• 池田卓夫 Takuo Ikeda

林光歌劇場'19→ムルメリ→エトワール日本人とオペラの関わりの多様性に感嘆

最終更新: 2019年9月16日


公演プログラムもそれぞれ、個性的

声楽コンクールの審査員を務めた前後、大がかりな海外歌劇場引越公演の対極にある中小規模のオペラ公演を3つ、続けて観た。オペラあるいは音楽劇が日本人の中に深く根を下ろしていると同時に、まだまだ可能性を秘めた表現ジャンルであることを確かめた舞台だった。


「ふしぎなたまご」「おじいちゃんの口笛」


オペラシアターこんにゃく座は長く芸術監督・座付作曲家を務めた林光(1931−2012)が2000年に作曲初演して以降、再演機会のなかった「ふしぎなたまご」「おじいちゃんの口笛」を加藤直の新演出でダブルビル(2本立て)形式の「林光歌劇場2019」にしつらえ、9月12ー18日に六本木の俳優座劇場で再演。私は12日の初日公演を観た。前者はチェコのカレル・チャペックの短編を林の妻・和加子が翻訳したものから林が台本も起こし、こんにゃく座が上演した。後者はスウェーデンの児童文学作家ウルフ・スタルクの原作を元に広渡常敏が台本をつくり、名古屋のオペラ団体「うた座」が初演した。こんにゃく座代表の作曲家、萩京子はプログラムに「2000年は光さんの転換期なのでしょうか? 『ふしぎなたまご』は熟練の書き方。『おじいちゃんの口笛』は新しい書き方を模索しているような、光さんの最後の十数年の書き方に繋がって行くような、つまりよくわからない書き方のところがいっぱいあります」と記した。同じ年に産まれながら別団体が初演しただけでなく、作曲スタイルが微妙に異なる作品を一夜に並べたことで、こんにゃく座とつねに一括りで語られがちだったオペラ作家、林光の普遍性と未来に対する予見性が、はっきりと浮かび上がる記念すべき企画だ。


プラハの警官が道で拾得した大きな卵の引き取り手はなく、署内で孵化すると、産まれてきたのは龍だった。引取先は平凡な銀行員。大家や上司の偏見に満ちた発言や命令にも関わらず、銀行員は龍に変わらない愛情を注ぐと魔法がとけて美しい王女が現れ、結ばれる。愛の大切さを高らかに宣言するのは呪いをかけた当事者の魔法使いという、シュールレアリスムの風刺劇が前半。後半は祖父のいない少年が友人の勧めで老人ホームに出かけ、身寄りがなく心臓の弱いお爺さんと知り合い、永遠の別れが訪れるまでの物語。リアルなようでいて、現代のメルヘンともいえる夢と抒情にあふれる。魔法使いと市民たちが大げさに愛を歌い上げたまま休憩を置かず、暗転で「おじいちゃん…」につなげ、その中間に休憩を置くことで、愛は天からいったん、地上に降りる。前半で天井からぶら下がっていた椅子が後半、舞台に降りてきて、様々な道具に変じる加藤の演出は明快。自身が老いと闘う年齢に達した林は、愛なき社会で孤立していく日本の老人の先行きも冷静に見据え、すごい音楽を書いた。


こんにゃく座の発声や演技は西洋流のオペラというより、オペラを体験した日本人が独自に究めた音楽劇であり、ベテランから若手まで、隙のないアンサンブルを組む。中でも、おじいちゃんのニルスを演じた長年の看板歌役者、大石哲史はガンで声帯の半分を切除したにもかかわらず猛烈なリハビリの末に復帰、全盛期の朗々とした歌声の代わりに、枯れた味わいの語り歌いの芸を新たに獲得して、感動的だった。前回公演「遠野物語」の折にも書いたが、こんにゃく座の音楽劇を観るのに、俳優座劇場ほどふさわしい小屋はないと思う。


「ムルメリ」


アルプスマーモット(ムルメリ)

