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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

渡邉曉雄→若杉弘→大野和士→山田和樹東京都響と日本フィルの9月定期に想う



「指揮者は一代名人だから、本当の意味の後継者人事には関心ないよ」。東京交響楽団最高顧問(元楽団長)の金山茂人さんから18年も前に聞いた一言を今、改めて反芻している。


東京都交響楽団(都響)の2019年9月定期演奏会は音楽監督・大野和士の指揮により、往年の音楽監督2人を偲ぶ2つの曲目を並べた。3日の東京文化会館(A)と4日のサントリーホール(B)は「若杉弘没後10年記念」でベルクのヴァイオリン協奏曲「ある天使の想い出のために」(独奏=ヴェロニカ・エーベルレ)とブルックナーの「交響曲第9番」、8日の東京芸術劇場(C)は「渡邉曉雄生誕100年記念」と「日本・フィンランド外交関係樹立100周年記念」を兼ね、大野には珍しいシベリウス・プログラム。冒頭の「トゥオネラの白鳥」(イングリッシュホルン独奏=南方総子)とメインの「交響曲第2番」の間には、実は「協奏曲の伴奏指揮に密かな自信を持ち、ラフマニノフのピアノ協奏曲にも一家言あった」(次男でピアニストの渡邉規久雄の証言)という渡邉にちなみ、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」(独奏=ホアキン・アチュカロ)が置かれた。


2つの演目の谷間に当たる9月7日にはサントリーホールで、渡邉が創立した日本フィルハーモニー交響楽団(日フィル)の2019/20シーズン最初の定期を正指揮者・山田和樹の指揮で聴いた。日フィルは渡邉生誕100年の催しを前シーズンまでに終えているが、冒頭のサン=サーンスの「歌劇《サムソンとデリラ》より《バッカナール》」と最後のルーセル「バレエ音楽《バッカスとアリアーヌ》第1&第2組曲」の間に60年前、渡邉が世界初演した「日本フィル・シリーズ」第2作の間宮芳生「ヴァイオリン協奏曲」(独奏は新任コンサートマスターの田之倉雅秋)と同シリーズ第42作の大島ミチル「Beyond the point of no return」世界初演をはさむユニークなプログラミングはばっちり、創立指揮者の精神を受け継いでいる。日本人指揮者で米国へ留学した第1号の渡邉はニューヨークのジュリアード音楽院で、メトロポリタン歌劇場のフランス歌劇部門の指揮を担当していたフランス人ジャン・モレルに師事。母の国フィンランドをはじめとする北欧音楽だけでなく、フランス近代音楽を得意にしていた。両端に「酒の神」であるバッカスにちなむフランスの楽曲を置き、同時代の自国作品と鮮やかに対比させた山田はなるほど、渡邉→小林研一郎→山田という東京藝術大学音楽学部指揮科の直系に位置しているのだと思った。今年90歳の間宮は当時17歳だった初演ソリスト、松田洋子を伴って会場に現れ、30歳の自作との再会を喜んだ。


日本フィルは今年4月、首席指揮者ピエタリ・インキネンと行ったヨーロッパ・ツアー以来の好調を維持。海外での順調な指揮活動の反映か、一段と無駄な動きがなくなり、華やかな色彩や精彩あふれるリズムを自在に引き出し、ホールを熱狂の空間へと導く。間宮の旧作が「日本人にとっての西洋音楽とは?」という問いかけから発しているのに対し、大島の新作は出発時点からしてコスモポリタンの香りが漂う。「引き戻せないところに来てしまった」人間が振り絞る生きる力、未来への希望などを既存作品の引用も交えながら、巧みに描いていた。間宮作品を独奏した田之倉は、真摯な演奏態度で作曲家の切実な問いかけに応えた。



マノンの墓石(ウィーン・グリンツィング墓地)

都響の大野も藝大指揮科出身。渡邉の直系には属さないが薫陶は受け、若杉が都響音楽監督だった時代には初めてのポストとして、副指揮者に抜擢された。藝大と都響の先輩2人へのオマージュとして、それぞれを象徴する作品を選んだと思われる。ベルクではエーベルレの陽性で健康的、温かな音色に驚きつつも「こういうアプローチもあるのだな」と感心した。10日あまり前、ウィーンでベルクが悼んだ「ある天使」であるマノン・グロピウス(マーラーの死後に建築家ワルター・グロピウスと結婚したアルマが産んだ娘。小児麻痺に苦しみ、18歳で亡くなった美少女だった)の墓石に遭遇したところだったので、臨場感もあった。後半の交響曲も作曲家がオルガニストを務め、その響きを念頭にオーケストラを作曲したとされるリンツ近郊のザンクトフローリアン修道院大聖堂を訪れ、どこまでも柔らかく、自然に広がる音の世界に魅了された直後の鑑賞だった。大野と都響のメカニックの限りを尽くし、金管を強く際立たせ、弦をガンガン鳴らす行き方が、ザンクトフローリアン帰りの耳には激しくきつく突き刺さり、衝撃を受けた。これを「見事」と評価する人がいるのも、わかるのだが。



シベリウスの交響曲では大野よりも先ず、都響楽員の作曲家に対するアフィニティ(親和度)が日本フィルに比べ、希薄なのが気になった。南方の素晴らしいイングリッシュホルン独奏もあり、「トゥオネラの白鳥」が感動的な幕開けを演出したので交響曲への期待も高まったが、最初はブルックナーで感じた「オーケストラの最先端メカニック追求」路線の延長線上の気がしてならなかった。インキネンと日本フィルのツアーに同行、ほぼ連日聴き続けた「シベ2」とは明らかに異なる方法論と共感力の世界に、またしても自分の耳が拒絶反応を起こしたのだろう。ラフマニノフの伴奏でも感じた「鳴らし過ぎ」が一段と進み、冬のヘルシンキを訪れた折に経験した閉ざされた世界の人々の心の襞(ひだ)が聞こえないのだ。「確かにアケ先生(渡邉の愛称)の都響での遺産はシベリウスではなく、マーラーだったよなな」などと、高校生で都響の定期会員になったころの記憶をたぐってみたりもした。ところが、ある一瞬を境に光景が一変したから演奏会は生物(なまもの)、ライヴの魅力には抗しがたい。第4楽章の大詰めで主題のニ長調に回帰、堂々たるコーダ(終結部)に入った時点で全ての響きに血が通い、大野も楽員も全身全霊、音楽の神に奉仕する姿に感極まった。


オーケストラ界に新風を吹き込み、レパートリーの拡大に尽くした2人のマエストロの後輩たち、すっかり世代の交代した楽員たちによって、日本の楽団は素晴らしい進歩を遂げた。これに比べ、協奏曲のソリストの意識の変化は少ないのかもしれない。エーベルレはプロコフィエフの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」の第2楽章、含蓄に富んだラフマニノフでしびれさせた80歳代の長老アチュカロはスクリャービンの「左手のための小品」と、アンコールのセンスも抜群だった。本編の協奏曲でもじっくり、オーケストラとの室内楽的な会話を楽しんでおり、和声感や構築力、立体感などで学ぶべき点がまだまだ、たくさんある。

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