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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

独自の美意識を貫くラルドゥレのピアノ


フランスの中堅ピアニスト、ヴァンサン・ラルドゥレのリサイタルを2018年10月23日、富ヶ谷のHakujuホールで聴いた。曲目は前半が没後100年を記念したドビュッシー、「前奏曲集第2巻」、後半がリスト「詩的で宗教的な調べ」の第7曲「葬送」、ショパンの「バラード第2番」、ラヴェルの「夜のガスパール」。ピアノ好きにはこたえられない凝ったテイストだ。ラルドゥレの演奏は「フランスのピアニスト」へのステレオタイプ〜音色は多彩かつ繊細だが、マッチョな量感を伴わない〜には全く当てはまらず、豪快な油絵のように音のパレットが広がり、並外れた音量を兼ね備えたヴィルトゥオーゾ(名手)の様相を備えている。


終演後に晩ご飯をご一緒しながら、ユニークなピアニズムの背景を探ってみた。「ピアニストとしての私の形成はフランスだけでなく、ドイツが大きく関わる。リューベック音大ではブルーノ・レオナルド・ゲルバーの薫陶を受けたし、ヴラド・ペルルミュテールからはラヴェルとともに注釈を加えたラヴェルの楽譜を受け継いだ。さらに独自の美意識、考え、歌心、フレージングなどを確立し、現代の最も完成された楽器の持ち味をとことん引き出していくのが私のピアニズムだ」と、ラルドゥレは自らの演奏を語る。ラモーやクープランなどクラヴサン(チェンバロ)のための作品をピアノで弾くことはせず、J・S・バッハの鍵盤音楽も協奏曲以外は弾くのをやめた。「モダン(現代)ピアノのオリジナル作品をとことん究めたい」といい、「ピアノを暴力的に扱ってはいけない。鍵盤を『たたく』のではなく『鳴らす』のが私にとってのナチュラルサウンド(自然な響き)だ」と、響きの理想を語る。


今回の選曲のテーマは、ヴィルトゥオジティー(名技性)にある。「ドビュッシーは年々歳々、作風をモダン、洗練、調性離脱の方向へと変遷させていった。《前奏曲集》も第1巻より第2巻の方が一段と難しく、素晴らしい。ドビュッシーはショパンが大好きだったし、リストとは文化的に近い立ち位置にある。ラヴェルもモダンで未来志向の作曲家だが、《ソナチネ》のように新古典主義の名作も残している。《夜のガスパール》ではリストの《超絶技巧練習曲集》、バラキレフの《イスラメイ》を超えるヴィルトゥオーゾ曲を目指した。しかも、フランス語を理解しないと正しく再現できない部分がある。《ガスパール》は自分にとって特別な作品だ」。さらに「ショパンをプロコフィエフのように弾いてはいけないし、ブラームスにはブラームスの和声がある。作曲が拠って立つ文化や時代、様式、美意識などの違いを学び、正確に再現することもまた、ナチュラルサウンドの前提条件だ」と説く。


探究心と挑戦意欲、実験精神が先走り、たっぷりした音量と超絶技巧、多彩な音色の使い道が拡散する瞬間があったのは残念。それもまた、ユニークな個性の裏返しだが。アンコールのスクリャービンが素晴らしかったので、次回の来日ではロシアの作品も聴いてみたい。



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