東京都交響楽団(都響)が昨年から東京芸術劇場と組み、幅広い世代が聴いて、歌って、踊れるフェスティバルとして始めた「サラダ音楽祭(SaLaD=Sing and Listen and Dance)」の2年目に登場した「0歳から2歳未満の赤ちゃんとその父母、祖父母を対象にした約30分のベイビーオペラ」。赤ちゃん1人当たり500円のほか、親子3人で3500円をはじめとする3パターンのセット券はあるが、「一般のみ」「満2歳以上中学生以下」は購入できない。9月14ー16日の3連休に合計8回の公演を設け、チケットはほぼ完売しているという。ムルメリとは、世界の山岳地帯に生息するリス科の哺乳動物マーモットのドイツ語「ムルメルティエレ」の愛称形で、アルプスマーモットを指すものと思われる。


奇想天外なベイビーオペラ「ムルメリ」は2017年、スイスのバーゼル歌劇場で世界初演された。いちど中断、日本からの要請を受けて今年9月にバーゼルで再演、東京の後はドイツのハンブルク、話題のエルプ・フィルハーモニーでの公演も日程に上がっている。だいたいの進行台本だけがあり、歌劇場研修所所属の若手歌手3人(ソプラノ、バリトン、バス)は子供たちの反応に応じ、即興的に歌や擬音、動作をつないでいく。石とマリモみたいな植物のフェイク、水を張ったタライなどが何となく、アルプスの雰囲気を醸し出す。舞台ではなく、イベントスペースに四方を板で区切った空間をつくり、親子が靴を脱いで入り、自由に座る。バーゼルから来日した音楽教育担当の女性(ムジークペタゴーギン)、アニャ・アダムは「泣いても触っても自由」「慌てず騒がず、ゆっくり観て」「パフォーマンス中は録音撮影禁止だけど、いったん終われば写真も動画も自由」の3点を鑑賞前の「お願い」として告げた。取材のおじさんたちも壁と床に張ってあるムルメリのシールを頼りに通路を進み、靴を脱ぎ、ちょっと怪しげな「小屋」に入るとソリストのカリ・ハードウィック(ソプラノ)、ディミトロ・カルムーチン(バリトン)、ポール=アントニー・ケイトレー(バス)がもう、座布団?の上に臥せり、いびきの音を出している。



終演後のスキンシップは盛り上がる

次第にパフォーマンスへと移行するなか、泣き出す子、歌手には無関心で小道具?の石をひたすら拾い集める子、タライに入ってしまう子、歌に反応して踊り出す子…と、まさに100人100様の反応に目をみはる。親も何とか聞かせようとするタイプ、子どもと一緒になって別行動を楽しむタイプなど、さまざま。だいたい2歳までの子どもの両親(祖父母は、ほとんどいない)だから20代か、せいぜい30代はじめ。普段の歌劇場では見かけない若者たちである。照明の暗転で「中締め」の後も大勢が残り、ソリストたちに触ったり、記念撮影を楽しんだりして、非常にいい雰囲気だった。この子たちの中から、世界的な歌手や指揮者、作曲家は出現するだろうか?


終演後、アダムに質問した。

Q:バーゼルと東京で子どもたちの反応に差はありましたか?

A:「大きくありました。日本人は物静かという先入観に反して、日本のベイビーの反応の方が激しく、積極的だったのです」

Q:あと何か、違いを感じましたか?

