• 池田卓夫 Takuo Ikeda

日本フィル特別演奏会3回@サントリー「有事」から「平時」に向かう難しさ


フライヤー(ちらし)はコンサート(左)と配信(右)の2種類作成。真ん中は会場配布の公演プログラム

日本フィルハーモニー交響楽団がサントリーホールの有観客定期演奏会を再開(2020年7月10&11日、広上淳一指揮)したのに続き、休憩なし1時間の「特別演奏会」3公演を元正指揮者の広上と井上道義(1976年に日本フィル定期を指揮してデビュー)の指揮により、同ホールで主催した。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)拡大に伴って席数を絞り、有料ライヴ配信と二本立ての「有事」対応は定着しつつある。半面、3公演を通して聴くと「早く平時の状態に戻したい」というアーティスト、聴衆それぞれの欲求の濃淡が本番の雰囲気や出来栄えを大きく左右する実態も生々しく見えてきて、「まだまだ大変だ」と思う。


1)7月13日:井上道義(指揮)、前橋汀子(ヴァイオリン)、石丸由佳(オルガン)

J・S・バッハ「トッカータとフーガ」「主よ、人の望みの喜びよ」(オルガン独奏)

ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」

アンコール=ベートーヴェン「ロマンス第2番」/サラサーテ「ツィゴイネルワイゼン」

オーケストラの登場はベートーヴェンから。前半、石丸のパイプオルガン独奏は心にしみた。ヨーロッパでの活動歴が長いためか「教会の楽器」としての祈りを根底に、古典派以降の音楽の礎を築いたバッハの歴史的意義も踏まえ、非常に含蓄に富んだ演奏解釈を示した。


オーケストラは8-6-4-4-2の対向配置。1946年生まれのマエストロ、1943年生まれのヴァイオリンのレジェンドが「がっぷり四つ」に組んで「ザ・昭和!」を歌い上げ、圧巻の名演を繰り広げた。「5か月ぶりの本番」という前橋は冒頭こそ本番テンションの回復、梅雨の高湿度による楽器のコントロールに苦吟し、音程が揺れたが、素早く本調子を取り戻した。私は1979年1月15日、東京文化会館大ホールで前橋がモーシェ・アツモン指揮東京都交響楽団と共演した同曲を聴いている。当時も今も真剣勝負の気迫は変わらないが、41年の歳月を経て余計な装飾が完璧に削ぎ落とされ、ベートーヴェンの音楽、さらには人格の根幹だけを克明に浮かび上がらせていく。管弦楽もアニマ(魂)のメッセンジャーと化し、ベートーヴェンの精神世界に肉薄する。芸術への奉仕の純度、燃焼度の高い演奏だった。「炎」はあっても様式感、品位が十分に保たれ、長く心に残る格調を備えたベートーヴェン。


アンコールの前にミッキー(道義)が一席ぶった。「皆さん、怖がり過ぎです。少しだけ気をつけて、もっと外にでましょう!」。コンサートマスターとも素手で握手、自分のマイクを前橋にパスした。さらに「僕は桐朋学園時代から憧れ、口説き続け、振られ続けた。たいがい、うまくいくのだけど…。だから、アンコールは《ロマンス》!」といい、舞台下手後方のピアノに向かい蓋を全開、最初はピアノ伴奏で途中から管弦楽が加わる洒落た処理でヘ長調の「ロマンス」を演奏した。さらに「前橋さんなら、これがないと終われない」と、この晩はじめて指揮棒を持ち、「ツィゴイネルワイゼン」の大サービスで客席を熱狂させた。マーネジャーのOさんが「楽屋を訪ねてください」というので終演後に向かった。私の姿を見るなり「引き締まったな」と親戚のおじさん(私の亡き父からみて義理の従兄弟)そのまんまの先制攻撃、さらに素手の握手を交わした。前橋も「休んでいる間、もう弾きたくて、弾きたくて」と、久しぶりの本番の喜びに浸っていた。


2)7月30日:井上道義(指揮)

ドヴォルザーク「交響曲第9番《新世界より》」

前回がソーシャル・ルディスタンシング(社会的距離の設定)とホール、オーケストラ双方の感染症対策コードに触れたのだろう。前日、杉並公会堂でのリハーサル(1日のみ)では「透明あごマスク」の着用を求められ、「最後には暑苦しくてジジイは集中できなくなるほど暑かったんだ」(井上)とこぼしつつも付き合い、本番ではトーク、握手、アンコールとも全部〝自粛〟した。楽員が退場した後ステージに呼び戻されると肉声で一言、「前橋さんは喜んでいた。皆さんに前橋さんからLOVE❤️」と不思議なメッセージを放った。もちろん楽屋は立入禁止。ご挨拶にうかがえなかったお詫びを夜中にLINEで送ると即、「それはつまらない! 破って欲しかった」と、親戚のおじさん的「お叱り」が返ってきた。


