• 池田卓夫 Takuo Ikeda

竹澤恭子と江口玲のベートーヴェン〜30年の蓄積がもたらす自然な語り合い


2020年10月24日、東京・晴海の第一生命ホールで竹澤恭子(ヴァイオリン)、江口玲(ピアノ)による「ベートーヴェン生誕250周年記念」リサイタルを聴いた。「ヴァイオリン・ソナタ第5番《春》、第7番、第9番《クロイツェル》」の王道3曲。アンコールはクライスラー「ベートーヴェンの主題によるロンディーノ」と、竹澤が「コロナ禍の1日も早い終息を願って」と客席に語りかけてから弾いたシューベルトの「アヴェ・マリア」。7か月近く前の3月31日、感染症対策の行動制限が本格化する寸前に竹澤と会い、まとめたインタビューでは米国ニューヨークのジュリアード音楽院留学時代以来30数年に及ぶ江口との関係、それぞれの楽曲に対する思いが率直に語られているので、最初に貼り付けておく:

https://www.triton-arts.net/ja/concert/interview/2020/3275/


前夜には小林美恵(ヴァイオリン)、阪田知樹(ピアノ)の初共演で「第1〜3番、第9番《クロイツェル》」をhakuju(白寿)ホールで聴いた。小林については全3回のソナタ全曲演奏会を聴き終えた時点でレビューを書くつもりだが、《クロイツェル》ほどの圧倒的作品の解釈に対し、優劣を論じようなどという無謀&無礼な思いは全くない。日本を代表する2人の名手の全力投球と個性を通じ、楽曲への親近感が一段と増したことへの感謝だけだ。


竹澤が《春》を弾きだすと、新型コロナウイルス感染症のおかげで暗い気分のまま終わってしまった今年のお花見シーズンを音の世界で取り戻したような錯覚を覚えた。明らかに数年前と比べ、柔和で闊達な表情、ゆとりを増し、曲を必要以上に重くしないだけの脱力が徹底している。この錯覚が私には強い陶酔をもたらし、白昼夢のような状況で意識、無意識の世界を行き来する稀有の時間を体験した。


あまりに室内楽のピアノが達者で、優れたソリストの実態を忘れてしまいがちな江口は、今日も素晴らしかった。タカギクラヴィアが調整した1887年製のニューヨーク・スタインウェイの程よくエイジングの効いた音色を生かし、響き過ぎず軽やかで克明なタッチを基本にベートーヴェンの書法を解き明かし、モーツァルトの時代までの「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」が次第に「ピアノとヴァイオリン」あるいは両者対等のバランスに転じていく過程を適確に再現していた。「第7番」の緊張感と絶妙の「間(ま)」のやりとりも、2人の長い共演歴の賜物だろう。《クロイツェル》は2年前に紀尾井ホールで聴いたときより遥かに自然体の風情を漂わせ、猛々しさの影に隠れがちなリズムの妙、蠱惑(こわく)的な瞬間などの多彩な楽想が、より鮮やかに再現された。「横綱相撲」の充実したデュオだ。


アンコールのクライスラーは一転して流麗&陽性な語りくちで魅了。「アヴェ・マリア」への心のこめ方、祈りの強さも尋常ではない。「オール・ベートーヴェン・プログラム」を聴くつもりで来た自分は不意をつかれ、涙腺決壊の幕切れとなった。


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