神奈川フィルハーモニー管弦楽団第376回定期演奏会(2022年4月23日、神奈川県民ホール大ホール)第4代音楽監督就任披露公演(終演後にセレモニー)
指揮=沼尻竜典、ピアノ=児玉麻里※、コンサートマスター=石田泰尚
ヘンツェ「ピアノ協奏曲第1番」※
ブラームス「交響曲第1番」
東京二期会コンチェルタンテ・シリーズ〈セミ・ステージ形式〉Vol.4
プッチーニ「エドガール」(4月24日、Bunkamuraオーチャードホール)
指揮=アンドレア・バッティストーニ、管弦楽=東京フィルハーモニー交響楽団(コンサートマスター=近藤薫)、合唱=二期会合唱団(合唱指揮=粂原裕介)、児童合唱=TOKYO FM少年合唱団(同=米屋恵子)、舞台構成=飯塚励生、映像=栗山聡之
エドガール=樋口達哉(テノール)、グァルティエーロ=清水宏樹(バス・バリトン)、フランク=杉浦隆大(バリトン)、フィデーリア=大山亜紀子(ソプラノ)、ティグラーナ=成田伊美(メゾ・ソプラノ)
この週末は色々な公演が重なり選択に迷ったが、「聴く機会が少ない作品」「節目の公演」を基準に2つを選んだ。
神奈川フィルは4月に就任した第4代音楽監督、沼尻の就任披露。終演後はステージに楽員が残ったまま、榊原徹楽団主幹の司会で沼尻の挨拶、「かなフィル応援団長」の黒岩祐治神奈川県知事の激励スピーチ(元はフジテレビのキャスターだから上手すぎる!)が続いた。
20世紀のヘンツェ(1926ー2012)、19世紀のブラームス(1833ー1897)を組み合わせたドイツ音楽プログラム。ヘンツェ没後10年にちなみ、沼尻が選んだのは円熟期の作品ではなく、作曲時24歳と若書きのピアノ協奏曲だった。同時期に作曲した自身のバレエ音楽、チャイコフスキーとストラヴィンスキーの作品を引用する手法は、過去から現在まで多様な音楽素材を熟知して自作へ取り込んだブラームスにも一脈通じ、若い作曲家のドイツ音楽、ひいては音楽史全体の正統な継承者という自負を印象づける。「きちんと書かれた前衛」の懐かしさも思わせ、児玉姉の冴え渡ったピアニズムが魅力を倍加させた。玲瓏とした音色と集中力、20分の協奏曲だけではもったいないと思ったら、アンコールにクルターク編曲のJ・S・バッハのコラールを沼尻との4手連弾(高音部が児玉)でプレゼントしてくれた。
後半を名曲中の名曲とした理由。「演奏力向上いちじるしい」とされる神奈川フィルの現状に「何を加味すれば、より唯一無二のアンサンブルに脱皮できるか?」を問いかける形で、監督就任宣言をしたのだと受け止めた。沼尻の「ブラ1」は今年1月29日、日本フィルとの共演を聴いたばかりだが、楽曲構造を徹底して究め、正確な音を積み重ね、全体を歪みなく造形する沼尻の持ち味は、過去の指揮者の〝刷り込み〟が少ない神奈川フィルでより明確に発揮された。この器にどのような味わいや音色を盛っていくのか、今後の展開が楽しみだ。
東京二期会のコンチェルタンテ・シリーズではプッチーニ(1858ー1924)の2作目のオペラ、30歳の若書きの「エドガール」を堪能した。バッティストーニは2012年の東京二期会公演「ナブッコ」(ヴェルディ)を指揮するために初来日、ピットに入った東京フィルと「相思相愛の一目惚れ」におちて10周年の節目に当たる。「エドガール」については、私が「音楽の友」誌5月号のために行ったインタビューの中で、「筋立ては《カルメン》(ビゼー)《ローエングリン》(ワーグナー)を思い出させるかもしれませんが、音楽の様式はイタリアのロマンティックなオペラとフランス流儀の魅力的なカクテルのようです。マスネ、ビゼーがインスピレーションの根源と思われます」と指摘していた。「メロディーの才能はすでに明らか、情熱と炎に満ちている」と感じるスコアを隅々まで良く鳴らして放つイタリアの「熱」と、R・シュトラウスやドビュッシーと時代を共有する作曲家の新鮮な音の感覚を浮かび上がらせる知的手腕を兼ね備え、東京フィルの能力を極限まで引き出した。
キャストも素晴らしかった。体当たりの情熱と高音の輝きでタイトルロールを演じ上げた樋口、ますますプリマドンナの存在感を増して品格と美声、テクニック、情感を兼ね備えた大山、渋い安定感に味のある清水の3人は期待通りのパフォーマンス。成田の進境も著しく、歌に迫力が増してきた。最大のサプライズはバリトンの杉浦。美声と押し出し、明晰なディクションで耳を惹きつけ続けた。
飯塚と栗山が提示した視覚はゴッホの絵画を巧みに取り入れただけでなく、第3幕冒頭のエドガールの葬儀、人々が「レクイエム」を歌う場面に爆撃で破壊された建物の映像を入れ、児童合唱がウクライナの国旗を運んで棺にかけた。エドガールもフランクも、青と黄色のウクライナ色のタスキをかけている。トスカーナの古都ルッカで代々続く宗教音楽家の出身だけに、このミサ曲は若書きとは思えないほど完成度が高く、プッチーニ自身の葬儀でも演奏されたという。歌詞の「フランドル」を「ウクライナ」に置き換えて聴けば、歌われている内容はそっくりそのまま、ロシアのウクライナ侵攻に当てはまる衝撃。改めて、芸術家の予知能力と普遍の視点に思いを馳せた。
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