリフォニー小ホール)

※曲目はトップ画像の通り

荒井は中学卒業と同時に渡米、米国とドイツで学び、帰国後は名古屋ベース。中は桐朋学園大学、東京藝術大学大学院、ベルリン芸術大学などで学び、ソロ活動を経て2021年3月にNHK交響楽団へ入団した。妹の恵菜は新日本フィルハーモニー交響楽団首席客演ヴィオラ奏者に就き、その夫の辻本玲はN響ソロ・チェロ奏者と、弦楽器ファミリーの一員だ。荒井の演奏に惚れ込んだ全国のチェロ弾き(主にアマチュア)が実行委員会を立ち上げ、2019年から年1回のリサイタルを東京で開き重ねてきた。「今回は2チェロ」との要望に応え、荒井が東京チェロアンサンブルの仲間である中を指名した。ピアノ抜き、チェロだけのデュオは極めて珍しく、ボッケリーニとクレンゲル以外はヴァイオリン作品からの編曲だ。


ふくよかな音で旋律をきめ細かく歌わせる荒井に対し、中は引き締まった音を直裁に鳴らす。今さら書くのも気がひけるが、トランスジェンダーでスーツ姿の荒井、ドレス姿の中それぞれの演奏キャラクターに対し「男性的」「女性的」といった形容を用いること自体の無意味をつくづく思い知る。2人はそれぞれの違いを尊重して光と影、陰と陽の対比を際立たせ、楽曲に奥行きと立体感を与えていく。パガニーニの手を経てなお顕著なロッシーニの歌のラインを丁寧に歌わせ、「シャコンヌ」の構造をしっかりと組み上げ、クレンゲルの難曲でリサイタルの頂点を築いた。チェロ2人組といえば、旧ユーゴスラヴィア圏出身の男性2人組(ルカ・スーリッチとステファン・ハウザー)でクラシックからポップスに展開、世界的成功を収めた「2CELLOS」が超有名だが、今日の日本人2人の演奏も立派なエンターテインメントの域に達していた。荒井のリサイタルシリーズ、いよいよ面白くなってきた。


2)日本フィルハーモニー交響楽団第391回名曲コンサート(サントリーホール)

指揮=沼尻竜典、コンサートマスター=木野雅之

シューマン「ピアノ協奏曲」(独奏=河村尚子)

ソリストアンコール:シューマン「幻想小曲集Op.12-3《なぜ》」/シューマン(リスト編曲)「献呈」

ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」

桂冠指揮者兼芸術顧問のロシア人マエストロ、アレクサンドル・ラザレフの来日が遅れ、2003ー2008年に正指揮者を務めた沼尻が代役を務めたが、ソリストでドイツ在住の河村は予定通り出演がかなった。結果、サントリーホールでは3月26日に高関健指揮東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団が「第8番」(指揮者は予定通りだが、曲目をヴェルディ「レクイエム」から大胆に変更!)、4月17日に原田慶太楼指揮東京交響楽団が「第10番」、4月18日に沼尻指揮日本フィルが「第5番」と60代、30代、50代の実力派日本人指揮者3人による会期23日間の「ショスタコーヴィチ交響曲週間」の様相をにわかに呈した。いつも思うのは「偶然と必然は表裏一体」の感触。コロナ禍の長期化で鬱屈する目下の人間心理に対し、スターリンの社会主義独裁をはじめとする幾多の抑圧と対峙、屈折を音に託して「人間の証明」を極めたショスタコーヴィチの音楽がフィットした結果の集中にも思えるのだ。