古稀を過ぎても「取扱注意」の獰猛さを失わない姿勢を心底尊敬するし、その根底にある深い失望と怒りにも触れておくべきだと思う。2014年4月に咽頭がんの発症と休養を宣言、半年後に復帰して以降、ミッキーの音楽は死生観の深化とともに大きく変わった。昨年インタビューしたときは「僕ももう73歳。齋藤秀雄(72歳)、渡邉曉雄(71歳)両先生の没年を超えてしまった」といい、「残された時間に何をなすべきか」でレパートリー、活動(指揮だけでなく作曲や演出も含めて)の全般にわたり、綿密な計画を立てつつある様子を垣間見せた。それだけにCOVID-19による計画中断が悔しく、腹立たしく、不甲斐なく、やり場のない怒りを募らせているのだと思う。受け止める周囲も大変だけど、ある程度は仕方ない。


日本フィルにとって、「新世界」はどん底の場面で必ず現れ、生存(サバイバル)の証となる不思議な楽曲だ。旧日本フィルが新日本フィルと分裂した1年半後、チェコから客演したヴァーツラフ・スメターチェックが指揮した1973年11月30日、東京文化会館大ホールの第256回定期演奏会のライヴ盤LP(日本フィル自主制作 JPS-5)は今聴き直しても、白熱の名演奏だ。旧財団を解散、支援を打ち切ったスポンサーが民放キー局だったため、長く幻の映画とされ、創立指揮者の渡邉の生誕100周年に当たった昨年(2019年)ようやくDVD化が実現した「炎の第五楽章」(神山征二郎監督、1981年日活)でも、都響音楽監督だった渡邉が古巣の窮地を救うために現れ(本人出演)、フィナーレにかけて感動的に奏でられるのが「新世界」だった。


今回の井上も驚くほど心をこめ、極めてゆっくりしたテンポで開始して次第に速度を上げ、うっとりするノスタルジー(第2楽章)から激しい切り込み(第3楽章)までの振幅を心ゆくまで再現、第4楽章の白熱のコーダ(終結部)に持ち込んだ。「1日だけのリハーサルでは、日本フィルのテンポや音色に刷り込まれた長年の激しさを完全には取り去れなかった」とマエストロが振り返る通り、弦と金管の力みが気になる箇所は、いくつかあった。それでも「やはり名曲だ」と思わせ、日本フィルの未来に希望をつなぐ素晴らしい成果を上げた。


3)8月1日:広上淳一(指揮)

ベートーヴェン「《エグモント》序曲」「交響曲第5番《運命》」

アンコール=グリーグ「ホルベルク組曲」より「サラバンド」

7月再開定期のブラームス「交響曲第1番」が音楽的に充実、非常に感動的な演奏でもあったので大きく期待したのだが、何か、どこかで「ボタンをかけ違ったのではないか?」との思いを拭えないまま、終演まできてしまった。演奏とは本当に一期一会の生物(なまもの)だからこそ、難しくも楽しくもなるのだと痛感した。


「《エグモント》序曲」は我が音楽の師アツモンが引退するまでに最も多く指揮、「わずか8分間にベートーヴェンのすべてのエッセンス、ドラマがある」と何度も聞かされた作品である。広上は少し慎重に始め、ドラマの起伏も控えめに思えたが、コーダにかけて急激に盛り上がりアクセルを踏み過ぎたのか、けたたましいと感じた「悪い予感」が、メインの「運命交響曲」で的中した。指揮者もオーケストラも渾身の演奏であり、誠意に満ちた音楽家の仕事ぶりを疑う余地はない。恐らく指揮者が煽りに煽り、オーケストラが全身で受け止めたとき、美しい響きを聴きあい、たっぷりと旋律を歌わせる「ゆとり」が後退してしまったのだろう。広上は正指揮者に就いた1991年(33歳)当時から日本フィルと頻繁にベートーヴェンを演奏、退任(2000年)して久しい今も双方が「肝胆相照らす」仲を保っている事実が良くも悪くも井上とは異なる点で、過剰な方向に振れてしまった。いかにベートーヴェンにとって「運命の調性」のハ短調で書かれ、激烈な要素が際立つとしても、ウィーンで活躍した古典派作曲家としての均整、優美な側面が皆無という作品ではない。オーケストラ全体がもっと、美しい音色を保ってほしかった。


しかし、である。第4楽章の途中で私は思わず、「ああ、分かったよ!」と声を上げそうになった。広上は批判を百も承知の上であの日あの場所、あの瞬間には桁外れに激烈な「運命」を「指揮するしかない」と確信していたのだ。今の世の中に渦巻く行き場のない怒りと失望、気分的に沈んだ人々への叱咤激励…。広上は世界の人々の心持ちを少しでも前へ向かせようと、あえて100%以上のリスクをとり、強烈な路線を突き進んだ。彼らしい思いやりといえ、アンコールにはちゃんと〝鎮静剤〟も用意していたから、「これもあり」とする。


みんな鬱屈した空気に向かって、吠えている。井上道義も広上淳一も私も全員、戌年生まれであることを最後に思い出して、妙に納得した。短期間の3回シリーズ、お疲れ様でした!

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