岡田博美がモダン(現代)ピアノで弾くJ・S・バッハ「ゴルトベルク変奏曲」の素晴らしさについては当HPディスクレビューの今年2月分で、すでに書いた;
岡田は草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティバルの常連でもあり、マスターコースとコンサートの両面で大きく貢献してきた。今年は日本のリゾート地音楽祭&講習会の草分けである草津、第40回の節目。実質総合プロデューサーの井阪紘(カメラータ・トウキョウ会長)は「例年の会期は8月30日までですが、今年は記念の年でもあり、週末にかかるので31日に演奏会を1つ追加。それが岡田さんの『ゴルトベルク』です」と冒頭、異例のソロリサイタルによる閉幕の背景を説明した。
岡田は例によってポーカーフェイス、「新バッハ全集」のベーレンライター版楽譜を手に現れ、淡々と「アリア」を弾きだした。しかし10年前のトッパンホール・ライヴ盤であるCDとはピアノがスタインウェイからベーゼンドルファーに替わった以上の違いがあり、あの冷静な名手が明らかに最高潮の興奮とともに、音楽の深いところへと一気に突き進む異形の展開となった。特に後半の追い込みは凄まじく、全くミスのない打鍵が時間の進行とともに魔術師の様相を帯び、万華鏡の音像を造形していく。私たちは「ロシア奏法」「フランス流」などと、しばしばピアノの演奏技巧を分析しがちだが、岡田の奏法には全く無駄がなく、彼独自の方法論を確立、安易な分類を拒む強い個性がある。
最後の変奏(第30変奏)「クォドリベト」は農民の歌を下敷きに、バッハ自身が数理的&楽理的に突き詰めた第29変奏までの世界を大胆にかなぐり捨て、音楽の原始的根源に回帰する感動的な瞬間だが、実際の演奏の現場で、バッハと同じベクトルに立って自己を解放できる演奏家は数少ない。岡田の「クォドリベト」の弾けぶりは、こちらが思わず身を乗り出すほどの感興の爆発を伴い、見事だった。そして、アリアへの回帰。ここでは何事もなかったかのようなポーカーフェイス、よく見ると冒頭とは明らかに異なる会心の柔和さをたたえた表情で、慈しむように弾き終えた。トータルの演奏時間は80分で、繰り返しをすべて実行したにもかかわらず、ライヴ盤CDより5分短い。「没入度合いの差」の5分、と考えられる。井阪も「断然いい。もう1枚、ライヴ盤を出さなければ」と、興奮の面持ちだった。
残念だったのは客席だ。マナーは最高によく、静寂な集中ぶりに感心する。しかし、若者がいない! こんな素晴らしい演奏なのに、満席でもない! 40年の蓄積は最大限の尊敬に値するが、世界のクラシック音楽会が抱える聴衆の極端な高齢化、先細り傾向に歯止めをかける妙案は、ここでも見出すことができなかった。何とかしなければ、と真剣に思う。
素晴らしいコメント、ありがとうございます。岡田さんは、日本の至宝です。
毎年草津音楽祭を楽しみにしているものです。岡田さんのコンサートはそれこそ幾多に聴けないようなものだったし、この曲に限って言えばもうこれ以上の演奏には生涯出会うことは無いだろうと言えるほど素晴らしいものでした。井坂さんと帰り際、お話ししましたが、是非CDを出していただきたいと思います。演奏会後に宿泊先のホテルの露天風呂でコンサートの余韻に浸っていてふと横を見たら何と岡田さんが居られました。感謝の言葉を告げるとやはりポーカーフェイスで少しだけ微笑んでいただきました。長々申し訳ありません。