A:「バーゼルでは母親同伴の2人組が主流でしたが、東京では父親も加わった3人組が多いのに驚きました。これは、素晴らしいことです」

私は日本の「イクメン」現象や3連休の特殊要因を説明するとともに「時間があったら、日本全国の学校を回り、作曲家別オペラ上演ランキングで長年1位の林光の音楽劇を是非みてください。日本語だけど、わかり合う何かがありますよ」と申し添えた。


「エトワール」(星占い)


東京オペラ・プロデュース(TOP)は創立45周年を迎えた。今は亡き創立者でバリトン歌手、演出家の松尾洋は新しい才能の思い切った抜擢、れっきとした上演価値を持ちながら歴史の谷間に埋もれてしまった作品の掘り起こし、名作オペラの定番上演から一歩踏み出した新しい切り口の提示などを通じ、日本のオペラ界で貴重な異彩を放ってきた。独自の路線はマイナー志向の産物などではなく、作曲家や作品、演奏家らの才能を深く見据え、いち早く世に送り出す使命感とセンスに貫かれたものだ。一例を挙げれば、指揮者のエンリーケ・マッツォーラ。1981年のミラノ・スカラ座日本ツアーで少年合唱団員の一員として初めて日本を訪れて以来の日本ファンで指揮者に成長、まだ駆け出しだった時代の1994年に松尾は「ラ・ボエーム」の公演を委ね、以後3つの演目に呼び戻した。25年後の2019年、マッツォーラはザルツブルク音楽祭のバリー・コスキー新演出「天国と地獄」の指揮を絶賛され、このほど2020年からシカゴ・リリック・オペラの音楽監督に就くとの発表がなされた。私がドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」、グノーの「ロミオとジュリエット」、ロッシーニの「オリー伯爵」、R・シュトラウスの「無口な女」などを初めて実際の舞台で観たのも、TOPの公演だった。


狂詩曲「スペイン」の作曲家として(だけ)知られるフランス人、エマニュエル・シャブリエ(1841−94)が1877年に初演したオペラ・ブフ(喜歌劇)「エトワール」も、作品の存在はジョン・エリオット・ガーディナーがリヨン歌劇場時代に録音した全曲盤(旧フィリップス=現デッカ)を通じて知っていたが、実演に接したのは2009年10月、大田区民文化センター「アプリコ」大ホールでのTOP第84回定期公演が最初だった。長く副指揮者やコレペティトールを務めてきた飯坂純が本指揮デビューを飾り、舞台監督としても実績豊富な八木清市が演出した。飯坂のものすごい気負いで、やたらと熱い音楽を聴いた記憶がある。


今回の2019年9月14&15日、新国立劇場中劇場での再演(第104回定期)はそれ以来10年ぶりで「設立45周年記念公演」と銘打たれ、今やすっかりオペラ界の重要人物となった飯坂、八木のコンビが再び招かれた。管弦楽は腕利きの平澤仁がコンサートマスターを務める東京オペラ・フィルハーモニック管弦楽団。飯坂の指揮は落ち着きを増し、たくさんのニュアンスが伝わるようになった。私が観た初日はズボン役(女声が男声の役を歌う)の主人公ラズリを最近はタレント活動も順調な翠千賀(ソプラノと表記されているが、メゾに相当する低い音域までしっかり出していた)が演じ、上原正敏(国王ウーフ1世)、峰茂樹(占い師シロコ)、羽山弘子(ラウラ王女)、羽山晃生(エリソン)、前坂美希(エリソン)、島田道生(タピオカ)らTOPだけでなく二期会や地方の公演の多くを長年ともにしてきたベテラン組ががっちり、濃い演技と歌のアンサンブルを組んでいた。脇にもアンサンブルのオアジス役に回った辰巳真理恵、警視総監の岡戸淳ら強いキャラがそろった。


歌をフランス語、せりふを日本語とした措置も賢明だった。時事ギャグ連発のせりふ、レビュー風の振り付け、宝塚を連想する泉などからはパリのオペラ・コミークではなく、浅草軽演劇(デン助劇場)やテレビ番組(ザ・ドリフターズ)風のノリが漂い、妙な懐かしさを覚えた。日本人歌手はオペレッタ、オペラ・ブフなどの喜劇が苦手、とする偏見を打ち破り、自分たちが積み上げてきた表現の引き出しで見事、客席の笑いを引き出したのだから、これはこれで立派。作品自体が持つポジティブなバカバカしさにも、ちゃんと合致していた。



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