• 池田卓夫 Takuo Ikeda

松平&橋本の低音デュオ→田原&實川のロシア音楽〜日本の演奏家も濃くなった


どちらも、かなり「普通」ではない卓越の時間

雨の季節の湿度、気圧変動に弱いにもかかわらず、ここ数日、座り仕事が続いた私はいつにも増して音楽によるリフレッシュ、刺激を必要としていた。オーケストラやオペラとの仕事が多い者として、同時代の日本人作品をバリトンとチューバ&セルパンの管楽器が料理したり、長くチェロで親しんできた名曲を憑依型のヴィオラとヴィルトゥオーゾ・ピアニストのコラボレーションで再生したり…を2日続けて体験できたのは幸せだった。かつての日本人演奏家の不要な〝照れ〟(Hemmung=恥じらい)、世界標準と微妙に異なる節回しなどのネガティヴ要素は影をひそめ、卓越したスタンダードを自然に楽しめる状況は、悪くない。


1)低音デュオ第13回演奏会(2021年5月19日、杉並公会堂小ホール)

松平敬(バリトン、声)、橋本晋哉(チューバ、セルパン)

※曲目はトップ画像参照

「同時代音楽の使徒」と不用意に紹介すると「古典が歌えないダメ歌手」と誤解する愚か者が昔はいた。松平は1人のバリトン歌手としても「カヴァリエーレ(騎士的)」といえるノーブルな美声の持ち主で、私はかつて「第九」の立派なソロを聴いたこともある。おまけにヘボな音楽評論家を蹴散らすだけの筆力の持ち主だ。ここまで書くと「鼻もちならない出来過ぎた奴」と誤解されそうだが、実際は極めてフランクな人柄。私は密かに、「お笑いにもぶっ飛んだセンスを秘めている」と確信してきた。金管低音楽器の名手、橋本と「低音デュオ」を立ち上げた時も「将来、絶対に〝かまして〟くれる」と激しく期待した。昨夜、久々の実演に接し、期待は期待以上に満たされた。コロナ禍で日本全体がクサクサしているまま梅雨を迎え、これ以上サイテーの環境もなさそうだと思われる中、日本を代表する知性の塊(と、敢えて持ち上げておく)の作曲家たちが繰り出した究極の風刺の数々。演奏者2人は高度のスキルと入念なリハーサルを通じて直感と肉体、知能の全てに反応するパフォーマンスの限りを尽くした。全部いい作品で演奏会全体が短く感じられた中、最後に置かれた野村誠への委嘱新作、「どすこい!シュトックハウゼン」の初演は圧巻だった。あぶない(笑)


帰途、杉並公会堂から自分の車で5分くらいの「ふるさと」に一瞬だけ戻った。賑やかだった商店街はさびれ、小学校の同級生の家がコンビニに変わったりもしていたが、数年前に訪れた際の斜陽感は消え、くたびれた街の落ち着いた佇まいがそれなりの秩序を回復していた。思えば杉並区が「肥満児健康診断」を始めて最初の受診学童に選ばれて屈辱的な測定を課せられたのも、小学校の合唱団を相手に生まれて初めての指揮を経験したのも、絵画教室の展覧会で自分の作品が展示されたのも、すべて(建て替え前の)杉並公会堂という奇縁。


2)「上野deクラシック」Vol.56(2021年5月20日、東京文化会館小ホール)

田原綾子(ヴィオラ)、實川風(ピアノ)

ショスタコーヴィチ「ヴィオラ・ソナタ」

ラフマニノフ「チェロ・ソナタ」(ヴィオラ版)

演奏会当日の午後、クラシックとポピュラー、オーディオの同業者が集う日本ミュージック・ペンクラブ(MPCJ)年次総会が1か月遅れで開かれた。私たち理事は午後1時集合、会議が終わったのは4時40分だった。一貫してバックれていたとはいえ、長く会社員だった自分には理解不能の時間感覚、議論の風土に関してはとりあえず、慣れてみようと思う。


田原のヴィオラの素晴らしさについては、すでに多くの同業者や親しい演奏家から聞かされてきた。長く仕事をやってきて不思議に思うのは、「このアーティストを知らず(聴いたことがなかったり、個人的面識がなかったり)して、プロ筆者を名乗るべからず」と思い続けているにもかかわらず、なかなか接点を得られないケースだ。コツコツと仕事に向き合う限り、出会いの瞬間は必ず訪れる。今日の私は、田原と最高の条件で邂逅できたと確信した。


芸術院会員のチェロの巨匠でサントリーホール館長である堤剛さんが、前の席にいた。「チェロ・ソナタをヴィオラで弾くの、〝営業妨害〟と思っているのでしょう?」とカマをかけつつ「ピアノの實川君も、よ〜く聴いてくださいね!」と、一押しするのを忘れなかった。


開演時刻を過ぎ、アナウンスも終わると、客電(ギョーカイ用語で客席の照明のこと)だけでなく舞台照明も落ち真っ暗になった。田原と實川が静かに現れて定位置につき、おもむろにショスタコーヴィチのピツィカートが聴こえてきた。やるじゃん!、と思ったのもつかの間、「憑依型」と呼ばれる田原のヴィオラは作曲家が死の数日前に完成した作品の深淵に沈んでいく。實川は田原の稀有の感覚の目撃者に徹し、ベートーヴェンの《月光ソナタ》の残骸とともに彼岸へ消えるショスタコーヴィチの遺言を際立たせた。私は第3楽章アダージョを聴くたび意識が遠のき向こうの世界を垣間見る性癖を持つが、今日は一段と完璧だった。最後もまた客電が落ち、黄泉の世界へ誘う。明るさが戻ると、熱狂的な拍手が待っていた。


ラフマニノフ。ヴィオラはチェロより高い音域だが、ヴァイオリンほど鋭角的には響かないので違和感はない。ここではガッツリ音楽の内部に浸り、まさしく憑依の奥底から豊穣な歌を繰り出し続ける田原の魔術に酔いしれる以外に選択肢はなかった。凄い!實川はパリのロン=ティボー&クレスパン国際音楽コンクールでも上位に入ったソリストながら、心優しい性格と真摯な知的好奇心を背景に、アンサンブル・ピアニストとしても大きな可能性を秘めている。ラフマニノフでも、大きな音の効果で聴衆をノックアウトする安易な成功路線に溺れることなく、田原の歌心を最大限に映えさせる高度の職人芸を描いてみせた。あっぱれ!


終演後、堤さんが私に振り返って言った。「(ヴィオラ版も)悪くないでしょ?」。グー!

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