• 池田卓夫 Takuo Ikeda

東京文化会館、飯守泰次郎指揮都響&小川典子のドイツ音楽でニューイヤー開催


毎年1月3日には東京文化会館主催、東京都交響楽団出演の「《響の森》ニューイヤーコンサート」へ2人で出かける。2021年は飯守泰次郎(指揮)、小川典子(ピアノ)の出演。前半がベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第5番《皇帝》」、後半がワーグナーの「楽劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第1幕への前奏曲」「歌劇《タンホイザー》序曲」と、すっきり正調?のドイツ音楽プログラムを組んだ。


昨年12月31日、ミューザ川崎シンフォニーホールのジルベスター(大晦日)コンサートでも小川のピアノで《皇帝》の第2&3楽章を聴いた。その冒頭に置かれた同じ作曲家のピアノ独奏曲《エリーゼのために》が、今回のアンコール。「聴き納めと聴き初めが典子さんの《皇帝》だなんて、素晴らしい!」と前夜にメッセージを送信した通り、改めて第1楽章を含む全曲を聴けた喜びは大きい。小川は早くからベートーヴェンの協奏曲をレパートリーにしてきたが、《皇帝》より「第3番ハ短調」にふさわしいピアニストだと、私は長く考えていた。2017年7月2日、ミューザ川崎でミヒャエル・ザンダリンク指揮ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団と《皇帝》を共演した際も、その判断が覆るまでには至らなかった。


だが今回の2公演を通じ、小川が《皇帝》を手中に収め、一切の縮小拡大や恣意を加えず、作品の核だけをキリッと再現する境地へと到達したのを実感した。持ち前の精確なメカニック、クリスタルな音色、リズムの弾力性を生かしつつもテクニック偏重には陥らず、ごくごくシンプルに作品の魅力を語り伝える。この「少を以て多を語る(less is more)」方向の円熟は《エリーゼのために》でも明らかだ。「子ども時代からの〝耳コピー〟を改め、一から楽譜と向き合った」結果、過度にロマンティックな表情が消え、古典的な「バガテル」の姿と様式が鮮明に浮かび上がった。飯守と都響の管弦楽も過不足なく小川を支え、姿形の整ったベートーヴェンを再現した半面、「もう少し推進力がほしい」と思える瞬間もあった。


さすがのベテラン飯守(80歳)も昨年10月中旬に急性胆嚢炎で緊急入院、12月の手術を経て2か月半ぶりの本番だったから、小川をしっかりと支える路線に徹したのかもしれない。後半は得意のワーグナー管弦楽曲、都響とはライヴ盤(フォンテック)も発売済みとあってエンジンを全開、ゴージャスなサウンドと音の〝うねり〟〝ゆらぎ〟をたっぷり味わわせてくれた。アンコールは父ヨハン・シュトラウスの《ラデツキー行進曲》で意表を突き、飯守は客席の拍手も促しながらさりげなく、スケール雄大な巨匠芸を披露した。この小品は本場のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団をはじめ、ニューイヤーコンサートのアンコールの定番ながら、やたら拍手を煽り、粗雑に演奏される危険も高い。飯守と都響の格調高い締めくくりは、コンサート全体のクオリティーの証明でもあった。


余談。ワーグナー2曲の間、客席上方からマナーの悪い客を叱責する甲高い叫びが上がり、すかさず「うるさい!」と制止する怒鳴り声も飛んだ。演奏が始まると収まり、悪影響も出なかったのは不幸中の幸い。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の再拡大がエスカレートする首都圏で不安心理がつのり、イライラしたり、発作的行動に及んだりする可能性は理解できるので、最初の叫び自体は「仕方ない」とも思ったが、有無を言わさず上から目線で叫び返す行為も「うるさい」には違いなく、喧嘩両成敗の気がした。

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