「革新の第九 ピリオド楽器オーケストラ 第九演奏会」を2020年11月10日、横浜みなとみらい大ホールで聴いた。ベートーヴェン生誕250周年記念のホール自主企画で、10月5日の「驚愕の第九 ピアノ第九演奏会」(リスト編曲のピアノ独奏版を若林顕が弾いた)と2回連続の趣向 。オーケストラ回の前半には「バレエ音楽《プロメテウスの創造物》序曲」と「ピアノ協奏曲第4番」(川口成彦が、1800年頃のブロードウッド・モデルに太田垣至の修復=2020年=を施したフォルテピアノを弾いた)、さらに「第九」の前にはホール前館長で作曲家の池辺晋一郎のトークもあり、休憩20分を含み2時間半の大演奏会となった。
オーケストラはオルケストル・アヴァン=ギャルド(通称「ギャルオケ」)といい、東京藝術大学音楽学部やオランダのデン・ハーグ音楽院などで学んだバス歌手の渡辺祐介がチェロの山本徹、オーボエの三宮正満らとともに創設、音楽監督を務めている。合唱は今回の「第九」公演のため、特別に組織された28人編成の「クール・ド・アヴァン=ギャルド」。先日の鈴木優人指揮バッハ・コレギウム・ジャパンの「オペラ・プロジェクト《リナルド》(ヘンデル)」で気を吐いた中江早希(ソプラノ)、加藤宏隆(バス)ら、気鋭のソリストが集まった。オーケストラ、合唱それぞれのメンバーリストは、画像資料の通り。オーケストラにもNHK交響楽団首席ホルン奏者の福川伸陽をはじめ、物凄い顔ぶれである。「第九」の独唱者は藤谷佳奈枝(ソプラノ)、山下牧子(アルト)、中嶋克彦(テノール)、黒田祐貴(バリトン)。黒田は同じ声域の名歌手、黒田博の次男だが、親の存在を脅かすほどの美声だ。
「ピリオド楽器」は、「作曲当時(ピリオド)の仕様や奏法に即した楽器」という意味。まだ「古楽器」の呼称が一般的だった時代、モダン(現代仕様)で弾くヴァイオリニストの一部が「私たちのストラディヴァリウスだって、18世紀の楽器だぞ」と主張したのに対し、弦の素材や弓の形状など、あらゆる部分にデフォルト仕様を施した楽器を区別するために生まれた。私はクリストファー・ホグウッドを1993年に取材した折この概念を知り、専門誌ではない一般紙に「ピリオド楽器」の用語を記した日本人記者の第1号になった。以後4半世紀あまり、公共音楽ホール主催のイベントでも普通に使われるようになり、感慨深い。
「《プロメテウスの創造物》序曲」(ヘンレ社・新ベートーヴェン全集=クラウス・クロブフィンガー校訂=1970年)が始まった途端、日本のピリオド楽器演奏の新たな次元を実感した。不安定な発音をカバーするかのようにせかせか、際立って短めのアーティキュレーションと早めのテンポで進んだ往年の演奏の対極にあって、安定したメカニックの基盤の上に歌うべきところはたっぷり歌わせ、時に優雅ささえ漂わせる。アーティキュレーションも「句読点」というより「ブレス(息継ぎ)」を思わせ、声楽家の指揮の良さを感じた。ゆとりが醸し出す優雅さ、愉悦感は「ピアノ協奏曲第4番(ベーレンライター社=ジョナサン・デル・マー校訂=2014年)」で一段と鮮明になり、温かさとユーモアに満ちた川口の独奏と室内楽的に親密な音楽の会話を繰り広げる。フォルテピアノの音量に対し、オーケストラの編成が大き過ぎるとの指摘もあったが、聴衆が特段の「耳をそば立たせて聴く」姿勢で臨めば、さしたる問題ではないと思えた。本当に楽しそうに、幸せそうに弾くフォルテピアノ奏者だ。ユニークな書法と多幸感に富む作品の持ち味を、存分に引き出していた。
「交響曲第9番《合唱付》」も最新の校訂楽譜(ヘンレ社・新ベートーヴェン全集=ベアーテ・アンゲリカ・クラウス校訂=2020年)に拠りながら決して快速一辺倒ではなく、緩急を自在に動かし、人肌の温もりや身体運動能力まで取り込んだヒューマンなタッチの音楽に仕上げた。第3楽章の美しさも、ピリオド楽器のエコロジカルな響きを得て一段と映えた。4人の独唱者もソリスト集団の合唱団も「人海戦術の力技」による日本の「第九」粗雑演奏の悪しき歴史を振り払うかのように互いの音を確かめ合い、アポロ的調和世界を語りかけるような感触の声楽パートを現出させた。歌詞がはっきり、聴き取れたのも幸いだった。客席は久しぶりに接した「第九」に沸き、拍手が延々と続いた。
コンサートの予習にはパブロ・エラス=カサドがピリオド楽器のフライブルク・バロック・オーケストラを指揮、協奏曲ではクリスティアン・ベザイデンホウトがフォルテピアノを弾いた「ハルモニア・ムンディ」レーベルの最新盤を聴いた。エラス=カサドは今年12月、NHK交響楽団の「第九」を指揮することが先週、発表されたばかりだ。NHKホールでは「ピリオド奏法を援用したモダン楽器」の処方箋を確かめることになる。渡辺&ギャルオケの演奏会にも録音&録画が入っていたので後日、もう一度聴くことができるかもしれない。
Comments