• 池田卓夫 Takuo Ikeda

瀬崎&多のシューマンからモルディブへ


上段が瀬崎明日香(左)と多紗於里、下段が劇団東京イボンヌ「モルディブの月」のカーテンコール

2019年2月最初の土曜日は昼に銀座で演奏会、夜に池袋で芝居と珍しいダブルヘッダーだったが、通奏低音にはしっかり、作曲家のローベルト・シューマンという伏線があった。


ヴァイオリンの瀬崎明日香、ピアノの多紗於里(おおの・さおり)のデュオ・リサイタルはヤマハホール。シューマンの「ヴァイオリン・ソナタ」全曲を第1→3→2番の順に演奏した。亡くなる6年前の1850年、シューマンがデュッセルドルフ市の音楽監督に就いて以降に書かれた(早すぎる)晩年の作品群で暗い雰囲気と詩情、激情、狂気が交錯、一筋縄ではいかない対象だ。パリ音楽院で学んだ瀬崎は「ドイツ語がまったくできない」といい、2歳からドイツで育った多(母もピアニストの多美智子)に「多くの助言を授かって」のデュオが実現した。以前、ナミ・レコードがリリースした多のシューマンのソロアルバムの見事な出来栄えを思い出せば、大変に納得できる人選だ。脱力の行き届いた奏法でベーゼンドルファーをごく自然に鳴らし(多くのピアニストが苦吟する第一関門を易々と突破し)、蓋を全開にしても決して弦をマスクしない打鍵のコントロールで、シューマンの枠組みを整えた。


一方の瀬崎は第1番の出だしから「デモーニッシュ(悪魔的)」と呼ぶべき強烈なテンションで狂気の世界へと踏み込み、仄暗くも美しいシューマンの情熱を体当たりで表現した。前半は緊張したのか、ややアクセルを踏みっぱなしとも思えたが、後半の第2番ではピアノのソロに対して弦はオブリガートに回るといった緩急のコントロールが冴え、会心の演奏に成就させた。シューマンが「ヴァイオリン・ソナタ」を手がけたきっかけはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスター、フェルディナント・ダーフィトからの依頼だった。ダーフィトはシューマンがクラリネットとピアノのために書いた「幻想小曲集」に感銘を受け、接触してきた。瀬崎と多はアンコールに「幻想小曲集」をヴァイオリンとピアノで弾き、シューマン特集の輪を閉じた。


それを聴きながら私は、昨年5月に亡くなったポーランドの女性ヴァイオリニスト、ワンダ・ヴィウコミルスカの芸風を思い出していた。晩年はコンクール審査員や教育者としての名声を高めたが、1970〜80年代に米「コニサー・ソサエティ」レーベルで制作した録音の数々は、「切ればサッと血の噴くような」(故・宇野功芳先生のパロディ、すみません)と評された極限の名人芸だった。瀬崎の情熱的で切れ味の鋭い演奏スタイルは間違いなく、ヴィウコミルスカの域まで円熟していくことだろう。


#瀬崎明日香 #多紗於里 #シューマン


「劇団東京イボンヌ」を主宰する劇作家で演出家、福島真也の新作「モルディブの星」は池袋西口の立教通り沿いの「Cafe&Bar木星劇場」で。イボンヌは以前、俳優とオペラ歌手、小編成のオーケストラを同時に舞台に上げ、モーツァルトやブラームス、シューマン、ドヴォルザークらを題材にしたユニークな音楽劇を上演していた。高尾山に呼び出されて最初にインタビューした2015年夏、福島自身が相当なクラシック音楽マニアで、とりわけシューマンの狂気に魅せられていることを知った。これが当時の拙稿↓

https://style.nikkei.com/article/DGXMZO90709280Z10C15A8000000?channel=DF130120166059&style=1


2年間の休眠期間を経て1児の父にもなった福島は、音楽劇をいったん封印、現代の砂漠に生きる世渡り下手の人々それぞれの人生の選択、男女の出会いがもたらす化学反応をモルディブと宇都宮という、あまりにかけ離れた2つの地点を往来しながら描く。たまたま今日(2019年2月2日)、正午のNHKニュースを視ていたら「宇都宮パルコ、今年春に閉店へ」という特ダネを報じていたので、福島の台本に出てくる「宇都宮にもパルコはある」の部分の〝賞味期限〟は、あと2ヶ月しかない。20世紀の演劇やオペラの悲劇は、劇場外の世の中で起きることの方が不可解で凄惨、あるいは唐突になってしまい、舞台上の表現が絵空事に思える確率を増したことにあった。21世紀の展開速度はさらに加速、劇作家はいよいよ開き直るしかなくなり、絵空事のリアリズムに命をかけている。「月」組のヒロイン、「田中布美」(孝島佑香が好演)の吐き気すら催すほどの「自分探し」「しあわせ探し」の執念と、それを実現するヴィジョンのなさは誇張に次ぐ誇張ながら「こういう若い女性、最近は結構いるよな」と感じた瞬間、背筋がゾッとする。サイコパスの夫を全身全霊の狂気で演じた米倉啓の怪力にも、拍手を送りたい。他のキャストもそれぞれ役になりきっていた。


さらに、布美と出会い、新しい人生に目覚める挫折エリート会社員の「吉行」を演じた樋口大悟に漂う独特の陰影が気になって帰宅後、ネットを検索してみた。


「フィットネスインストラクターをしながら俳優を目指し、アクションクラブに入所して間もない25歳の秋(2003年9月)、急性骨髄性白血病と診断され抗がん剤治療…2005年8月に骨髄異形成症候群と診断されるも日常生活に支障ないとの診断…2008年7月に病状が突然悪化、11月に骨髄移植。2009年半ばに復帰した」


これは、半端ではない人生だ。樋口の肉体をメディア(媒体)にして、舞台の上と外の虚実が一つにつながっていた!


福島は音楽にラヴェルのピアノ曲、特に「マ・メール・ロワ」を多用していたが、最後はJ・S・バッハの「ゴルトベルク変奏曲」のテーマで閉めた。30の変奏の後に同一のテーマへと回帰する「ゴルトベルク」の設計が、あたかも人々の輪廻転生であるかのように。


#東京イボンヌ #モルディブの星 #モルディブの月 #福島真也

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