
サラリーマン兼指揮者、と書く必要はそろそろないかと思われる坂入健司郎と東京ユヴェントス・フィルハーモニーの第18回定期演奏会を2019年3月10日、晴海の第一生命ホールで聴いた。「ベートヴェン・ツィクルス第5回」と銘打ち「交響曲第8番・第5番」の2曲の間にヴァイオリンの石上真由子を迎え、ストラヴィンスキーの「ヴァイオリン協奏曲」とラヴェルの「ツィガーヌ」も演奏した。
坂入&ユヴェントス・フィルのベートーヴェン。見た目は対向配置の中規模編成でテンポも快速ながら、奏でる音楽は熱く、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーやハンス・クナッパーツブッシュら、20世紀前半の巨匠時代への強い憧憬を感じさせる。第8番の第1楽章のコーダ、第5番の両端楽章における激しい燃焼は坂入の持ち味であり、自ら設立して以来一貫して音楽監督を務めるオーケストラとの一体感も最高潮に達する。「斎藤(秀雄)指揮法」の影響を大きく受けた指揮者の多くが「たたき」(上から下への拍打ち=ビート)を基調とするのに対し、坂入は下から上へ、跳ね上がるリズム主導で音楽を弾ませる。対向配置だけ実行しても、第2ヴァイオリンの弱いオーケストラはプロでも少なくないが、ユヴェントスは2つのヴァイオリン・セクションの力量が拮抗、ベートーヴェンの書法をくっきりと再現していく。管楽器や打楽器のソロも、アマチュアとは思えないほどしっかりしている。ただ熱気と勢いで一気に進んでしまったのと、楽章ごとの仕上げに入念を期した結果、全曲通じての起承転結というかドラマトゥルギー(作劇術)の論理がいささか後退してしまったのは、残念だった。
石上のソロは日本コロムビアからのデビュー盤に収めた「勝負曲」、ヤナーチェクの「ヴァイオリン・ソナタ」と同じく、楽曲の核心へと鋭く一気に切り込み、作曲当時の熱気を現代に伝える手腕で際立っていた。ストラヴィンスキーの協奏曲は「新古典主義時代の作品」の一語で片付けられがち。実際にはロマン派の疲弊や前衛の袋小路を打開、生き生きした音楽表現を古典の形式美を借り、回復する試みだった。過去数年間に接した同曲の演奏は感情を殺して過度に突き放すか、形式美を度外視して体当たりの情熱で乗り切ろうとするかのどちらかで、煮え切らない思いを抱いた。石上はきりっとした造形を基盤に表出力の強い音楽を奏で、長年の渇を癒してくれた。「ツィガーヌ」は坂入が石上との共演を希望するきっかけを作った作品といい、両者の熱い想いが一つになった。アンコールはプロコフィエフの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」の一節。ストラヴィンスキーでまとった衣装からアンコールに至るまで、「バレエ・リュス(セルゲイ・ディアギレフ率いるロシア・バレエ団)の時代」をきっちり意識したプロデュースが石上らしい。3曲も弾いて疲労困憊かと思ったら後半、第2ヴァイオリンの4プルト内側で嬉々として「運命」を弾く石上を発見。タフだ!
聴きながら急激に思い出した。TBSラジオでその昔、毎週日曜日の夜に「百万人の音楽」という番組があった。パーソナリティは芥川也寸志と野際陽子。いつものように聴いて、続くニュースにぼんやり耳を傾けていたら、ストラヴィンスキーの訃報が入った。1971年で、私は中学1年生。はるか昔の作曲家と思っていたら、自分と13年間も同じ世界に生きていたとわかり、すごく驚いたのだった。良い演奏は、そんな個人の記憶も呼び覚ましてくれる。
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