ザルツブルクから戻って最初の音楽イベントは濱田芳通率いるアントネッロが主催、埼玉県の川口総合文化センター・リリアが共催した「ダ・ヴィンチ音楽祭vol.1」の2日目(2019年8月15日)。午後2時に杉山洋一プロデュースでダ・ヴィンチと同時代の作曲家と杉山の自作、高橋悠治とクセナキスの作品を箏2人(吉澤延隆、今野玲央=LEO)、三味線(本條秀慈郎)、尺八(長谷川将山)で奏でた「ミラノのダ・ヴィンチ〜スフォルァ家宮廷音楽と現代邦楽」、4時半に音楽祭アンバサダー3人(音楽学者の金澤正剛、音楽評論家の矢澤孝樹、人文科学エヴァンジェリストのいのうえとーる)の座談会「音楽家レオナルド・ダ・ヴィンチ」、6時半にアントネッロの「オペラ・フレスカ」シリーズ第6回を兼ねたオペラ「オルフェオ物語」と、盛りだくさんの午後を堪能した。
邦楽器のパルシヴな破裂音、不ぞろいの音程や音色は案外、西洋のルネサンス音楽あるいは前衛音楽に合致する。ミラノに在住、作曲と演奏の両面で洋の東西を熟知した杉山ならではの鋭い洞察が、面白い音の絵巻物を編み出していた。高橋悠治の「百鬼夜行絵巻」では本條が語りに回り、映像が様々の物怪(もののけ)を映したが、それが何故か、ダ・ヴィンチの奇想天外な才能の展開とシンクロするような錯覚もあって、非常に興味深い演奏会だった。
座談会は音楽書「音楽家レオナルド・ダ・ヴィンチ」の翻訳も手がけた金澤の示唆に富む解説、好奇心旺盛な矢澤のツッコミなどで続くオペラ上演への期待を大いに盛り上げた。3人が3人、そろって「プログラム冊子の解説は懇切丁寧すぎてネタバレ感満載なので、開演前には読まないことをオススメする」と言ってくださったのは、よかった。後に正解と納得。
音楽祭の芸術監督でアントネッロ代表の濱田がルネサンス〜バロック時代のオペラ再現に傾ける情熱の凄さはザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭総監督のメゾソプラノ、チェチーリア・バルトリに勝るとも劣らないし、上演の音楽的水準もヨーロッパの一線と比して遜色がない。一般には古典派〜ロマン派音楽の狂信的賛美者と思われていた音楽評論家、故・宇野功芳も濱田がプロデュースする「オペラ・フレスカ」の熱心な支持者だった。
その第6回を兼ねた今回の上演ではダ・ヴィンチが〝プロデューサー〟として関わり、大道具のデザインや作曲の一部まで手がけたが、今はアンジェロ・ポリツィアーノが書いた台本だけが現存するオペラ「オルフェオ」の再創造に挑んだ。楽曲として残る最古のオペラ、ペーリの「エウリディーチェ」(1600年)より約1世紀も前の作品という。濵田はテキストをダ・ヴィンチの同時代の作品に当てはめる「コントラファクトゥム(替え歌)」の手法を巧みに使い、、演出の中村敬一はモプソ役のテノール(今回与えられた音域だけ聴くと、バリトンと錯覚する)の黒田大介に狂言回しの語り役としてのダ・ヴィンチを演じさせることで、立派に「それらしいオペラ」に仕上げていた。アントネッロの基本ユニット3人(指揮&コルネットの濵田、ルネサンス・ハープとヴァージナルの西山まりえ、ヴィオラ・ダ・ガンバの石川かおり)にゲストを交えた合奏団の水準は極めて高く、安定した技術でニュアンス豊かな音楽を奏でる。オルフェオの坂下忠弘(バリトン)、エウリディーチェ&メルクーリオの阿部雅子(ソプラノ)、ブルートの弥勒忠史とアリステオ&ミーノスの上杉清仁のカウンターテナー2人をはじめとする歌手たちの歌、演技も実にこなれたもので、日本におけるバロック歌劇上演の未来に大きな希望を抱かせた。
事前に解説を読まないで正解だったのは、エウリディーチェを失った後のオルフェオの顛末を原作に忠実なまま、極めて生々しく再現した部分の驚きを本番まで「とっておく」ことができたからだ。ミーノスに冥界への再入場を拒まれたオルフェオの前にダ・ヴィンチ先生が現れて抱きしめ、女性への愛を否定。かなり長いイチャイチャ場面を経て冥界のバッカスの巫女たちが女性蔑視への復讐を決意、オルフェオの首を落とす。巫女が喜びの宴で酔いつぶれた後、オルフェオの首(坂下のかげ歌)がダ・ヴィンチの書いた詩を歌う。「たった1つの愛だけが、それを思い出させ、それだけが心をかき立てる」。それはエウリディーチェへの愛だったのだろうか?
とにかく、18世紀末以降のブルジョワジー(富裕市民層)台頭によって音楽にも公序良俗が求められ、「オルフェオ」物でもあからさまなBL(ボーイズラヴ、まあ、今回の上演のヴィジュアルは話題の「おっさんずラブ」に近いが)や斬首の場面はカット、エウリディーチェが生還するハッピーエンドに差し替えられる以前、オリジナルの価値観を再認識させた点でも、かなり挑発的(provocative)な上演だった。午後2時から9時25分のオペラ終演まで一貫して付き合った観客も多く、その好奇心と音楽知識、真摯な鑑賞態度は今や、日本にしか残っていないものなのではないかと考えると、いささか複雑な思いにもとらわれた。
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