池田卓夫 Takuo Ikeda
潜在能力の全てを発揮したウィーンPO

「ウィーン・フィルハーモニー ウィーク イン ジャパン 2019」が始まった。11月5日サントリーホールのクリスティアン・ティーレマン指揮「日本オーストリア友好150周年スペシャル・プログラム(サントリー芸術財団50周年記念)」、6日ミューザ川崎シンフォニーホールのアンドレス・オロスコ=エストラーダ指揮、イェフィム・ブロンフマン(ピアノ)独奏の2公演を聴く限り、今回の来日は「本気中の本気」で、世界最高峰のオーケストラが潜在能力を全開にすると、かくも凄い音楽が鳴り響くのかと圧倒されっ放しだった。
ティーレマン指揮の特別公演は前半にモーツァルトの「歌劇《フィガロの結婚》序曲」、R・シュトラウスの「歌劇《ばらの騎士》組曲」、後半にシュトラウス・ファミリーのオペレッタ序曲、ワルツ、ポルカを配した。開演時点で「ばらの騎士」の編成で乗り、「フィガロ」を演奏しない楽員が何人もいたのは逆に、ガラならではの雰囲気を盛り上げた。モーツァルトではかかりきらなかったティーレマンのエンジン、「ばらの騎士」冒頭からフルスロットルに入った。私はカルロス・クライバーにとって生涯最後のオペラ指揮となった1994年の「ばらの騎士」(オットー・シェンク演出)をウィーン国立歌劇場と東京文化会館の2度観ているが、今年60歳、もはや練達のオペラのマエストロの頂点に立つティーレマンは別角度からのアプローチで、見事にウィーン・フィルを鳴らしきった。色艶と陶酔感で思考が停止、ただただ美音と劇的振幅の大きさ、息の長い歌の流れに身を任せていた。
後半6曲の最後に置かれたヨーゼフ・シュトラウスの「ワルツ《天体の音楽》」の浮世離れした美しさに触れるうち、涙が出てきた。終演後のレセプションでコンサートマスターのライナー・ホーネック(日本ツアーを率いること自体が稀だ)に「今年1月のニューイヤー・コンサートに比べ、ティーレマンの指揮がはるかに柔軟で、フィルハーモニカーの自由に委ねる場面が増えたね」と指摘すると、ホーネックも「そうでしょ!ずうっと上手く噛み合うようになって、充実感があったよ」と同じ意見だった。ライナーには1992年、カルロス指揮のニューイヤー・コンサートのチケットを頼み、前から3列目の特等席(DVDには当時34歳の私が映っている)を調達してもらったことがあり、あまりに素晴らしい演奏だったので、ティーレマンへの期待値は正直低かったのだが、今回は完全に「してやらてた」。
私がウィーン・フィルの日本公演を初めて聴いたのは1975年、当時81歳のカール・ベームの指揮だったが、このツアーには補佐役の「若手」として当時34歳のリッカルド・ムーティが日本デビューを兼ね、同行していた。2019年のツアーにも、ティーレマンより18歳年下(1977年生まれ)のコロンビア人指揮者オロスコ=エストラーダが加わっている。インドのムンバイ(旧ボンベイ)生まれながら18歳でウィーン音楽アカデミーに留学、ハンス・スワロフスキー教授にドイツ・オーストリア音楽の王道をたたき込まれ、ウィーンの「嫡子」となったズービン・メータ(1936年生まれ)の約40年後、オロスコ=エストラーダは20歳でウィーンに来て、スワロフスキーの弟子ウロシュ・ラヨビチに師事した。ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団首席指揮者を佐渡裕に引き継いだ後はhr交響楽団(日本公演名はフランクフルト放送交響楽団)、ヒューストン交響楽団の音楽監督を務めてきたが、2020/21年のシーズンにはウィーン国立歌劇場音楽監督に栄転するフィリップ・ジョルダンの後を受け、ウィーン交響楽団首席指揮者に就く予定。まさに、メータの再来だ。
今回のウィーン・フィル日本公演ではロシア音楽プログラムを任され、ブロンフマンとのラフマニノフ「ピアノ協奏曲第3番」(1909)、ストラヴィンスキーの「バレエ音楽《春の祭典》」(1913)を指揮した。ウィーン・フィルは1935年に作曲者自身のピアノで前者を演奏、1925年にフランツ・シャルクの指揮で行った後者のウィーン初演がパリでの世界初演に匹敵するスキャンダルを巻き起こしたエピソードは、オットー・ビーバ博士(ウィーン楽友協会資料室長)がプログラムに執筆した楽曲解説で、克明に振り返っている。両曲の誕生には4年の時差しかないが、仄暗く深々とロマンティックなラフマニノフ、異教徒の祭りの幻想が原初のリズムを激しく刻むストラヴィンスキーの隔たりは大きい……はずだった。
ところがウィーンの柔らかな弦のサウンド、味わい深い管楽器の妙技、含蓄に富む打楽器群の奏でるハーモニーは、2つの名曲を美麗なシルクで覆い、一部の音楽評論家が好んで使う「ロシアの大地の懐(ふところ)」へと包み込んでしまった。もちろん野性味には事欠かないのだが、ラフマニノフで輝くウィンナ・ホルン、ストラヴィンスキーの第2部「いけにえ」冒頭に現れた第1ヴァイオリンの透明で温かな美音の極致などは、やはりウィーン・フィルでしか聴けない「音の御馳走」に違いない。オロスコ=エストラーダの果敢なリードがリズムを徹底的に際立たせ、ウィーンの美音が「だらしないロシア音楽」に堕さないよう、周到に挑発を繰り返したのも素晴らしい。過去の来日では今ひとつ、つかみどころのない能吏にしか思えなかった指揮者だが、今回ようやく、何故これほどまでに世界で高い評価を得ているのかの全容が明らかになった。手に汗握る凄絶な「ハルサイ」を聴けて、大満足だ。
暗く重たい作曲家の「精神の風景」を圧倒的な量感で描ききったブロンフマンはアンコールのショパン「夜想曲作品27の2」で一転、静謐な美音の限りを尽くし、ピアニストとしての懐の深さを立証した。この日がミューザへのデビュー。前日のレセプション会場で「どんな響きがするの?」と訊かれ、「とても容積が大きくて、札幌キタラの後に開いたミスター・トヨダ(音響設計家の豊田泰久氏)の傑作だよ」と答えた。協奏曲を弾いた直後の楽屋に駆けつけ「どうだった?」と尋ねると、「確かにキタラにも通じる素晴らしい音響で、雰囲気も温かく、気持ち良く弾くことができた」と会心の笑み。実は、ブロンフマンと私は同い年で、旧知の間柄だ。オロスコ=エストラーダのアンコールは、前日の正規曲目に入っていたエドゥアルト・シュトラウスの「ポルカ・シュネル《速達郵便で》」。ティーレマンとは全く違う感触で楽しさを盛り上げ、客席の手拍子を引き出すジェスチャーにも良質のショーマンシップを漂わせるなど、ウィーンで愛される理由を、自身の演奏から解き明かした。