ベートーヴェンがオペラ「フィデリオ」を完成する過程で作曲した4つの序曲のうち、「レオノーレ」第3番は単独で演奏される機会が最も多い名曲である。過去半世紀近い鑑賞歴を通じ、私が作品の精神を最高に体現した指揮者と確信するのはレナード・バーンスタイン。1976年は5月18日にカーネギーホールでニューヨーク・フィルのメンバーを指揮した「史上最大のコンサート」、10月17日にミュンヘンのドイツ博物館でバイエルン放送交響楽団を指揮した「アムネスティコンサート」のそれぞれ冒頭に、「レオノーレ」第3番を持ってきた。さらに1985年8月6日、広島市への原子爆弾投下40年の節目にEC(欧州共同体=EUの前身)ユース・オーケストラとともに広島郵便貯金会館の「平和記念コンサート」に臨み、「レオノーレ」第3番を指揮した公演は、客席で聴いていた。様々な面で、非常に起伏に富んだ人生を送ったバーンスタインだが、人間をとことん愛し、世界平和を希求する強い意思をこめ、全身全霊で指揮をする姿勢の象徴が、牢獄からの解放を描く「救済オペラ(Befreiungsoper)」の1曲だったように思えてならない。
2019年9月1日、BunkamuraオーチャードホールのNHK交響楽団「フィデリオ」演奏会形式上演を指揮したパーヴォ・ヤルヴィは一家で渡米した後、ロサンゼルスやタングルウッドでバーンスタインの指導を直接受けている。休憩後、第2幕に先立って演奏した「レオノーレ」第3番は純粋に器楽的な合奏美、現代最先端のオーケストラ演奏技巧を究めたもので、バーンスタインの演奏で常に体感してきた精神のヒューマンな感動、肉体の熱い鼓動が完全に「過去の産物」と化した実態を思い知り、ショックを受けた。
だが両者のギャップは、ソリストと合唱団の肉声が加わった時点で背後に追いやられ、素晴らしいキャストで音楽劇を堪能できる喜びが前面に出た。レオノーレのアドリアンヌ・ピエチョンカ、フロレスタンのミヒャエル・シャーデのカナダ人コンビ、ドン・ピツァロのヴォルフガング・コッホ、ロッコのフランツ=ヨーゼフ・ゼーリッヒ、マルツェリーネのモイツァ・エルトマンの外国人キャストは適材適所。特にバス2人の底光りのする美声、セリフは、なかなか日本人歌手では得られない響きだ。ジャキーノの鈴木准、ドン・フェルナンドの大西宇宙も存在感を示した。新国立劇場合唱団(冨平恭平指揮)は小さなソロも担い、鮮やかな成果を上げた。
舞台演出を伴うオペラ作品としての「フィデリオ」上演に伴う困難の数々は先日、「日経電子版The Nikkei Style」の記事に書いた;
とりわけ第2幕のフィナーレにかけて、同じような歌詞を5重唱、6重唱、合唱が何度も何度もたたみかけて盛り上げる場面で視覚を持たせるのは「至難の業だろう」と、今回の演奏を聴きながら改めて思った。舞台装置や衣装のない演奏会形式では、他に類例のない手法でオペラという表現形態に立ち向かい、いくつもの斬新なアイデアを音楽に結晶させたベートーヴェンの手腕が、よりストレートに迫ってくる。オペラやジングシュピール(歌芝居)よりも音楽とセリフが交互に物語をつむぐ18世紀のメッロドラーマ様式の延長線上に、気宇壮大な合唱民衆劇を創造、さらにドラマティックで演奏至難な技巧を課したソロを載せ、人間の声が持つ力の可能性をとことん追求したのではないか? そんな作品の真価論まで喚起する、優れた演奏会形式上演だった。
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