本来なら2つの演奏会なので別々に書くところ、あえて1本にまとめてみる。2018年12月15日の土曜日。四谷の紀尾井ホールの「第24回江副記念財団リクルートスカラーシップコンサート」で14人を聴いた後、代々木上原のムジカーザに移動してリクルートスカラーシップOBのピアニスト、高木竜馬が今年9月にノルウェーで開かれたグリーグ国際コンクール優勝後初めて母国で行うリサイタルに駆けつけた。私もかつて、江副記念財団の奨学金審査に携わり、ピアノの北村朋幹やヴァイオリンの黒川侑、チェロの宮田大らを面接した。高木とは同じ頃、中村紘子宅へ取材に訪れた折にレッスンの生徒として知り合った。いまや26歳の高木が最年長、最年少で17歳の外村理紗に至る15人全員が10〜20代の若手だ。
リクルートのコンサートは従来、全員が次々ソロの小品を奏でたり、別部門の奨学生だったアナウンサーが司会をしたり…とガラ色を前面に押し出していたが、今回は数人ずつチームを組み、室内楽の名曲中の名曲4作をじっくり、お喋りなしで聴かせるスタイルに徹した。
1)ブラームス「ヴィオラ・ソナタ第2番」ヴィオラ=田原綾子、ピアノ=桑原志織
→まだ線の細い印象を残すヴィオラに対し、ダイナミックなピアノ。室内楽の「会話」のコツをまだ、体得しきれていない憾みが残る。次回に期待したい。
2)ショスタコーヴィチ「ピアノ三重奏曲第2番」ヴァイオリン=辻彩奈、チェロ=岡本侑也、ピアノ=反田恭平
→3者の力が高い水準で持ち合い、非常に見事な演奏を繰り広げた。辻の斬り込み、岡本の安定に対し、反田はソロでの暴走が影を潜め、意外にも室内楽奏者としての適性を示した。
3)フランク「ピアノ五重奏曲」第1ヴァイオリン=外村理紗、第2ヴァイオリン=森山まひる、ヴィオラ=鈴木慧悟、チェロ=上野通明、ピアノ=阪田知樹
→実演を聴いたのは17〜18年前の水戸芸術館、園田高弘のピアノで以来かもしれない。フランク独特の循環形式が美しい浮遊感を漂わせる傑作に阪田が明確な輪郭を与えたのに対し、弦の4人が一心不乱に食いついて盛り上げ、聴きごたえがあった。
4)メンデルスゾーン「弦楽八重奏曲」第1クヮルテット:第1ヴァイオリン=毛利文香、第2ヴァイオリン=周防亮介、ヴィオラ=鈴木慧悟、チェロ=岡本侑也、第2クヮルテット:第1ヴァイオリン=吉田南、第2ヴァイオリン=北川千紗、ヴィオラ=田原綾子、チェロ=上野通明
→天才作曲家の若書きには最適の顔ぶれ、と事前の期待は大きかった。確かに若々しく集中度の高いアンサンブルだった半面、縦の線をきっちり合わせながら熱気で押し切ろうとする傾向は否めず、短時間のリハーサルで仕上げる臨時編成の限界を露呈したのは残念だった。
それぞれが持てる力の限りを尽くして古今の名曲に挑んで上質の3時間を現出させ、室内楽の魅力を客席にしかと届けたのは「あっぱれ」。個々の演奏の出来不出来はあったにせよ、全体の質は極めて高く、14人の若者それぞれにとどまらず、日本の音楽界の未来に明るい希望を抱かせたのは収穫だった。
彼らの先輩格に当たる15人目、高木竜馬もウィーンに住みながら勉強に実践に、密度の濃い日々を送っている成果をはっきりと印象づける。残念ながら最後の曲、ムソルグスキーの「展覧会の絵」は所用で聴けなかった。その直前に弾いたドビュッシーの「水の反映」「運動」でみせた理知的な分析・解釈の刃は数年前の高木にはまだ、備わっていなかった。前半のメイン、プロコフィエフの「ソナタ第7番(戦争ソナタ)」はロシアン・ヴィルトゥオーゾに憧れ、ピアノの勉強に熱中していた10代の総決算のように響いた。冒頭に置かれたグリーグ「抒情小曲集」からの2曲、「その昔」「夏の夕べ」とショパンの「練習曲作品25の11《木枯らし》」「バラード第4番」はまだ、消化不良の感があった。
正確で美しい打鍵を期す余り、全体を統括するアーティキュレーションのパースペクティブが後退し、楽曲全体にかかる旋律のアーチ、一貫したストーリーの語りかけに事欠く結果を招いている。勉強が生涯にわたって続けるものであることは疑いないが、そろそろ色々な先生の意見や奏法すべてを真に受けてごちゃ混ぜにするのをやめ、自分との対話の中で表現様式の統合を目指す段階に差しかかっているのではないだろうか。
ロシア物で華麗な響きを求め、鍵盤前方の蓋を外すこだわりを「素晴らしい」と評価するか? 「もう少しタッチやペダリング、音量のコントロールに気を配れば必要ない」と批判するか? 大きく評価が分かれるアイデアを臆さず実行に移す若さはやはり、まぶしい。
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