福岡から東京へ戻ってすぐ、東京都との境に位置する埼玉県和光市を拠点とする地域オペラ団体「オペラ彩」の設立35周年記念公演、プッチーニの「トスカ」に出かけた(2018年12月9日、和光市民文化センター《サンアゼリア》大ホール)。芸術監督・総合プロデューサーの和田タカ子が一貫して演出家の直井研二と組み、合唱に市民や地元の学生、児童合唱団を起用する市民参加型のオペラ普及活動を続けてきたのは立派だ。私は2004年の「ラ・ボエーム」を皮切りとするプッチーニ・シリーズ、2008年「ナブッコ」以降のヴェルディ・シリーズで指揮者や歌手の人選に協力し、カンパニーの水準向上と受賞に貢献した自負はあるが、自身のプロファイルに資する部分が(それを目的としたわけではないものの)余りに少なく、2012年の「アドリアーナ・ルクヴルール」(チレーア)を最後に手を引いた。
半年ほど前、和田から久しぶりに接触があり「《トスカ》の題名役ダブルキャストに予定していた1人がダメになった。誰かいい人、いませんか?」という。即座に石上朋美の名が浮かんだ。新国立劇場で「蝶々夫人」を歌うはずだったギリシャ人ソプラノが風邪で初日だけ降板、カバーの石上が見事に代役を務めたにもかかわらず、「私は外国人のプリマドンナで観たかった」といった身勝手な観客の批判にさらされたり、さらに翌年の再演が「久々に日本人歌手の主役」を売りにしたとき起用されたのは別のソプラノで、石上には一切カバーの見返りがなかったりなどと、国内ではこのところ、実力に比して地味な位置に追いやられていた。実力では「トスカ」の器を十分に備えている。イタリアにメールしたところ奇跡的にスケジュールが空いていて、今回の「彩」デビューとなった。
期待通り、素晴らしい歌姫だった。イタリア語のディクションが明晰で、一言一言に情がこもっている。名アリア「歌に生き、愛に生き」も見事にきめた。唯一の注文は、スカルピア殺害の瞬間。あんな先の丸いナイフで胸をチョンチョン突いただけでは、人は死なない。電気ショックでも仕掛けてあるなら別だが。やはり肉用の尖ったナイフで、もっと激しく刺さなければダメだ。かつてイタリアの大バス歌手でスカルピアも当たり役にしていたルッジェーロ・ライモンディにインタヴューした折に、「理想的な殺され方」を訊いたことがある。
「私は解剖学者の意見も聞いた。先ずは下腹部を思い切ってひと突き、そのままナイフを抜かないで上へと動かす。これで完璧だ。最近は何を勘違いしたか、胸の辺りを小刻みに何度も刺すソプラノがいるけど、あれじゃ死ねない。私をミンチ(挽肉)にでもするつもりか」
これから「トスカ」の題名役を演じるソプラノの皆さん、どうか参考になさってください。
再び「彩」の舞台。カヴァラドッシの大澤一彰は相変わらずパッション満点の歌唱、同じくイタリア語の発音が素晴らしい半面、声質が明るく軽快な点に多少の違和感が残り、最高音を延々と伸ばす昔気質も最初は気になった。だがヴィート・クレメンテの指揮(管弦楽はアンサンブル彩。元NHK交響楽団第2ヴァイオリン首席で現在は国立音楽大学教授の永峰高志がコンサートマスターを務めた)が時にテンポ低徊に陥ることも辞さず旋律を歌いに歌い、イタリアでもプロヴィンチャ(地方)の中小歌劇場に残る古風な行き方だったので次第に噛み合い、アリアで正面を向き両手を広げる演技に至るまで、最後は一種の先祖返り感を楽しんだ。これはこれで、いいのかもしれない。スカルピアが初役の佐藤泰弘は音域が合わないのか、歌詞を追うのに汲々として、これまで得意のロシア物やドイツ物でみせてきた冴えがあまりなく、センプレ・フォルテ(押しまくり)の棒歌いに終始したのが残念だった。
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