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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

私の「平成最後の演奏会」は台湾フィル


プログラム冊子の表紙

4月29日の夜遅く日本に戻ると、想像を超えたテンションの「平成カウントダウン」が待っていた。私にとって平成最後のオペラはニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の「神々の黄昏」(ワーグナー)、最後の演奏会はリュウ・シャオチャ(呂紹嘉)指揮の台湾フィルハーモニック東京公演(4月30日、東京文化会館大ホール)と、なかなか意味深なラインアップとなった。日本政府は「2つの中国」を容認しない立場なので、台湾は「地域」の扱いだが、親日度はメインランド・チャイナ(中華人民共和国)の比ではなく、日本人にとって最も寛げる観光地の1つにもなっている。フィルハーモニックは1986年創立の国家交響楽団で2014年以来、台北のナショナル・パフォーミング・アーツ・センターのレジデント・オーケストラ。プログラミングにも親日の情は鮮明。芥川也寸志の「交響管弦楽のための音楽」(1950)で始め、後半のメインの前には日本に暮らした台湾人作曲家、江文也の出世作(作品1)である「台湾舞曲」を置いた。ヴァイオリン協奏曲は昨年のインディアナポリス国際コンクールで優勝した台湾人リチャード・リンが独奏したメンデルスゾーン、交響曲はシベリウスの第2番と、オーケストラの実力が露骨に出る作品で堂々の勝負に出た。


かなり優秀なアンサンブルである。管楽器のソロは確かで、弦楽器にも独特の艶やかな音色が備わっている。ほぼ全員が同胞の中にフルート、トランペット、ティンパニに西洋人の楽員が1人ずついて、要所を締める役割を担うのは、日本フィルハーモニー交響楽団とも似ている。シベリウスの2番といえば日本フィルの欧州ツアーで7回と凱旋定期で1回の計8回聴いたので、台湾フィルで今月9回目。3日に1度の割合とは…! いくら好きな作品でも「またか」の思いは拭えない。フィンランド人首席指揮者ピエタリ・インキネンと、フィンランド人を母に持つ渡邉暁雄が創立した日本フィルによる演奏が日増しに完成度を高める現場に立ち会った直後だけに、耳も肥えきっている。台湾フィルは欧州大陸でのカペルマイスター(楽長)経験も豊富なリュウの適確な指揮に導かれ、非常に骨格のしっかりした音楽を奏でた。終楽章だけは意欲が先走って音の美観を損ね気味となり、残念だった。管の強奏に弦がかき消されがちな傾向や、すべての音が端正に整いつつも、なかなか響きが前に飛ばないもどかしさはちょうど、10年ほど前の日本のオーケストラを思い出させる。逆にいえば、アジア各地に素晴らしいオーケストラのポテンシャルが散財しているわけで、長く語られている「21世紀の音楽はアジアの時代」との掛け声が、いよいよ真実味を帯びてきた。


芥川の、戦後社会の希望をそのまま音にしたような若書きに対し、1936年のベルリン・オリンピック芸術競技音楽部門で選外佳作「栄誉賞」を授かった江の処女作は「東京にて二等国民として控えめに過ごしていた」(劉美蓮のプログラム解説より)日々に募ったであろう望郷の念が全編に漂い、胸を打つ。明治以降の日本と台湾の数奇な関係を音楽の面から問い直す、優れた選曲の妙だった。


リンのヴァイオリンは生真面目、インディアナのコンクールから貸与されたストラディヴァリウス「Ex-ギンゴールド」(1683年製)を完全に手中に収めたようにも思えず、超有名曲のメンデルスゾーンで独自の演奏解釈を示す域には達していなかった。優れた音楽性の片鱗はむしろ、懸命の日本語で曲名を伝えたアンコールのJ・S・バッハにしかと現れていた。2013年の仙台国際音楽コンクールの覇者でもあり、これから何度も来日して、成長の軌跡を確実に見せてくれることだろう。すべてにおいて、未来への希望に満ちた演奏会だった。


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