最近の沼尻の指揮には、大きな変化が現れている。並外れた聴覚と絶対音感を備えピアノ、作曲にも才能を発揮、合理的な指揮テクニックの持ち主なので、以前は当たり外れも少ない代わり、どこか醒めた平均点志向を匂わせる傾向がなきにしもあらずだった。ところがコロナ禍以降の過去1年、芸術監督を務めるびわ湖ホールの「ローエングリン」(ワーグナー)や今回のショスタコーヴィチのような〝大当たり〟もあれば、急な代役とはいえ躍動感が不足した新国立劇場の「フィガロの結婚」(モーツァルト)、シャルル・デュトワの代役で何10年ぶりかの定期に臨んだ新日本フィルハーモニー交響楽団とのストラヴィンスキー、サン=サーンスの生真面目すぎる音楽など〝いまいち〟もあって俄然、面白くなってきた。国内外の劇場で責任あるポストを歴任、楽員だけでなくスタッフの人心掌握にも経験を積み、人間臭い側面が拡大しつつあるように思う。もともと皮肉屋さんで、ユーモラスな人だし。ラザレフや首席指揮者ピエタリ・インキネンとともにアンサンブルに磨きをかけ、世代交代も進む日本フィルとの再会は今回、双方にとって幸福な結果を生み、聴衆に喜びを与えた。


高関&シティ・フィルの厳しく引き締まった音像、原田&東響の快速かつ強烈な限界突破に対し、沼尻&日本フィルは、いわば「高出力アンプが敢えて大音量を最少限に抑え、弱音のふくよかなニュアンス、ソロ楽器の魅力を際立たせた」風情の慈しみと精妙さで魅了した。実際、コンサートマスターの木野をはじめオーボエの杉原由希子、フルートの真鍋恵子、ファゴットの田吉佑久子、クラリネットの伊藤寛隆、トランペットのオッタビアーノ・クリストーフォリ、ホルンの丸山勉、ティンパニのエリック・パケラらのソロは見事だった。日本の交響楽団初のアフリカ系アメリカ人首席奏者デイヴィッド・メイソンが脇に回り、4月5日付で客演首席に就いた安達真里がトップに座ったヴィオラの改善は目覚ましく、チェロからコントラバスにかけての低弦とヴァイオリン群の中間にあって、内声の充実に貢献した。


河村のソロを聴きながら思ったのは、「正しいドイツ語の発音」「アクションではなく精神に根ざしたロマン派の再現」の2点だった。兵庫県西宮市の生まれだが、父親の転勤により5歳からドイツに育ち、ハノーファー音楽演劇大学では旧ソ連出身のヴラディーミル・クライネフに師事したため、ドイツ音楽だけでなく、ロシア音楽にも造詣が深い。全ドイツ放送協会連合(ARD)国際音楽コンクール(通称ミュンヘン・コンクール)第2位、クララ・ハスキル国際ピアノ・コンクール優勝などを経て、世界的ピアニストのキャリアを歩む。私生活ではバンベルク交響楽団のドイツ人首席チェロ奏者と結婚し、子育てにも熱心なママだ。ごく普通のドイツ市民として地に足の着いた生活を営む日常は、ドイツ音楽を奏でる際の自然な佇まいの大切な基盤にもなるようで、シューマンの協奏曲すべての音が、あるべき位置に収まっていると思わせる安定感がある。かといって、安全運転ではない。無駄のない打鍵はシューマンの音楽、ピアノ、妻クララ、社会や世界に至る思いの底を探り当てようと、絶えず深いところに届く。時に空回りする作曲家の思いの矛盾まで、白日の下にさらけ出す。


沼尻と日本フィルは、淡麗辛口の純米酒を思わせる河村のプロフェッショナルなアプローチをどこまでもリスペクト、探求の旅の伴走者をきっちり務めた。アンコール2曲目の「献呈」は昨年、某アマチュアコンクールで何度も聴いた。「あなた方は元の歌曲(リート)を聴いたことがありますか? ドイツ語の歌詞のアクセントや発音の強弱、シューマンのピアニズムをちゃんと聴いていれば、リストのオリジナル曲みたいには響かないはずです」と、審査のコメント用紙で何度も同じ苦言を呈した。あの参加者(コンテスタント)たちに、今日の河村の演奏を聴かせたかった。どこまでも愛の心に満ちた、素敵なアンコールだった。




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