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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

篠﨑指揮大阪響のロシア音楽と飯森指揮いずみシンフォニエッタ大阪の現代作品


新幹線、米原付近の大雪で徐行につき仕事をする

昨年(2021年)11月以来3か月ぶりの大阪。だがザ・シンフォニーホールは2年半ぶり、いずみホールを最後に訪れたのがいつだったかは思い出せないほど久しぶりの訪問だった。


大阪交響楽団第253回定期演奏会(2022年2月4日、ザ・シンフォニーホール)

指揮=篠﨑靖男、コンサートマスター=森下幸路

グリンカ「歌劇《ルスランとリュドミラ》序曲」

ボロディン「交響詩《中央アジアの草原にて》」「歌劇《イーゴリ公》より《ダッタン人の踊り》」

チャイコフスキー「交響曲第4番」


本来は1938年生まれのベテラン汐澤安彦が指揮する予定だったが怪我でキャンセル、ちょうど30歳年少の篠﨑靖男が曲目変更なしの代役を務めた。篠﨑とは20年以上前に知り合い、東京での力強いデビューコンサートを聴いた記憶があるし、2001ー2004年にロサンゼルス・フィルハーモニック副指揮者だった時期に現地で会い「ロスで2番目に美味しい?ハンバーガー」を一緒に食べたりもしたが、肝心の演奏を聴くのは今回が2度目だった。


冒頭のグリンカは指揮者、オーケストラ双方のエンジンがかかり切らない印象ながら、大阪響の弦が柔らかくニュアンス豊かな音色で歌い、篠﨑の力量の一端を確かに示した。静と動ーーボロディンの対照的な2曲では調子を上げ、しっかりしたオーケストラ・ドライブを楽しめた。管楽器のソロは東京のメジャーに比べ不揃い&不安定に違いないが、コテコテ関西風(というのはちょっと失礼な言い方で、すみません)の音色のキャラが前面に出て、音楽的な味わいを高めているのが興味深かった。とりわけ、コールアングレの濃さ!


後半のチャイコフスキーはますます好調。ケバケバしく演奏されがちな第1楽章では近代ロシアの洗練を極めたインテリ、チャイコフスキーの人間性に迫りつつ、避け難い運命との葛藤に呻吟する様を丁寧に描き、内実を伴った響きに結晶させた。指揮棒を使わないで引き出した第2楽章のメランコリー、再びタクトを振ってリズムを克明に浮かび上がらせた第3楽章、ロシア民謡の原曲にも光を当てながら人生の来し方行く末を見据え、どん底からの脱出と勝利に帰結する第4楽章ーーとそれぞれの楽章の特徴をはっきり捉え、振幅の大きな音楽をつくった。50代半ばの円熟期に至って余計な力みが消え、経験豊かにオーケストラをドライヴする篠﨑の「今」に、全く予想外のシチュエーションで遭遇できたのは幸いだった。


いずみシンフォニエッタ大阪第47回定期演奏会「協奏燦然!」(2月5日、いずみホール)

指揮=飯森範親、ピアノ=小菅優※

坂田直樹「残像の器」(2022年委嘱新作)初演、コンサートマスター=佐藤一紀

西村朗「ピアノ協奏曲《シャーマン》」(2004)再演※、コンサートマスター=釋伸司

バルトーク「管弦楽のための協奏曲」〜川島素晴による室内管弦楽版(2022)初演、

コンサートマスター=大谷玲子


坂田は1981年京都市生まれ。いずみシンフォニエッタの「関西出身若手作曲家委嘱プロジェクト」の第8弾として、新作を委嘱された。愛知県立芸術大学からパリのエコール・ノルマルに留学、フランス音楽に強いアフィニティー(親和度)を意識してきたという。「音の余韻のさまざまな聴かせ方を追求した」新作でも確かに、それぞれの楽器単独の音色、重なった際の音響など多彩な「音たち」のあり方を試み、聴き手に感覚的な刺激を与えていく。音の効果のためには衝撃緩衝材「ぷちぷち」まで楽器として動員する〝音フェチ〟ぶりだ。昼下がりの冒頭に置かれると、心地よい感触に浸り過ぎて、ウトウトしたのは私の不覚。


ところが、当時21歳の小菅が飯森指揮ヴュルテンベルク・フィルハーモニー管弦楽団と2004年にドイツで世界初演した西村の協奏曲では光景が激変。日本のアニミズム(呪術)的世界を想起せざるを得ない具象の響きが聴き手の意識の端々に突き刺さり、憑依の世界に巻き込んでいく。信頼できる共演者を得た際の小菅は、時にソロ・リサイタル以上の輝きを放つ。曲を完璧に手中へ収め、次第に憑依度を高めつつも、飯森指揮いずみシンフォニエッタと全く隙のないアンサンブル、積極的な音の会話を繰り広げ、見事の一語に尽きた。


後半、川島は3管編成の大管弦楽曲を基本1管の室内オーケストラのサイズにリダクションする無理難題に挑んだ。ただ減らすだけでなく(構造上無理もあるらしい)、1人の管楽器奏者が複数の楽器を持ち替える(例えばオーボエとオーボエ・ダモーレ。古部賢一さん、1曲目の「ぷちぷち」の妙技?といい、お疲れ様でした)、マリンバとピアノを追加するといった工夫も凝らし、聴き慣れた名曲に新たな輝きを与えた。個人的には、華麗な大管弦楽に覆い隠されてきたバルトーク最晩年の苦悩のつぶやき、幼少時から親しんできたであろうハンガリーやルーマニアの民族音楽の土俗的な感触などが絞り込まれた響きとともに浮かび上がり、作曲家の肉声を聴くような錯覚に陥った。なかなか優れた編曲に仕上がっていた。


全曲を通じて飯森&いずみシンフォニエッタの演奏は精度と燃焼度を兼ね備え、作品への深い理解と共感に満ちたものだった。



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