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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

未知の音楽を楽しむー新野将之パーカッションと原田慶太楼のV=ウィリアムズ


全員が30代

予定が急に変わり本来は行けなかったはずの演奏会、しかも滅多に聴けない音楽を2日続けて聴く幸運を授かる。1つは同時代音楽のパーカッション・リサイタル、もう1つは英国の作曲家ラルフ・ヴォーン=ウィリアムズの作品だけをフル編成の交響楽団・合唱団が大ホールで特集した演奏会。コロナ禍ながら多数の演奏会ひしめく首都圏でも滅多にない体験だ。


新野将之パーカッションリサイタル(2021年9月17日、トーキョーコンサーツ・ラボ)

※演奏曲目は別掲のプログラム・コピー画像を参照

新野のプロフィールを改めて読み、知り合った時の彼はまだ、国立音楽大学打楽器科に在学中だったと思い出した。この度、東京コンサーツとマネジメント契約したのを機に「より高みへの挑戦の意味を込めた」プログラムは「スネアドラム、マリンバ、ヴィブラフォン、マルチパーカッション、アザーズ(楽器以外の日用品など)の5ジャンルを網羅」、前半を欧米、後半を日本の作曲家で固めた。東京コンサーツは 日本の同時代音楽シーンを支えてきた事務所だけに、西早稲田の路地を入った小さなラボにもかかわらず、池辺、風間、北爪の3人が自作再演に立ち会い、川島素晴、上野信一、百瀬和紀ら〝現音〟界の重鎮が顔をそろえた。


客席後方からスネアのバチを叩きながら現れ、ゲラシメス作品の演奏が始まった。大バッハの「シャコンヌ」を次に置いて意表を突いたが、演奏は妙にあっさりしていた。「ヴァイオリンのニュアンスを引き出しつつマリンバでこの曲の魅力を伝えたい」というアレンジの方向性が今後、さらなる深化を遂げることを期待しよう。ワーランド作品の右手が時計刻みのように聴こえたのも束の間、前半最後のケージの「アザーズ」てんこ盛りの破壊力にやられた。蒸し暑い晩でコバエ、蚊が紛れ込み、某女性客は血を吸われてしまったが、それすら、ケージが仕掛けた不確定要素、偶然性の世界に統合されてしまう。コロナ禍長期化のなか、ケージ作品の演奏頻度が奇妙に急上昇していることの意味にも、改めて思いをめぐらせた。


ふだんオーケストラやオペラの作品で接することの多い池辺だが、スネアドラムやギターなど無伴奏の器楽曲では、切り詰めて厳しい思索の本質・本音がはっきりと現れて面白い。安倍と風間の作品は前衛ではないがマリンバとギター、それぞれの楽器を生涯の伴侶としながら音楽を究めてきた先輩の情熱、愛、真実を伝え、新野が音楽家として目指す世界の一端も垣間みせた。北爪、一柳も自身のスタイルを徹底して貫き、一線を走り続ける作曲家。人々が打楽器に抱くイメージの数々をストレートに生かし、統合した北爪作品の迫力、図形楽譜でケージ直伝の不確定、即興を継承した一柳の破格の対象も興味深い。ケージに比べれば、一柳は遥かに紳士的だとも思った。台風接近で気圧低下の中、「今夜ブラームスを聴いたら死にそうだ」と思い、打楽器を選んだのは正解だった。新野君、次は何を仕掛けてくるか?




ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団「名曲全集」第169回(9月18日、ミューザ川崎シンフォニーホール)

指揮=原田慶太楼、ソプラノ=小林沙羅、バリトン=大西宇宙、合唱=東響コーラス(冨平恭平指揮)、コンサートマスター=水谷晃

ヴォーン=ウィリアムズ「グリーンスリーヴスによる幻想曲」「イギリス民謡組曲」(ジェイコブ編)「海の交響曲」

今回を逃したら2度と聴けそうにないオールRVWプログラム。「海の交響曲」の東響コーラスは感染症対策で前半2楽章組、後半2楽章組のローテーションを設け、カーテンコールで全員がそろった。前半の淡い色彩の余韻が後半の通奏低音となり、16型(第1ヴァイオリン16人、第2ヴァイオリン14人、ヴィオラ12人、チェと10人、コントラバス8人)の大編成が炸裂する後半にも、しっとりとした潤いをもたらした。原田は今年4月に正指揮者へ就いて以来、自身と東響の組み合わせで奏られる音の質や響き、色のデフォルト(初期設定)を丁寧に整えてきた。透明でしなやか、激烈な場面でも絶えず一定の艶やかさを保ち、「人に優しい響き」を意識していると思え、珍しい作品の敷居を低くする効果も発揮する。


東響コーラスが久しぶりに「暗譜で立ち向かうアマチュア」の凄みをみせつつもマスク着用で英語のディクションが文字通り〝マスク〟されてしまったこと、ソプラノ独唱の小林が熱演のあまり1箇所だけ起立の瞬間を忘れ「ヒヤッ」とさせられたこと(歌は間に合った)もまた2021年9月18日のドキュメントであり、「海の交響曲」の充実した再現の前では些細なアクシデントにとどまっていた。バリトン独唱の大西は武蔵野音楽大学と同大学院、ジュリアード音楽院をすべて首席で卒業、現在も米国を本拠としているので当たり前といえば当たり前だが、くっきりした英語の発音にオペラとは異なる場面での新たな魅力を発見した。原田に関しても本番中、合唱団に与える指示の適確さのスキルを知れたのが収穫だった。


英国のオラトリオの伝統と交響曲の歴史の幸せな結合ーー「海の交響曲」の魅力を一言に集約すれば、こういう表現になるのだろうか? 色彩感豊かな管弦楽に米国の詩人ウォルト・ホイットマンの壮大な詩が絡み合い「単なる海の描写というよりも、海という象徴を通じて、人間の精神的な探求を描き出すものとなっている」(向井大策氏のプログラム解説より)という傑作だ。第4楽章大詰めで「For we are bound where mariner has not yet dared to go(我々は行かねばならない 船乗りが未だ選ばぬ路を)」「O farther, farther, farther,sail ! (おお、さらに遠く 遠く 遠くへと!)」(辻裕久氏訳)の言葉をかみしめながら、私たちの目下の困難にも先があり、遠くへ遠くへと進んだ時、また新たな希望に出会えると確信できる「希望」のようなものを授かった。美しく、感動的な余韻。




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