© 2018 音楽ジャーナリスト@いけたく本舗

  • Facebook Social Icon
  • Twitter Social Icon
  • 池田卓夫 Takuo Ikeda

渡邉暁雄生誕100周年記念演奏会に感慨

最終更新: 2019年6月23日


2019年6月22日サントリーホールは日本フィルハーモニー交響楽団主催、創立指揮者の「渡邉暁雄生誕100周年記念演奏会」。誕生日は6月5日で、22日は命日に当たる(1990年没)。日本フィルの創立記念日も同日だ。指揮は渡邉最後の愛弟子となった藤岡幸夫。1956年の第1回定期演奏会の曲目の1つ、ガーシュイン「ピアノ協奏曲」のソロは第1楽章が次男規久雄の妻である寺田悦子、第2楽章が規久雄、第3楽章が長男の康雄と、渡邉ファミリー総出のリレー演奏だった。


前半は上皇&上皇后陛下ご臨席。冒頭は渡邉の母の国であるフィンランドの国民的作曲家、シベリウスの交響詩「フィンランディア」で、日本フィルハーモニー協会合唱団(浅井隆仁指揮)のフィンランド語合唱がついた。今回は渡邉と直接の共演歴のある世代のメンバーが多く、2曲め以降は演奏会終了までそのままP席の聴衆として残った。今から51年前、渡邉が指揮する「フィンランディア」をテレビで偶然に視たのが、私とクラシック音楽の出会いだった。昭和から平成にかけての私たちを優しく見守り続けられた上皇ご夫妻のお姿も重ねつつ、「ずいぶん遠いところまで来たな」との感慨がよぎる。ガーシュインは3者3様、余計な批評をするよりも、ガラコンサートの雰囲気を盛り上げた功績を評価したい。前半にはもう1曲、小山清茂の「管弦楽のための木挽歌」(1957)。長野県をルーツとする渡邉家への思いからか、アケ先生(と呼ばれた)は折に触れて指揮、私も日本フィル、東京都交響楽団(都響)、広島交響楽団の演奏会で少なくとも3度、「木挽歌」を聴いた記憶がある。


高校生で都響の定期会員になったとき、渡邉が音楽監督だった。当時は珍しかったマーラーの交響曲を毎年12月の定期で採り上げ、デリック・クック補作の「交響曲第10番」は渡邉&都響の定期が日本初演だった。「渡邉のマーラー」は当時の東京の音楽ファンの人気演目となり、毎日芸術賞の受賞へとつながった。日本フィルの音楽監督に復帰したときの曲目も「交響曲第2番《復活》」。瞬時に売り切れ、追加公演があった。朝比奈隆がブルックナーなら、渡邉はマーラー。その足跡をしのび、後半の最初は「交響曲第5番」の第4楽章「アダージェット」。配置転換の間、藤岡はメインのシベリウス「交響曲第5番」について「シベリウスが癌から生還した悦びを歌い上げた作品。アケ先生は最後、闘病のどん底で書かれて暗い第4番との組み合わせにより、ご自身の復帰を祝う演奏会を指揮することを切望しながら、天に召されました」と、語った。日本フィルは1週間前に現在の首席指揮者でフィンランド人のピエタリ・インキネンと同じ曲を演奏したばかりで準備万端。藤岡の恩師に捧げる思いと相まって、記念演奏会にふさわしいフィナーレだった。


会場では渡邉と日本フィルが実際に出演した幻の映画、「炎の第五楽章」(神山征二郎監督)がついにDVD化されて即売されていたので、迷わずゲットした。封切り時に日本フィルの定期演奏会で特別鑑賞券を購入、映画館で鑑賞したが、アケ先生のせりふが全然上手じゃなかったという奇妙な記憶がある。後に直接の面識ができて、普段からおっとり、独特のテンポでお話しされるのを知ったので、もしかしたら、素のままでゲスト出演されたのかもしれない。DVDでじっくり、確かめてみることにする。



293回の閲覧