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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

色彩の魔術師カンブルラン、フランスとドイツの音楽鮮やかに描き分け「卒業」


2つの演奏会を見開きにすると、豪華さが際立つ

1948年生まれのフランス人シルヴァン・カンブルランの日本での評価は、2010年に読売日本交響楽団の常任指揮者に就くまで高いとか低いではなく、まるで定まらなかった。それどころか尾高忠明からゲルト・アルブレヒトを経てスタニスラフ・スクロヴァチェフスキに至るまでベートーヴェンやブルックナーなどを得意とする常任指揮者が続いた後だけに、危惧する声があったほどだ。だが長年のパートナーだった故ジェラール・モルティエも見守る中で指揮した就任披露演奏会、モーツァルトの「ジュピター」交響曲とストラヴィンスキーの「春の祭典」という名曲を一点一画ゆるがせにせず、しみついた演奏慣習のルーティンを厳しく排除して「一から作り直す」意思の強固さに接し、「面白いことになるぞ」と思った。


予感が確信に変わったのは2011年3月。東日本大震災と福島原子力発電所の事故で来日をキャンセルする外国人演奏家が相次ぐなか、カンブルランはブリュッセルから何便ものフライトを乗り継いで来日した。東京のホテルにチェックインした直後、電話でインタビューすると「常任指揮者を務めるオーケストラの団員たちが危機に直面しているとき、何を置いても現場に駆けつけるのはシェフとして、当然の務めだ」と言い切った。さらに「私の国(フランス)を含めてヨーロッパの多くの国が原子力発電に依存しており、理性的現代人ならリスクもわきまえていると思っていたのに、ヒステリックな対応しかできないなんて、がっかりしたよ」とまで漏らした。そのまま記事にしたところ演奏会は売り切れ、楽員との信頼関係も一気に強まった。


以後の快進撃は、東京の多くの音楽ファンが知る通り。カンブルランは明確な方針をもって、読響を異なる文化圏の作品ごと、異なる音色と響きを出せる「名器」へと進化させた。中でも2018年、世界初演者の小澤征爾すら日本での全曲演奏をあきらめていたメシアンの大作オペラ「アッシジの聖フランチェスコ」の演奏会形式による全曲日本初演では、読響のみならず日本のオーケストラ全体の歴史に、輝かしい記念碑を打ち立てた。


9シーズンの濃密な共同作業は今月(2019年3月)、ひとまず終わりを告げる。セバスティアン・ヴァイグレに後事を託して以降も桂冠指揮者として読響との関係は続くが、常任ほどの共演頻度ではなくなるはずだ。常任最後の月の3プログラムのうち、私は3月7日のイベール&ドビュッシーによるフランス音楽プログラム、14日のシェーンベルク「グレの歌」をサントリーホールで聴いた。


イベールは名曲「寄港地」とカンブルランの旧任地、フランクフルト市立劇場オペラ管弦楽団の首席を務めるフランスの女性フルート奏者サラ・ルヴィオンをソロに立てたレアものの「フルート協奏曲」、ドビュッシーはドイツの作曲家&指揮者ハンス・ツェンダーの編曲による元はピアノ独奏のための「前奏曲集」から5曲の日本初演と交響詩「海」を組み合わせた。「寄港地」が始まったとたん、羽毛のように軽く柔らかなフランス風の響きがホール一杯に広がる。協奏曲のソロは堅実以外の何ものでもなかったが、全体の構成を考えると、意図的な人選だったと思える。知性派ともいえるルヴィオンはアンコールにドビュッシーの「シランクス」を吹き、後半への橋渡し役を見事に務めた。ツェンダーの編曲、ドビュッシーもドイツ人が手を加えた途端に「シニカルな笑いや毒を放つのだなあ」と半ば感心、半ば呆れながら楽しんだ。白眉は「海」に尽きる。第1部は通常よりも抑えめに進め、第2部に異例の高揚を持ち込み、第3部を極限までワイルドに燃え立たせた。「この曲があってこそ、ストラヴィンスキーも『春の祭典』を世に送り出せたのだ」と、音楽史の展開を追体験できる域に達した名演奏だった。



「グレの歌」では外来の独唱者たち、新国立劇場合唱団の卓越した声楽に輪をかけて、カンブルランと読響が完全に一つとなった管弦楽のドラマに圧倒され続けた。演奏の見事さとテンションの高さは「アッシジ」に匹敵するが、メシアンの玲瓏に研ぎ澄まされた感覚とフランスの香りをシェーンベルクでは完全に後期ロマン派の熱く豊穣な響きに塗り替え、短期間に読響が獲得した音のパレットの多彩さに息をのんだ。極限まで管弦楽を肥大させてしまったシェーンベルクがにっちもさっちも行かなくなり?、調性の破壊や12音技法の開発に向かわざるをえなかったのではないかと聴き手に想像させるほど、カンブルランはここでも「海」と同じく、音楽史への確かな視点を音色の角度から明らかにした。色彩の魔術師の「卒業制作」にふさわしい充実の仕事ぶりである。


ロビーには1967年当時の常任指揮者、若杉弘が敢行した「グレの歌」日本初演の写真(東京文化会館)と出演者一覧が展示されていた。今年は若杉の没後10年。後に新国立劇場オペラ芸術監督も務めたピノさん(若杉の愛称、ピノキオのような形の鼻からきた)が今日の演奏を聴いたら嫉妬を通り越して「すごいよ、ついにここまで来たんだね」と、素直に喜びそうな気がする。



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